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短命の恋愛ばかりを見送って気づいたこと。

出会いと別れを繰り返して、また振り出しに戻る感覚。
上手くいかなかった恋愛を振り返って
悲しみや喪失感をひと通り味わった後には、
経験を積めたことに感謝する。
どこか心にひっかかるのは、
選ばれなかったという事実や
長く続けられなかったという事実。

長く付き合えば、「恋」が「愛」に少しずつ変わっていく感覚があるけれど
ここ数年、「出会い」から「恋」までの過程を、繰り返している自分がいる。


昔から「恋愛体質である」という自覚はある。

惚れやすいタイプではあるし、
恋多き女やね、と言われたこともある。
だから、お別れした後も、半年ぐらい経てば新しく恋人がいることが多い。
きっとそれ自体は問題なくて、自分でも問題ないと思っている。

けれど、問題なのは「自立している」と勘違いして、心の拠りどころを恋愛で埋めようとしていたこと。

腑に落ちた。


思い返せば、大学以降、26歳になるまでの約8年間、恋人か恋人候補がいる状態が続いている。
恋人と別れた時にも、すぐに気になる人ができたり
すぐにマッチングアプリに登録したり。
何気ない日々の嬉しいことを、報告できる存在がいた。

一人行動は得意だし
むしろ、一人の時間がないと死んでしまう!というようなタイプ。
わりと多趣味だし、自分の時間を充実させることもできる。
四六時中、彼のことで頭がいっぱいっていうタイプでもなければ、2週間に1回会えたらいいか~って思っていたから、
てっきり「自立」しているものだと思っていた。
だけど、それは「自立している錯覚」であって、
「恋人」という存在がなければ保てない、危うい自立だったのだと気づいた。


「恋人」という、強く深く結びつく唯一無二の存在が欲しい、と思うのは当たり前の感覚だと思う。
親や友達とはまた違う、繋がりを持つことが出来るからね。

ラッキーな出来事があれば、言いたい人がいる。
「一緒に行きたい」「一緒に見たい」と
思える相手がいることは、きっと幸せだ。
今は、恋愛依存リハビリ中なので、そんな相手がいないことに孤独を感じたりする。

これから意識することとして
まずは、恋人という存在で、自分を安心させていたという事実を受け入れること!
そして、自分で自分を愛すること!

恋人も恋人候補もいない期間を存分に楽しもうと思う!そんな存在がなくたって、私は幸せに過ごしていけることを実感しよう!


短命の恋愛を経て、思うこと。
それは、「恋」ではなく「愛」をそろそろ感じたい。お互いを知っていく最初の数ヶ月の、「その先」を積みたい。

いつか、長編の恋愛を経て、家族になるとき、
ゼクシィの広告コピーに、心から共感できたら嬉しいなぁ。

『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです。』

『ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う』

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