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雷と蚊は九月。傘がなくても靴紐を結べないし、蚊に刺された肩甲骨に喧嘩を売ることもできない。 鞄の代わりに缶ピースを揺らして帰り道をキックボードで帰っていると、金縛りにあったきな粉餅がいた。こんばんは、と声をかけると、苦しそうにこちらを見る。きな粉餅に眼球はない。見てはいない。でも。 悲しくなって、きな粉餅の肩を撫でると金縛りは解けた。感謝の言葉を述べられる。きな粉餅に口はない。話してはいない。しかし。 グッド・バイの形に唇を曲げて言葉を斬ると、きな粉餅は消えた。 帰宅して、恋

    • 日焼け

      スクール水着を着ていた日々が終わってからはじめて、真っ赤に火照り、皮膚が剥けるまで日焼けをした。黒い水着の形をなぞって白い肌が残る。あんなに空も海も青い日だったのに、私の肌ばかりが赤くなる。もし青くなれたら、ブルーハワイのかき氷を食べて舌もお揃いにしましょう。 日焼けした皮膚が剥ける時、人は虫や蛇の仲間になれるから嬉しい。でもこれは秘密だから、暑くても着物を着たり長袖を羽織ったりしてそれを隠す。蛇虫女になってから二週間ほど、肌の火照りは鎮まり、皮膚も剥けなくなった。 つま

      • 果物の季節

        冷蔵庫でうたた寝をしている、桜桃だと思い込んでいた少女の頬っぺた色の食べ物が、本当の本当はいか明太子だったことにより23時の世界は崩壊する。行くあてのない苦い紅茶を喉を鳴らして飲み干せば、台所は完成するけれど、その先に残るものといえば茶渋とペンギンだけである。 台所に生息するペンギンは意地悪だけど根はいいやつだから、と人々に言われる。でも、私は知っている。桜桃をいか明太子に変えたのはこのペンギンたちだ。彼らはただの意地悪だ。 果物の季節がきたのだ。盛大に祝おう。 桃の

        • 毛布

          会話中に毛布という単語が出てこなくて悲しかった。あんなに愛していたはずなのに。 将来の夢を毛布の幽霊に設定してやり直した人生では、君に出会う裏路地さえも見つけられずに終わるだろう。絵に描いたような幽霊が被っているのはシーツだけど、私はあのホテルにあるような質感のシーツだと夜中に目が覚めてしまうからやっぱり毛布を被ることに致します。 私が幼い頃に使っていたものと同じ柄の毛布を今も使っている女友達は、風呂上がりの髪から柚と生姜の匂いがする。それだけを覚えていれば他は何も

          こんなにも桜を見ることのない春ははじめてだから、四月も半ばだというのに春の実感がない。私の身体はまだ冬にいます。 冬にしては暖かくうとうとしたこの日々は何とも居心地が悪い。部屋に増える花と紅茶の葉がなくなった缶を横目に、最後にかけられたあなたの呪いを掻き集めましょう。 ミモザ柄のスカーフで髪をまとめて、若草色のオープンカーでエスカレーターを駆け上る夢を見る。駆け上がった先のデパートの屋上には遊園地があったというけれど、そんな昔話は猫が食べてしまったから、私たちは代わり

          白いワンピース

          「今日はおでかけ?」 「今日はデート?」 と聞いてくる他人に「おめかし着しかございませんの。ごめんあそばせ」と思いながら、首を横に振る。まっすぐ家に帰ります。 身につける服のほとんとがワンピースになったのはいつからだろう。そして、白いワンピースが増え始めたのはいつからだろう。 私はこの世の女の子ではないため白いワンピースを何着も持っている。 だって、かわいいもの。だってだって、きれいだもの。 光が透ける白、レースの白、バカンスに行ける白、花嫁になれる白、いい子ちゃんに

