【短編小説】 紫煙(しぇ~ん)、カㇺバッ~クッ

 【短編小説】 紫煙(しぇ~ん)、カㇺバッ~クッ

 【ウッ、、、うわ、戻しそう、、、我慢、がまん、、、ガマン、、、】
 夜9時過ぎ、地下鉄の車両内。シートに座る私は、繰り返しこみ上げてくる吐き気を必死に我慢していた。
 「うっ、、、ふぅ~、、、、ウプッ。…….あ~、、、」口から思わず、気分を誤魔化す為の小さな声が漏れる。

 年末も近付いた12月。自身の仕事も多忙を極めている。
 得意先回りの後会社へ戻り、帰宅するのはいつも終電間近が自身のデフォルト。
 終電を逃せばタクシーで帰ることもあるが、タクシー代は自腹ゆえ、避けている。
 今日の吐き気の原因は、昨夜のストハイ500の一気飲みのせいかなと思う。
 昨日訪問した得意先の男からの誘いに、、、無性に腹が立った。
 しかもその時に匂ったフレグランスが、量産品の吐き気を催すものだった。
 むしゃくしゃした気分を落ち着かせるために飲んだストハイ。すきっ腹にこたえた。
 二日酔い気味の今日は、別な得意先での情報収集。女性社員ばかりの会合へ参加。
 思い思いの「自分の香り」と称する匂いの混合空気。
 深く鼻の奥へと吸い込まぬ様に、浅い呼吸で耐え忍ぶ。
 呼吸は浅くなり、心臓の鼓動も早くなる。体力の無さも感じる。
 【もう、いい歳だもんな、、、アラサー女子のキャリアウーマン、、、おっと、もう死語になってるんだっけか?】

 地下鉄の車内、隣の席に座る初老の男性が、持っていたコンビニ袋の購入品をリュックに詰替えている。目線を斜め下にして、それをみるともなく眺める。
 「ご気分、お悪いのですか?、、、良かったらこれ、使ってください。もし出そうでしたらこっちで隠します。」
 その初老の男性が、隣から声を掛けてきた。見ると手には空のコンビニ袋、膝の上にはカシミヤ風のハーフコートが見えた。
 「いえ、大丈夫です、、、、ウプッ」手のひらを相手に向け軽く振ると同時に、小さなゲップが出た。
 「次の駅で降りましょう。この車内結構暑いし、、、」
 「あ、、、ハイ、、、、すみません。」
 間もなく耐え切れなくなり、盛大にぶちまけるかもしれないと感じた私は、男性の提案を受けた。
 地下鉄は速度を落とし始め、メロディーののち車内アナウンスが流れた。
 『次はぁ~羊ヶ丘ぁ~、、、羊ヶ丘ぁ~、、、、お忘れ物の無い様にお気を付けください~、、、本日のご乗車、誠にありがとうございます~、、、次はぁ~……    』
 ホームに到着し、男性が席を立った。その男性が腕を横にして私の目の前に出した。掴まれと言う意に解釈。その腕を掴み、立ち上がる。
 「……ウッ、、」急に動いたせいか、また込み上げてきた。必死に耐える。
 男性に促され、どうにかこうにかドアからホームへと降りる。
 冷たい風が吹いた。地下鉄のはずが、ホームの周りの視界が開けている。
 そう、その昔に谷底だった場所に地下鉄が通り、この地点が地表に出ている路線だった。
 いつもも通る度に、【昔が谷底で羊ヶ丘って、、、丘じゃねぇじゃん。谷底じゃん。】とツッコミを入れている馴染みの場所。
 目の前のベンチへ男性に誘導され、「ここにどうぞ。」の声で座る。すぐ横へ男性も座る。
 「車内の暑さ、異常でしたね。ようやく涼しくなった。どうですか?、少しは良くなりそうですか、ご気分。」
 「……あぁ、はい。ちょっとは良くなりそうです、、、なんか空気が良くて、、、、さっきの車内、匂いが入り混じって臭くて、、、、」
 「ああ、そうですよね。暑い上に色んな匂いが混じってましたね。体調が良い時なら気にならないですが、すぐれない時はきついでしょうね。」
 「そうですよね、、、良くなってきました。深呼吸したら楽になりました。」
 込み上げる悪寒が和らいでいくのが分かった。風の冷たさと匂いの無さが清涼剤となったようだ。
 楽な気分になった時、その男性を見た。白髪の混じるスーツを着た初老の男性。
 イケメンでもなくブ男でもない、標準型初老。警戒感の少なさにホッとした。
 なんとなく父親に似てるかもと思う心が安心感をもたらしたと思った。

