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妄想爺のとんでも史観 (33) 豊臣秀吉とキリシタン

妄想爺のとんでも史観 (33)

 豊臣秀吉とキリシタン

 ここで話が飛びます。
 安土桃山時代、この国の統一を果たした豊臣秀吉が、朝鮮出兵を行います。
 戦国時代の終焉に伴い、功績のあった家臣への報償不足を新天地に求めた。と言う説がまかり通っています。
 どこかの偉い先生がそう言ったのだから、みんなそういう事にしなさい。って裏に書いてあるようです。

 天下人となった秀吉が、一番考えていたことは何だったのでしょうか?
 『戦の無い世の中』、『飢えに苦しむ事の無い世の中』、『誰もが自分のやりたい仕事が出来る世の中』
 為政者になれば、誰しも考える事だと思います。
 「そんな綺麗事、思うわけないじゃん。権力を掌握したら、金儲けでしょう。」
 それもまた、一理あります。否定はしません。
 しかし秀吉が行ったキリシタンって言うか、外国に対する姿勢は、国を守る。この国の人を守る。極悪非道な所業は許さない。って思えるのです。

 まず、キリシタンって何でしょう。
 キリスト教の宣教師達、およびキリスト教に帰依した人達です。
 当時のキリスト教の諸問題解決はローマ協会がしていたそうです。
 そのうちの特筆すべき話。
 『キリスト教徒のみが人間である。異教徒は動物、家畜と同様である。』との御触れが出ています。
 ゆえに、アジアに来た欧州のキリスト教徒は、在地の異教徒を家畜として扱います。
 捕まえて輸出したり、屠殺(とさつ)し食料にします。
 実際に九州で捕獲されたこの国の住民は、中指や人差し指を切り落とされ、狗(のへんのみ)と書かれた木札をぶら下げられ、半島や大陸へ売られています。
 宣教師が村々に入り、キリスト教に帰順する人としない人を選別します。
 後方に居る商売人や船乗りが、帰順しない人を集めます。それを船に載せます。輸出先から代金を貰います。その金で武器や火薬を調達します。
 それを、キリシタン大名や堺の商人へ売りつけます。
 売りつけられた大名や商人は、黙ったまま見て見ぬふりをします。
 この時、長崎はイエズス会の所有物になっています。
 豊臣秀吉が激怒するのも頷けます。
 遂に伴天連追放令を出します。キリシタン大名も処罰しようとしたと思いますが、具体的にどうしたかは良く分かりません。
 秀吉の戦の方法は、如何に血を流させずに解決するか。を優先にしてきています。
 最小限の流血は最前線では致し方ありませんが、攻めていた敵が恭順するなら助命しています。
 改宗はしないが、伴天連との取引はもうしないという事で許したのかもしれません。

 スペインは、その頃フィリピンを植民地とし、次は日本だと狙いを定めています。
 しかし武器の数が、自分たちのより圧倒的にこの国の方が多く、性能も良い為後回しにします。
 手懐けたキリシタン大名に半島や大陸を奪わせて、そこからこの国へ戦いに向かわせるように画策します。
 大規模な内戦状態にしようとしたのです。
 半島や大陸にはもう既に、前線基地らしきものが出来ていたのではないでしょうか?
 現地の有力者に、「勝ったら分けようよ。宝の国のお宝を。」って誘っていたのかもしれません。
 そこにキリシタン大名が一緒になってこの国を奪ったら、、、、この国の公用語はスペイン語と中国語になっていたのかもしれません。

 秀吉が動きます。この国を守るためにです。
 それを、老害だ。耄碌していた。と学問として定着させたのは、誰だったのでしょうか?
 何が目的だったのでしょうか?

 大化の改新と呼ばれていた時代の前後、形は違えど大陸や半島からの影響をもろに受け、内戦状態になっていたのではないかと思ったのです。
 時代のヒーローと教わった中大兄皇子と中臣鎌足や大海人皇子は、半島南部の情勢そのものでした。テロリズム勢力との決着をしようとした壬申の乱。
 その後の戦後処理を行った天武天皇。大海人皇子と同一人物か違う人かはわかりませんが、大陸の意向が色濃い国(新羅)から派遣された臨時政府代表者、治安維持部隊だったのではないかと思うのです。
 なんせ、突然表舞台に登場するんですもん、この人。
 で、この人が居なくなったら繋ぎ役として持統天皇、鵜野讚良(うのささら)姫が登場するんです。
 「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)
 「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
 オオヤマト、たかまのはら、、、後の天照大神となります。
 伊勢神宮の祭神が三輪の神大物主であったのを、天照大神と交代となったのです。
 お父さんは天智天皇、中大兄皇子で、お母さんは遠智娘といい、母方の祖父が蘇我倉山田石川麻呂です。
 この国の由緒ある一族と半島南部の国々の繋ぎ役の香り、ぷんぷんです。
 個人の意思より指示役の意志表現の為の存在に見えます。
 天武天皇(大陸からの派遣臨時統治者)を迎え、次に宛がわれたのだと思います。
 この国をこの国として守る目的を代言させる為にです。

 秀吉はこの国を守る為に、力を見せつけました。その後ボケ爺の称号を得ます。
 持統天皇、鵜野讚良姫はこの国を守る為に、力を全て引き受けました。その後、神の中の神として天照の名を授けられました。
 「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」と言う歌が万葉集にあります。
 牧歌的な歌だという説。天武系勢力から権力を引き戻す暗示と言う説。色々あります。
 調整役としての女の立場をフル活用させられ、その印だった羽衣を脱ぎ捨てられる時期になった。
 やっと一人の女として、母として生きようと思ったのではないでしょうか。
 しかし、藤原不比等がそこに居ました。
 文武天皇即位迄の時代の繋ぎ役をさせられます。実際には皇室や天皇はまだ機能していないので、不比等が行った策略の片棒担ぎだったのだと思います。
 吉野や熊野、紀伊、伊勢を訪れその地の豪族と会っています。調整役ですね。

 これからのこの国は、藤原氏に牛耳られるとは思うが、権威として正当性は残る。それを利用してください。

 最高権力としての藤原氏、最高権威としての皇室、天皇。
 藤原氏以外の豪族連合が担ぎ上げた皇室、天皇。
 男子直系としたのは、藤原氏そのものが権威とならない為にと考え出した事。藤原氏は女性を皇室へ送り続け、影響力を保持します。
 太古の昔からの正統な一族の代表としての万世一系。とするとし、藤原氏を牽制します。
 持統天皇、鵜野讚良姫は、藤原氏から影響(迫害)を受けない様に、この国の最高神として、天照大神として祭り上げられていきます。

 この国を守ろうとした秀吉と鵜野讚良姫。
 私の頭の中だけで、共通のものとして存在しています。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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