          白いワンピース

          コインランドリーデート

          初めてのデートはコインランドリーがいい。二回目のデートは家具屋さんがいい。三回目のデートは神話だ。 私は今、コインランドリーにいる。デートではない。 初めてのデートはコインランドリーがいい、と思うのは映画の影響だが、ここは確かにデートに向いている。 清潔な洗剤とほのかなカビ臭さが混ざり合う匂い。流れる軽薄な流行歌。学校みたいな床。ひとつ前の号のジャンプと誰かが置いていった岩波文庫。絶望色の蛍光灯。爽やかさを演出しようとして失敗した悪趣味な壁紙。清潔と不潔のあいだ。生

          コインランドリーデート

          薔薇

          第二の薔薇の季節がきた。私たちは踊らなくてはならない。革命しなくてはならない。 薔薇は一等の花だ。好きな花を訊かれたら、きっと私は薔薇と答えてしまうでしょう。本当は好きじゃないとしても、きっとそう答えるでしょう。 今年の春に庭に植えた薔薇は、毎月小さな花を咲かせる。薔薇というと初夏と秋に咲くという思っていたから、半年が経った今でも少し不思議だ。 紅というより朱色に近いその花は、気取った感じがまるでなく、いつも愛らしく小首を傾げている。少女のようでいて、庭にある植物のうち

          いやだ。行かないで、と夏に駄々をこねても、近頃は朝と夕暮れの空がすっかり秋だ。向日葵は俯き、街からは早くもハロウィンの気配を感じ、パジャマのズボンを履かなければと思い、私の靴下はカラフルになる。暑い秋といういけ好かないそれがもうそこにあります。いやだわ。 この時期の唯一よいところは夏を惜しむことができるところ。そして、悔しいけれど私が一等夏を感じることができるのはこの時期だ。 夏のど真ん中に新しい最高の浴衣と水着を手に入れ、それらを身に纏いお祭りと海で浮かれた。蝉の抜け殻

          海の近くに暮らしている。二十分ほど歩くと海につく。 だからと言って何か悩み事があると海に行くだとか、海が友達だとかいうわけではなく、ただ何となく気が向いた時に行くだけ。友達になんてなりたくない。いつまでも他人でいたい。 その近所の海は海水浴場ではないので、どの季節に行ってもほとんど人がいない。犬の散歩をしている人と夕日を撮ろうとカメラをぶら下げている人が少しいるくらい。音がなくて居心地がよい。 絵のように真っ青なことはなく、柔らかな乳色に夕日を飲み込もうとしている海で、

          洗濯機

          洗濯が好きだ。 正確には、洗濯機を回している間の無敵の約二十分が好きだ。 その二十分は何者か、きっと洗濯機様から与えられた特別な二十分のように感じる。その間、私は何をしてもよい。しかしその二十分間に収まる事しかしてはならないのだ。前回の洗濯物を取り込み、片付けるのもよい。他の家事をしてもよい。漫画を読んでもよい。踊ってもよい。しかし、私にとってその時間は、うたた寝をするために与えられた時間のように思えてならない。 この二十分のうたた寝はどのうたた寝よりも気分がよい。目覚ま

          洗濯機

          いつまでたっても好みの爪の色がみつからない。 あなたが好きな色はもう知っている。君が綺麗だと褒めてくれる色ももう知っている。だのに、どうして自分好みの色だけみつからない。 幼い頃は爪を噛む癖があった。気がつくとそれはなくなっていたが、どうしてかそれなりに形のよい爪が残り、今度は爪を塗る癖が生まれた。 ドラックストアの化粧品コーナーに並ぶ色見本の爪の、剥がされた生爪のようなそれに背筋に冷たいものを感じながらも、その色とりどりの天国にうっとりする。小学校のマラソン大会の時

          私は花の名前を知らない。 薔薇、向日葵、チューリップ、紫陽花、朝顔、百合、菊、椿、桜、梅、たんぽぽ、水仙、シロツメクサ、カーネーション、木蓮...見てすぐに名を呼べる花はこのくらい。多くはないと思う。どうなのだろう。 困ったのは、散歩中に見つける愛らしい花の名前を大概知らないこと。 知らないので、心の中で君とか貴方とかと呼びかけるしかない。若しくは、適当に自分で名付けてしまうしか。 名前を尋ねたところで、人間でもトトロでもないから答えてくれないし。 花は好きだ。