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もう1つの新宿インシデント。あの頃日本で起きていたこと

今月の #おうちでジャッキーロードショー は「新宿インシデント」だったわけですが

作品の大まかな内容はこちらからどうぞ~
でもですね、この作品の肝心要なとこは

日本で実際にあった事件を基に作られている

ところだと思います。調べたらめちゃくちゃ色んな事が出てきて上の作品紹介記事に載せられなかったので、新たに記事として書く事にしました(^^)


まずは時代を遡ること80年代

なんでこの時代?と思われるかも知れませんが確実にこの時代から始まっていますね。

こちらは2018年外務省のサイトにて公開されている記事ですが

1972年9月29日当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相は北京で共同声明に署名し、「恒久的な平和友好関係を確立する」ことで一致。
ここから「日中国交正常化」が始まりまして

1983年当時の中曽根康弘首相は「留学生受け入れ計画」を推進

こちらは文部科学省のサイトですね。この中でもあるように、留学生の出身国は90%以上が近隣のアジアから、そして中国からの留学生が圧倒的に多いとなっています。

当初の「留学生受入れ10万人計画」の概要を見てもらえるとわかると思いますが

(2) 我が国の18才人口が1992年までを前期、減少傾向に転ずる1993年以降を後期とし、前期においては、受入れ態勢、基盤の整備に重点をおき、後期においては、その受入れ態勢、基盤の上に立った受入れ増を見込んでいる。

当初の「留学生受入れ10万人計画」の概要
より

80年代で既に93年には自分とこの国の18歳人口は減少傾向に転ずるってわかっておきながら、自国民の人口を増やすことはせず近隣の国から留学生を受け入れるとかツッコミどころしかないですが、

留学生はお金がない。ゆえに勉強とバイトの両立を図りながら生活をする

ここがセットになっていたんですよね。外国人実習生の被害が今現在になってようやく日本でも問題視されてきているのですが、この辺りの問題の火種は80年代にすでにあったようです。
そして、留学生という名を借りた出稼ぎ労働者も少なくはなかったようです。

90年代に起こったこと。暴力団対策法の施行

92年に施行された暴力団対策法。主に繁華街になるのかな?それまでは揉め事が起きたら暴力団に仲裁に入ってもらう(その代りにみかじめ料などを払う)などと、怖い存在ながらも必要悪として君臨していたヤクザなのですが

この暴対法が施行されてからは徐々に日本の暴力団の勢力が衰退の一途をたどっている

もちろん、主な資金源であるお金の巻き上げシステムを徹底的に取り締まる事ができるようになったのが大きいんですよね。

ここに表示されている暴対法で禁止されている行為は全て何らかの形で暴力団(と、それに準ずる者)の方へお金が流れて行っていたという事なのか。

そうして暴力団の勢力は衰えていき、これで安心できた方々もいたと思いますが、

暴力団の勢力の衰えが見え始めた事で新たなる問題が浮上してきました。その時代の事を描いているのが「新宿インシデント」なんですよね。


来日した中国人勢力拡大の果てに何が起こったか

こちらは日刊大衆さんの記事ですね。94年に起きた超有名な事件、「青龍刀事件」を扱った記事です。
留学生受け入れ時期に呼応するかのように各出身地域に分かれて勢力争いをするようになり、ついには抗争、犯罪まで。記事の中にある「泥棒市」も劇中に出てきましたね。

青龍刀事件から8年後の2000年代に入ると日本の暴力団の勢力がだいぶ縮小されてきて、代わりに中国マフィアが幅をきかせてきたようです。そしてもう一つの超有名な事件「パリジェンヌ事件」が起きます。

記事内にシノギ(収入を得るための活動の呼び名)絡みのトラブルとありますが、劇中のあのシーンってコレやったんかな…?と思う所がチラホラでてきましたね。やはり事実は小説よりも奇なりか。

記事の最後に書いてあるのがまた凄いですねー。この事件を後に歌舞伎町から中国マフィアは一掃。ナイジェリアマフィアが台頭するのか💦もうどんだけ💦そして浄化作戦が開始されると。

