見出し画像

ははが がん になりました。

2018年 秋。

仕事終わりのスマホに母からの着信とLINEあり。
「仕事終わったら電話ちょうだい~★」

世で言われている”友達親子”のような関係の母。週2~3ペースで来ていた連絡が、ここ1カ月位なかったこともあり、子供を迎えに行く前に、車の中で急いで電話をした。

「なんで最近連絡返してくれないの~?忙しかった?じぃじも元気だよってしか連絡かえしてこないしさ!」私は半分怒りをぶつけながら母に言葉をかけた。

「・・・ごめん~。今入院中なの。あんたの声大きいからもう少し静かに話して。笑」

・・・は?入院?持病はあるけどそれで入院はしないよな。最近数値落ち着いてるって言ってたし・・・。じゃぁ事故?そしたらじぃじ(継父)がすぐ連絡くれるだろうし・・・。数秒でいろんな思いが頭を巡った。

私の返事を待つ前に
「お母さんさ、乳がんだったのね。昨日手術したんだ。明後日退院するの。今の手術ってあんまり痛くないんだね~。お母さん、病室の中で一番若いんだよ。うけるよね~。」極めて明るい声で、爆弾発言をする母。

「え?ちょっとどういうこと?乳がん?なんで手術する前に教えてくれないの?初期なんだよね?温存?全摘?転移は?今後の治療は?」早口で自分の聞きたいことを一気に聞いた。
その直後に”しまった・・・”と思った。

普段、私はがん患者さんの看護に携わっている。臨床で”患者の思いに寄り添う”ことの重要性を肌で学んでいる。自分で家族に病名を告知するときの精神的な辛さも、たくさんの患者さんから教えてもらっていたはずなのに・・・。

「・・・お母さんごめん。辛かったね。ひとまずは手術お疲れ様。話せる時にいろいろ教えてね。」
どうにかして絞り出した看護師としての私の言動。だめだ。私がしっかりしないと。泣いちゃダメ。・・・ひたすら頭で意識しながら母からの返答を待った。

「やっぱり怒られた~。だって悲しませたくなかったしさ。とりあえず手術は成功したから大丈夫だよ。今後は抗がん剤だって。かわいいウィッグ買わなきゃ~。」だんだん母の声が涙声に変わってきた。
あぁ・・・普段泣いたりしないのに・・・母の辛さが痛いほど伝わってくる。

私にとって母はスーパーウーマンだ。

私が小学生の時に離婚し、朝から晩まで働いて、貧乏生活だったけど、どんな時も弱音は吐かず、私と弟を大学と専門学校まで出してくれた。大人になって、それがどんなに大変なことだったのかわかる。
私と弟が成人し、数年後に再婚。やっと母自身の幸せな生活ができると思っていた矢先の出来事だった。

「怒るよ~。でもさ、いまは乳がんも根治できる病気だしさ。しっかり治療うけて、ひ孫の顔みるまで頑張ってよね!」乳がんは、多臓器転移がなければ、5年生存率が高いがん腫。勝手に早期発見だろうと思っていたので、この発言をした私。

「う~ん・・・まぁ頑張るね!退院したらまた連絡する~。あ、おじいちゃんたち(母の両親)には言ってないから。あとおばちゃん(母の姉妹)にも。いわないでね。大丈夫だから。」
最後の”大丈夫だから”の言葉を信じた。いつも母が大丈夫というときは、困難な状況でも大丈夫だったから。


なんとか最後まで涙をながさず、母との電話を終えることができた。
でも電話を切った瞬間、大声で叫びながら泣いてしまった。

なんで母が?今までたくさん苦労してきて、まだ苦労するの?どうして母じゃないといけないの?・・・なんで?

まさしくキュブラー・ロスの心理的反応。
否認・怒りの思いが頭を巡っていた。
10分ほどして時計をみると、子供のお迎えギリギリの時間。・・・やばい。目が真っ赤。急いでコンビニに行ってアイスを買って、目を左右交互に冷やしながらお迎えに向かう。子供に不安を持たせないようにしなくては。
・・・あぁ。母の気遣いはこの感覚か。と同時に術後まで病気を教えてくれなかった母の心理を想像した。


この日の出来事は鮮明に覚えている。娘として、看護師として、母を全力で支えよう。そう誓った日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?