 「気分、悪いの?」同じベンチに座っていた女性から声が掛かった。
 自分がほぼ真ん中で、男性が右手に座り、声を掛けてきた女性が左手に座っていた。
 「えっ、、あ、はい。でも大丈夫です、随分良くなりましたので。」
 「そう、それならいいけど。でも、急に来そうだったら言ってね、連いてってあげるから。」
 「もしかして、隣に座ったわしが煙草臭かったんですか?」
 「えっ、いえそんな事無いですよ。むしろ煙草よりフレグランスとか化粧品の匂いの方があまり好きじゃなくて、、、、色んな人がいると混じるじゃないですか、それが、、、」
 「わかるわかる、それ。つけてる本人は鼻の下から香ってくるんでそれがメインでしょ。他の匂いが負けるのよね。私も香料の少ないもの使ってるのよ。そうすると他の人の匂いが気になるのよね。」
 「私もそうです。無香料か少ないもの使ってます。ただ今日は昨日のお酒がイケなかったみたいで。すみません、ご心配おかけしちゃって。」
 「おお~、女の人は大変ですよね。それぞれ好みもあって、競い合う様に被らない様に選んで。わしなんか無頓着で、全部嫁さんに任せっきりですよ。ただ、『あんたは自分じゃ分かんないでしょ。』って、嫁の好みの物、使ってますわ。
  特にこの位の歳になると、ヒラメ臭が、、、いや、加齢臭があるらしく、、、、ハハハ。」
 中今年男性特有の、ボケツッコミに固まる女性、二人。
 「……ウフ、お父さんみたい。」その男性が私の父親と一瞬重なり、そう呟いた。
 「そうそう、自分の父親の匂いって嫌いになる人っているけど、嫌いにならない娘も一定数いますよね。私なんかそうで、お父さん匂いは煙草の匂いで、、、懐かしいな。」と向こうの女性。
 「うちの父親も煙草の匂いですよ、ピースの香り。嫌いじゃないです。」私は隣の女性と同感だと思うと、嬉しくなった。
 「おう、ピースですか。わしもピースですよ、値段高めのアロマロイヤル。」
 「うちはピースライトです。30年ずっとだそうです。」
 「私の父はピースロングでした。亡くなりましたけど、、、でも肺がんじゃなく別のがんでした。どうも煙草とがんの関係ってこじつけの様な気がして。」
 「同感です。匂いが臭いし嫌いな人は嫌いが流行の様に広まっちゃって、嫌悪感が先に来てますよね。がんとの関係も刷り込みだし、仕事サボる人イコール喫煙所ってのも印象操作の気がしてて。」
 「実はわたしも煙草を吸います。でも自宅のベランダだけです。外で吸えるのは無くなって来てますから。」
 「そうよねぇ~、無くなったわよね。のぞみも喫煙室が無くなるそうだし、自分の部屋しか残らないかも。喫煙可のお店も、嫌煙者締め出しだって叫びそうだし。」
 「世知辛くなりましたね、、、今度は何は標的でしょうかね?、、、案外、芳香剤とかフレグランス、香水だったりして。」
 「いえ、女性が好むものは残りますよ、きっと。強いですから。」
 「そうですね。おっと、次の電車が来ましたのでこれで。貴女が元気になられてよかった、でもさっきの電車の様に暑くて香りがきつい様なら、もうちょっと落ち着いてから帰られた方が良いでしょう。」
 「あっ、、、助かりました、ありがとうございました。あの、お礼を、、、」
 「要りませんよ。じゃあ。」
 男性はそう言い残し、ホームに止まった電車に乗り込んだ。
 ホームで見送る女性二人。動き出した電車に頭を下げて見送った。

 「もう大丈夫かな?、、もう少し休んでいく?、、、付き合いますよ。」私に向けてその女性が気を使ってくれている。
 「もう少し休んでいきます。あなたは良いんですか?電車に乗らないで、、、」
 「待ち合わせなんだけどね、、、、でも、約束の時間はとっくに過ぎてるの。多分、もう来ない。いいの、これでお終いにしようって思ってるし。」
 「……軽く、飲みますか?、、、、煙草吸えるところで。」
 「え、良いの?、、、また気分悪くならない?」
 「大丈夫です、元気になりました。楽しい会話だったので、、、もうちょっと話したい気分で。」
 「うん、行こう。近くに喫煙できるバーがあるの。そこ行こう。」
 「はい、よろしくお願いします。」

 結局、私の体調不良の原因は、ストレスだったみたい。
 ほんのちょっと一服して休めるところが到る所にあれば、ストレスも減るのにな、、、と思った。
 どうせ、喫煙者のこじつけですよと言われるでしょうけど、、、、本人が納得していれば良いんじゃないですか?

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