私は映画の持つ役割って
その昔あった伝聞、言い伝え、童話などと同じ括りの中にあると思っていて、娯楽として消化もでき、物語を通して何か一つでも教訓を得るとか、何かを考えるきっかけにする事もできると思っているので、「新宿インシデント」のような実際にあった事件を基にしたものは該当する事件とかその背景を省みてみるのは決して無駄な事ではないと思っています。

李小牧(り こまき)さんという存在

こちらはダイヤモンドオンラインの記事。
6歳の頃中国で起こった文化大革命を経験。父親は毛沢東を支持する造反派の重鎮だったのですが、その時属していた派閥のクーデター事件の影響で失脚。裕福な暮らしから一転、貧困の時期を過ごしたようです。

1988年に日本へ留学。最初は服飾関係の勉強をしていて、デザイナーになろうとしていた李小牧さんなのですが、歌舞伎町に魅了され、色々な仕事を経験する傍ら外国人へのガイド業が軌道に乗り、それが本業に。
その後作家、レストラン経営など職種の幅を広げ、2014年には日本へ帰化。新宿区の議員選挙に出馬をして話題となりました。

上の留学生受け入れ政策の話と、暴対法による日本人暴力団と外国人マフィアのパワーバランスが崩れた時代と照らし合わせてみると、正にリアルタイムで現場を見てきた方になるんじゃないでしょうか。

YouTubeチャンネルを持っていて、ご自身の体験してきた日本という国を中国の方に伝えようとしていますね。>日本の民主主義を中国の方々に伝える事で日本と中国相互理解が深まり、より良い関係が築いていけると。
こちらの動画では自身の紹介と共に1:30~「新宿インシデント」の事についても言及しています。日本語字幕にすると、ある役は私をモデルにしてましたと出てきます。
6:12~も、アドバイザーとして作品に参加したと言っていますね。

公開当時はその辺りの情報は流れたりしたのでしょうか?私は今回初めて知りました。「新宿インシデント」のエンドロールには李小牧さんの名前がクレジットされているそうです。

小説よりも奇なる事実。李小牧さんの夢

YouTube内で李小牧と検索すると、中国メディアに出演している動画がめちゃめちゃ出てくるんですよね。中国メディアへの露出が半端ない。
こちらの和之梦の動画では、新宿区議会選挙へ出馬、選挙活動する様子をドキュメンタリータッチの動画にしています。日本語でも字幕が付いているのが凄いですよね。

中国では歌舞伎町の話や日本の暴力団の話、日本に帰化して選挙に出馬している話などを話されているようです。上のダイヤモンドオンラインの記事にも書いてあり、動画内でも見受けられますが
日本へ帰化した事で、中国、日本双方からの風当たりはどうしても強かったりするようですが

歌舞伎町を経済特区にしたい
風俗店、飲食店従業員などの社会的地位を向上させたい

などの目標を胸に先ずは新宿から。最終的な目標は日本の政治の本丸、国会議員になる事だそうです。


中国出身の映像ディレクター、ケイヒさんが監督を務めた「選挙に出たい」というドキュメンタリー映画も制作され、山形国際ドキュメンタリー映画祭や座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで上映されたようです。それだけ李小牧さんの夢は本物なんだとも言えるのかも知れませんね。

…しかしこれだけの活動をしている李小牧さんを、日本人である私たちはなんで知らなかったんだろうな?という事と

元中国人で共産主義の国のやり方しか知らなかった人が日本で自由を手に入れるために資本主義のシステムを使い、政治に参加することを謳歌しているようにも見えます。李小牧さんのそんな姿を見て、色々考えさせられるなと。

私たち日本人は今の政治に期待しない、参加しなくても生きていけている状態に慣れきってしまっているから、めっちゃがんばって意識しないと
政治に関心が持てないけども。

少しでも考えてみたいよねと思いました。

いや~今回色々調べていた中で、李小牧さんにまつわるお話がいちばんびっくりしたわ💦
まさか主人公のモデルになった方が今も日本にいて帰化して政治の世界に飛び込んでいるなんて想像つかなかったです。世の中にはまだまだ知らない事が多いですね~。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)


私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos