就職"活動"という言葉が気に入らない

「もう、"お祈りメール"でもいい。」

そう思ってしまう程、私の心はいつの間にか疲弊してしまっていたのかもしれない。

就職活動は嫌いだ。
なんてのは負け犬の遠吠えのようで言いたくはないが、何故、就活というものはある種受験のように扱われるのだろうか。気にくわない。

やりたいことや夢が見つからない人
仕事で成功したいという願望がない人
将来の夢がない人
仕事より家庭に重きを置いている人
給料や福利厚生には興味がない人

大多数に共感できない人たちを導いてくれる人はどこにいるのだろうか。

何故か人は、自分が「大多数の一員である」と無意識のうちに縛られていて、
社会の大多数によってつくられた「安全に見えるレール」は、自分にとって「美しく見えるレール」であると錯覚させてしまう。
厄介なことに、その勘違いに気づくことは難しく、気づいた頃には戻れない所まで来てしまっていることもある。

こんなことを自覚している私でさえ、「錯覚の沼」に足を突っ込みそうになっては、「舗装されていないが私にとっては美しい脇道」に慌てて戻るなんてことを繰り返しているから笑える。いや、本当に笑えない。

おそらく同い年であろう女子がすれ違いざまに「週何で就活してる〜?」と言ったのを聞きいよいよ気が滅入りそうだが、逆にアルバイトのごとく軽い気持ちで"活動"してみたら良いのかもしれない、と一周回ってポジティブになった。なんだかその方が救われそうである。

上手く大多数の波に乗っている人のことを羨ましく思ったところで入社できる許可が貰えるわけでもないし。
もういっそのこと一思いにお祈りしてくれ。

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