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落ちこまない生活のすすめ

私は7年抑うつ感を抱えたすえ適応障害と診断され、現在は寛解した人間だ。
正直、医者じゃないため寛解という言葉が私に当てはまるかというとわからない。というか多分違う。
ただ寛解という言葉の感じが快く私に安心を生むために時折一人で呟いている。

で、この「快い」みたいな感覚が大事だなーと思っている。その感じが心にあると心穏やかに過ごせるし地に足がつく感じがあるのだ。
ただまだ私は不安定でよくその感覚を失うので感情の記録も兼ねて自分が生活を続けていくためにあると良いと思うものを書き連ねておこうと思う。

快いとはなにか。
ざっくり言ってしまえば「良い」という感覚なのだが、その中でもしみじみとした安心があるものを便宜上「快い」と呼ぶ……ことにする。
快いという言葉の意味と私の感じている感覚には乖離があるのだが、これは私が「快い」という言葉に感じるイメージが関係している。
「こころよい」は連続するか行が小気味よく、それをともすれば冷たさを感じる程に重たい「ろ」が落ち着かせ、「よ」が優しい柔らかさで包み、「い」でまとめている。「こころ」も「よい」もいい雰囲気を持つ音だ。同じ漢字を使った言葉には「爽快」とかもあって、その「快」には抜けるような爽やかさと気持ち良さがある。
「寛解」という言葉が好きなのも似た理由だ。意味が好きなのもあるけど。か行はかっこいいが少しとっつきにくいツンとした感じがある。よそ行き。社会的。普段会う人々。でもそこに柔らかい音や意味がひっつくと一気にガラスを爪で叩いたときのカンッと響くあの感じが引き起こされるようになる。仲良くはないけど尊敬してる凛としてて信頼できる人みたいな。
伝わらないだろうなーと思ってるうちに鉄琴という例えを思いついた。鉄琴って灰色で冷たくて金属のくせして不安な感じを生まない。良い楽器だ。あの音色があればあの冷たさも魅力に思えてくる。

ここまで書いて3日間引きずった3時間あれば終わる課題が未だほとんど手付かずであることがもたらすそわつきがかなり薄れたため今日はこれで終わりにしようと思う。まだ落ち着かない感じはあるが冬の雨の日に家の前で鍵を忘れたことに気付いたときみたいな底の抜けた恐ろしさはない。
(そうだ、この嫌な感じは底の抜けた感じだと思って、それから落ち込むってよく言うけどまさしく今の私は落ちて深く入り込むって雰囲気だと思ってこのタイトルをつけたんだった。流石にこの短さではタイトル回収は無理だったか。)
自分が言葉の音の良さや世界のうつくしさを感じる感性があるのは本当にすばらしいことだと思う。たまにそういう私が持つ素晴らしさや世界の持つ素晴らしさを忘れて私は不安定になって生活が回らなくなるけど、こうして思い出せば平気になる。また自分の素晴らしさを確認するために文章を書きたいな。多分私にとって文章を書くことは気持ちがいいことだし。推敲はしたくないから誤字脱字文章力の話はもう知らんぷりするけど。

ここまで読んでくれた皆さんおやすみなさい。私は課題をやります。皆さんに心穏やかな生活がありますよう。


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