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映画のこと。格差について考えた。

観たいと思った映画は、思い立ったうちに。

ということで、

以前記事にした『千夜一夜』を観た映画館で
その存在を知ってからずっと楽しみにしていた、

映画『エゴイスト』 

美しいな、から
悲しいな、が襲ってきた。

予告から鈴木亮平さんと宮沢氷魚さんの濃厚な絡みが印象的で、いわゆる、ジェンダー映画を観るのだと心算で着席。
開始すぐにその予想は違和感に変わった。

鈴木亮平さん演じる浩輔はファッション誌の編集者として働き、ハイブランドな服を身につけることでセクシャルマイノリティな自分自身に鎧をつけていた。ここで結構トゲのある独白がとぶ。彼がどんな思いで狭い田舎から出てきたのか垣間見える。

宮沢氷魚さん演じる龍太はパーソナルトレーナーとして働きながら、シングルマザーである母を支えていた。高校を中退してからずっと働きながら家計を助けているという健気で美しい龍太に惹かれる浩輔は金銭の援助をする。

ハッキリとした2人の経済格差。
この映画が描きたいのは、セクシュアリティについてだけではなく、この国が抱える大きな問題も包括されているのだろうか。

ハイブランドの洋服をおさがりでプレゼントするだけではなく、食事をご馳走するだけなく、2人の間に金銭という生々しいやり取りが発生することで
この映画のタイトルがより立体的に重く感じる。
そしてエゴイストな関係性は
浩輔と龍太の2人だけではなかった。
センセーショナルな後半、龍太の母と浩輔だ。
中学生で母を亡くした浩輔は、
龍太の母に、遂げられなかった母への想いを昇華させていく。

「当たり前」から外れると、世間は優しくない。
事情があって経済的困難に陥った者に十分な手当ては与えられないことの方が多い。
表面的なジェンダー問題。しかしそれだけではない問題提起が観る人によっては感じられるだろう。
浩輔自身も母を亡くし龍太との「シングル」という家庭環境は同じなのに、成長過程でも大人になってからも、格差が大きかったことが何より胸にきた。

「支えたい」と浩輔から手を差し伸べられた龍太が流した涙は、決して、好きな人から情けをかけられることからのものだけではないのだろうな。
必死に働いても、働いても、埋まらない格差。
そんな龍太が命がけで守ろうとした母の、
愛する息子への想いを突きつけられる展開に、同じ愛を重ねることの難しさを突きつけられる。

愛は身勝手。
表情のアップが多かったことも印象深い。
愛する行為は自分のためなのか、
相手のためなのか。

豪奢な生活をしながら、お酒を飲んでバカ笑いするオネエ仲間にも囲まれながら、すべてを打ち明けることもできない孤独な浩輔の笑顔が、もの悲しい。
しかし鈴木亮平さんのオネエが良すぎる。

これはまた絶対に観たい映画。
そして『彼らが本気で編むときは、』をまた観たくなった。『リリーのすべて』も良いな。
良い映画は連鎖する。


そして先月観た、

『イニシェリン島の精霊』

すごく良かった。
コリン・ファレルが好きなので、ポスターを見た時から「よし観よう」と決めていたけれど、
目でお芝居をするどころか眉毛だけでも感情表現が豊かな彼のパードリックは、セリフの少なさに対し感情の起伏が大きな物語展開でもイニシアティブをとっていた。

負けない親友コルム、ブレンダン・グリーソン……。口数が少な過ぎてちょっと不気味。でもたまに見せる優しさにキュン。
島中にバカにされて孤立するパードリックに手を差し伸べて慰めるように馬車で送ってあげるところは「お前とは絶交だ。二度と口をきかない」と、突然距離を置いてきた理不尽さとはかけ離れていた。

そう、なんで不気味って、
内戦の起こるアイルランドの孤島で、関係が拗れたりしたら気まずすぎて表を歩けないような田舎町のご近所関係で、昨日まで仲良くパブでお酒を飲んでた親友がいきなり「絶交する」とか言い出して無視を決めてくるから怖い。

食い違うパードリックとコルムの主張。
時代背景も含めるとコルムの方が納得できるかも、と思ったけれど、いやいや。
唯一の親友から突き放され
妹にも甲斐性なしと呆れられ、
ロバと牛しか友だちがいない……なんて
書き出すだけでも涙が出るようなパードリックを
絶交すると言いながらもなんだかんだ捨てきれないコルムに、どっちなんだ……と頭を抱えたくなる。

日常のすぐ隣で戦火が燃える時代なのに、
人間関係も生活も、景色も何も変わらない生産性のなさと、人生観において求めるものが根本的に違うパードリックに悩んだコルム。埋まらない2人の溝。
ここにも確かな格差を感じた。

毎日同じ話を繰り返しても楽しく過ごせる男、
音楽を愛し奏で作曲までする知性を求める男、
2人のおっさんが、雄大な海に浮かぶ岩だらけの崖の島で、小さな喧嘩を一大事としている。
激動の時代に取り残された島で「100年後に何も残らない会話」より「100年後も愛される音楽」に余生を捧げたいと言ったコルムには胸が詰まった。自分の指を切り落とし投げつけてまで親友を拒絶する姿は彼の意固地でしかないけれど、パードリックも悪気がないからってもう少し成長するべきだった。いつも同じ話を同じテンションでしてくる友達はいくらコリン・ファレルのお顔でもしんどい。

美しい映像に散りばめられたコントラストに目眩を覚えながらも、その時代考証の皮肉さにはイギリス映画らしさを感じる。
ぼんやりとしたその感想にマーティン・マクドナー監督の背景も込めて納得を下さった記事がこちら。


希望の映画なのかは正直分からなかったけれど、
人生について絶対分かり合えない格差があることを考えさせられた。
これもまた観たい映画。


二つの映画を観て、ことばの意味はちがうけど画面の美しさに潜む寂しさとか視覚的な類似点にも満足しながら、愛というものが分からなくなる、孤独が襲ってきた。
生々しいなぁ。
限定公開の『タイタニック』を観に行きたかったのだけど、午後からお芝居を観るし、昨夜の夜ふかしで寝坊したので映画は諦める。

日常を生きていてふと格差を感じることはたくさんあるけれど、映画を観たり劇場で芝居を観たりして何かを感じられるということがありがたい。
今日は彩の国シェイクスピアシリーズ『ジョン王』の大千穐楽。呼吸の一つひとつを丁寧に、しっかりと受け止めて、拍手を送ろう。

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