響子と咲奈とおじさんと(31)
辛さへの理解
上山が新任教師として配属された大宮第三中学校。1年、2年と懸命に駆け抜け、多少の余裕が出始めた3年目。3年生のクラスの担任になった。
一人の女子生徒が、学校を休みがちになり良くない噂も耳にし始めた。
「大宮の夜の街で、キャバ嬢してるらしい。」「援交らしいよ。」「ほらあの娘、ヤ〇ザの娘でビッチの母親と暮らしてるらしいし、、、」
家庭訪問の際には、確かに母子家庭ではあるが母親は居酒屋やサパークラブを経営している実業家と聞いた。その娘もその母親を尊敬しており、家庭の不和で非行に走る様な事は無いと確信していた。
「〇〇、何か心配事か?相談に乗るぞ。」とその娘に声を掛けてはみるものの、周りの子たちの視線や言葉が気になり、深入りできない。
『何?〇〇だけ特別?』『出来てんの?』『今日帰りに行くからなって言う合言葉だったりして、、』
そう、一部の子を特別に扱う事が出来ない。みんなへ等しく、感情を込めずに話さないと直ぐに妬みや勘繰りの様な言葉がクラス中に飛び交う。
〇〇の自宅へもなかなか訪問できない。一人での訪問は禁止で、二人での訪問が義務付けられている。しかも同性では禁止なので紀子先生に頼んだ。〇〇は、笑って迎えてくれた。何も無いと笑っていた。紀子先生が「男の人に話しにくい事だったら、メールしてくれても良いわよ。他の人には内緒よ。」と言ってくれた。
数日後、〇〇が行方不明になった。母親が捜索願を出した。学校へも連絡が来た。
なぜか「担任の上山が始末したんじゃねえの」と言う話が広まっていた。
気が気じゃなかった。授業をしていても生徒は誰も聞いていない。ひそひそ話ばかりが学級中で大きくなっていった。
3日後、奥秩父のダム湖に〇〇らしき死体が上がったとの連絡が来た。
母親がすぐに秩父警察署へ駆け付け、少し後に教頭と紀子先生、自分が駆けつけた。
〇〇だった。検視官から「妊娠されていました。20週前後だと思われます。」と告げられた。
リュックにコンクリートブロックを詰め、それを背負い、それが外れない様にベルトで身体に締め付けていたと言うが外れたらしい。
翌日には、「大宮三中」「女子生徒妊娠」「ダムで自殺」「担任は上山」「援助交際」「強制性交」の言葉が、Twitterに飛び交っていた。
警察からの発表は無い。新聞も中学生が事故か?自殺か?の遺体発見としか記事には書かれてはいない。
〇〇の事を非常によく知る誰か、〇〇と関係のある”当事者”からの投稿としか思えなかった。
【悔しい、、、自殺にまで追い込んでおいて、tweet出来る神経が信じられない、、、、しかも妊娠させた相手の事を投稿するなんて、、、、、、クソっ!】
授業にはならない。どのクラスへ行ってもTwitterの事で私語が飛び交う。注意しても、誰も聞かない。
上山は学校を休職した。休職中に〇〇の事を聞こうと同級生達に会おうとしたが、それが火に油を注ぐことになった。
Twitterでの上山個人への攻撃が始まった。炎上となった。話を聞こうとして女子生徒に近づく写真まで投稿されていた。その写真には”次の獲物を狙う、鬼畜”と言うコメントが着いていた。
【まさか、同じ中学校の生徒か、、、、教師か、、、、学校の近くで携帯で写メを撮れる事の出来る人間は、、、、、、、、誰だ?】
上山は精神をやられた。
年度末までの休職と、その時点での退職。
退職後に、紀子先生が部屋に来てくれた。在職中は来れなかったと言っていた。
二人で泣いた。一晩中、泣いた。悔しくて、悔しくてたまらず泣いた。
それでも気は晴れなかった。カウンセリングと投薬治療。身の周りの世話を紀子先生がしてくれた。
その中学で、紀子先生が階段から落ちると言う事故が起きた。言わずもがな、、、、、紀子は休職後、退職した。
二人で逃げた。逃げるしか選択肢は無かった。
