何もすることがない時
「あなたが不幸だと思う時はどんな時ですか?」
クラスのみんなが続々と回答していく中、
わたしは、数分間、答えを出すことができなかった。
オンラインで回答していくイマドキな授業の形式で、
他の生徒の回答や、着々と増えていく回答者数を横目に、ひとり焦っていた。
きっと先生は正しい回答なんて最初から用意していなかっただろうし、求めてもいなかっただろう。
ただ、意地でも自分が納得できる答えを出したくなった。
わたしの悪い癖
おそらくほんの30秒程度であった。
しかし、数分にも思えたその時間は確かに濃かった。
ちょっとした達成感の中、
もう次の瞬間には全く別のことを考えていたのだが、
先生の言葉に、またこちらへ引き戻された。
「何もすることがない時が不幸だと回答されている方がいらっしゃいますが、これは福沢諭吉の言葉でもありますね。
人は、何かしたいことがある時や、誰かに必要とされている時、充実しているのでしょう。」
完全に自己満足だったわたしの答え。
「まあ、理解してくれる人がいなくてもいいや」
くらいの気持ちで書いた、伝える気のない抽象的な答え。
「何もすることがない時」
余りにも短い言葉だったし、
解釈の仕方はいくつもあっただろう。
心拍数の高まりを感じていた。
生きる意味を問う時、やはり誰しも幸せを求めるだろう。
だから、幸せとは何か聞かれたならば、幾つでも思いつく。
しかし、不幸とは何か聞かれたとき、わたしがすぐに挙げることができなかったのは、
「具体的な何かが無い、思いつきすらしない」
という「無」こそが不幸だからだ。
日々の忙しさに息が詰まりそうになることもあるだろう。
逃げ出したくもなる。
でもそれは決して不幸ではなくて、
むしろ幸福である。
日々、忙しなく、己の心を様々な感情で満たすこと。
どんな色の感情であれ、
自分の人生を彩ってくれる色には違いない。
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