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映画のこと。『千夜、一夜』

誰かの帰りを待つということは、
寂しくて、おそろしくて、
とても孤独だと思う。

子供のころ、共働きで帰りの遅い両親を待っている平日の夜が嫌いだった。
遅いな、何してるのかな。
大丈夫かな、何かあったのかな。
車のエンジンが聞こえるように耳を澄ませながら、帰ってきたら何を話そうか考えているうちに、だんだん1人きりだとあまりに広いこの家で、もし本当に1人になってしまったらどうしようなんて茫然と不安が募ってくる。
暗いエントランスの灯りがつくのを待ちながら、
立ったり座ったり、ウロウロしていた。

わたしにとって“誰かの帰りを待つ”という行為に、
良い思い出がないのは確かだ。

愛する、誰かを。


映画 『千夜、一夜』 

最愛の人の帰りを「待つ女」たち。
それぞれの人生が交差していく 複雑な人間の感情と本質を鋭く炙りだした人間ドラマの新たなる傑作。


北の離島の美しい港町。
登美子の夫が突然姿を消してから30年の時が経った。彼はなぜいなくなったのか。
⽣きているのかどうか、それすらわからない。
漁師の春男が登美⼦に想いを寄せ続けるも、彼⼥は愛する⼈とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。

ストーリー 公式サイトより

日本では年間約8万人ものひとが
警察に行方不明者として届出されているらしい。
この映画の舞台が“北の離島”であることから、
暗く重く影を落とす問題に意識がいった。

朝焼けが美しい浜辺を歩く登美子は
ただ朝の散歩をしているわけではない。
足元を険しい目つきで見つめて
突然いなくなってしまった夫の痕跡を探しているのだ。

彼女の脳裏にはいつも、夫との会話がこだまする。
2人で生きる日常の無邪気な声はまだ若く、スクリーンに映る彼女の、大切な遠い日の記憶なのだ。
それだけ長い間愛する人を“信じて”待てるなんて、
ある意味幸せなんじゃないか。
30年という月日を
ただ1人を想いながら待つということがいったいどういう事なのか
わたしはまだわかっていなかった。

そんな登美⼦のもとに、
2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。

「理由が欲しいんです。彼がいなくなった理由。
自分の中で何か決着がつけられればって」
彼⼥は前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。

ストーリー 公式サイトより

登美子を演じるのが田中裕子さん
奈美は尾野真千子さんが演じられている。
わたしにこの映画を観ようとあと一押しさせたのが、このお二人だ。
田中裕子さんといえば『寅さん』ともう一つ、
今作と同じ久保田直監督作『家路』を思い出す。
そして尾野真千子さんは是枝裕和監督作『そして父になる』での演技がとても好きだった。
お二人とも女性の強さと脆さを自然に演じられる、
ドキュメンタリー性の強さに胸打たれてきた。
これは観てみたい。
雨の休日、腰を上げた。

奈美は突然いなくなってしまった夫との出会いを、嬉しそうに登美子へと話す。並んで歩き愛する人の話をする二人は、同じ傷を抱えるもの同士寄り添うように、しかしどこか腹の探り合いをしているようにも見えて、お腹の辺りがヒヤッとした。
お互い分別のある女性だとどこか取り繕いながら、互いの境遇に安心を求めているのではないだろうか。
失踪者を探す自分自身を慰めるように。
失踪者を待つ途方もなさを客観視するように。

献身的に奈美が求める調査に協力する登美子を見ていると、改めて彼女が耐えてきた30年の長さを実感することになる。どんな証拠が必要なのか。浜辺に不審船はなかったか。船を出せる天候だったのか。前後はどんな言動で過ごしていたのか。
いなくなる前、どんな会話をしていたのか。

「ちょっと行ってくる」とか、
「そこまで散歩」とか、
それとも何も言わなかったのか。

「男って勝手ね」とよく言うけれど、
いなくなってしまう、なんて意識していなかったら出掛けにどんな会話をしていたかはそう思い出せないだろう。
「人間なんてあっけないから」と言う登美子の瞳はまっすぐ海を見ていた。
諦めているようにも、もう考えないようにしているようにも見える、寂しい瞳だった。
「人間ってあっけない」
かつてわたし自身にもあった、もう二度と会えない愛する人とのさいごの朝。喧嘩をしてしまったことは覚えてるけど、それが、どんなにくだらないものだったのか思い出せなくて、悔やむのも惜しい。

突然いなくなってしまったら、いなくなってしまったことにすらも実感が持てないまま、毎日が過ぎていく。大切な人を突然失うってそんな感覚だ。
「足りない」けど「いない」とは違う。
「どこかにいるんじゃないか」と思ってしまう。
自分の経験と重ねながら、けれど、決定的に登美子とわたしは違っている。
登美子は夫とまだ別れていない。
30年経っても、まだ、夫婦なのだ。

奈美の夫のかつての同僚の元にまで話を聞きに行く登美子と、反比例するかのように奈美自身に新たな出会いが始まっていた。

奈美が登美子に問いかける。
「悲しくないですか?待ってるのって」
「帰ってこない理由なんかないと思ってたけど、
帰ってくる理由もないのかもしれない」と登美子。

しばらくして、奈美は新しい恋人ができたため、夫・洋司と離婚したいという。
そんなある⽇、登美⼦は街中で偶然、失踪した洋司を⾒かけて…。

ストーリー 公式サイトより

奈美、あっさり……!!
一途に夫、洋司が帰ってくるのを待っているのだと思っていたから、展開の速さ、切り替え、したたかさ? に目が点になった。けれど彼女の気持ちも、理解できる。残酷だけど、時間は進むのだ。
登美子と奈美、二人の女性としての価値観の違いがここでより意味を帯びてくる。

そしてついに、チラチラ写真だけ出演していた安藤政信さん演じる洋司がひょっこりと。
人間を描くドキュメンタリー出身である久保田監督らしい、あまりに普通な日常風景に見入っていたら突然姿を現した。

勤務先でも上手く周囲と馴染めずに、いつかどこかへ行きたいと漠然とした思いを抱えながら生きて、ある日突然、おそらく奈美との結婚生活が理由で、彼の中の何かが決壊する。

洋司は「消えてしまいたかった」と言った。
「死にたい」とも違う、「消えたい」という願い。
それで本当に消えてしまうのだから彼が抱えていた孤独や弱さが滲み出る。
奈美にとっての理想、洋司の閉塞感は、
どちらも共感できた。
だからこそ登美子の意地にも似た、けれどいつまでも純粋な夫への変わらぬ想いに胸を打たれるのだ。
静かで淡々とした毎日に登美子が潜める、
わかっていても自分を止められないほどの激情は
まさに狂気を感じた。

二人がある夜に見せる静かでおそろしく寂しい涙は本当に美しく、苦しいほど胸に突き刺さる。


“帰りを待つ”恐ろしさを
千夜過ごす女の、たった一夜。
続いていく朝に照り映える波打ち際は
その背中を押すようにも、飲み込むようにも。

二人の「待つ女」と、「戻ってきた男」の他にも、離島という閉鎖された地域に生きる人々の物語性が実力派俳優たちに彩られる。
なかでも大好きな白石加代子さん演じる、中年独身の息子を抱える母親の、やるせなさと憎めない図々しさには改めて感服した。

人はどこまで孤独になれるのだろう。

一人でいる時間の気楽さと、物悲しさに、
姿の見えないだれかと繋がることで安心する虚しさに、
忘れられない誰かのあたたかさに、
そっと、自分の胸に、
手を当てたくなった。

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