八王子に来た。朝から夕方までコンビニやスーパーで働き、夕方から塾でアルバイトの講師を始めた。
記事は削除して貰っていたが、同じものが直ぐにあがる。いたちごっこ。二人はTwitterはもちろんの事、SNSは一切しなくなった。見る事も無ければ、書き込む事も無い。考える事も無かった。
そして、5年。最近ようやく塾の生徒たちとの連絡用に、Lineを再開した程度だった
「北川君の元気がなくなって来て、、、気になってた。紀子も気にしていた。だから、明るくなってくれて、、、、、良かった。本当に良かった。
もしかして、自分たちと同じような辛い事があったんじゃないかとか、二人で話してたんだ。……他人事と思えなくて。」
響子は泣いていた。零れ落ちる涙を拭おうともせず、泣いていた。唇を噛み締め、声にならない様に泣いていた。
響子は椅子から立ち上がり、上山の後ろに回った。
響子の腕が上山の首から肩にかけてまわされた。
「……先生、、、、、辛かったのよね、、、私も辛い事はあったけど、、、、、、もっともっと辛かったのよね。」
響子の腕へ、上山の手が触れる。
「……先生、、、私、忘れたい、、、、、、去年の事、忘れたい、、、、。」
響子には最近、とてつもなく不安になる事が二つあった。
もう、人を愛する事が出来ないのじゃないか?
それと、愛する人ともsexは出来ないのじゃないか?知らない人とでもsexは出来ないのじゃないか?
人を愛する事と、その先にあるsex。愛とは関係のないsexもあるのだと頭では理解しているけど、自分はどうなんだろう?
鶏が先か卵が先かの様な、禅問答が頭の中で繰り返される。
女として反応しないのだろうかと思い、自慰をする事もあるが、気持ち良い止まりで快感とまではいかないし罪悪感が起きてしまう。
好きか好きじゃないか関係なく、sexで快感を得てみたいとも思う。もう人を愛せないのであれば、そういう生き方の覚悟も必要だと思う。
只、今は胸の中の混濁した思いを何かに昇華させたい。
自分の行動を正当化する理由など要らない。
【この人は信頼できる。人の辛さを理解できる。私の辛さも感じてくれている。】
”今は、この人に抱かれたい”という文字が、響子の胸の中に浮かんでいた。
上山との関係は、2月の志望校独自の選抜試験まで続いた。入学決定の知らせが二人のお別れの合図だった。
恋愛感情があったのか無かったのか今もわからない。同情から発展した繋がりだったのだろうか?、、、ただ、尊敬や憧れだった紀子先生には、申し訳なさが残った。
もしかして、紀子先生は知っていて気が付かないふりをしてくれていたんじゃないかとも思った。
今でも、時々二人を見掛ける。話しかける。楽しくおしゃべりをする関係が続いている。
でも、心の中には紀子先生に対する裏切りを責める自分が居る。
周りから見れば、不倫。浮気。セフレ。不純異性交遊。条例違反。色々な言葉に置き換わる。
でも、自分にとってみれば、強く生きていく為の一つの選択肢だったのだと思う。
その選択肢は間違っていたかはどうでも良い。
結果として、響子は少し強くなれたと思った。
SEXに対して、嫌悪感は無くなったと思う。
後は、人を好きになる。新しく出逢った人を好きになれるかどうか。
少しづつ、響子は前を向き歩き始めた。
「でもね、大学入学して新人歓迎のコンパやサークル勧誘飲み会なんかで誘われてもさ、な~んか踏み出せなくてね、、、結局、あれから何にもないの。」
響子が語り終わった後、横に座る咲奈をふと見ると、、、、また、咲奈は泣いていた。
「きょ、響子~、、、わたし、わたし、、、、ウグ。響子の力になりたい、、、、ウグっ。」
「咲奈、ありがと。今のままで十分だよ。力、貰ってるよ。」と、頭を撫でてやる。咲奈を気遣いながら、頭の中では、、、
【さあ、醍醐。飛び込むから、受け止めてよね、、、逃げないでよ。逃げたら、、、、付き纏っちゃうかもよ。】
と考えていた。