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【シンプルに暮らしたい】子供からもらった宿題 「社会で働くため最低限必要なこと」 を考える

こんにちは。すうちです。

先日子供から「勉強はキライ」「でも社会に出て働くため最低限必要なことは教えて欲しい」というお題をもらいました。

「我が子よ、父はあなたくらいの時は、漫画とゲームしか考えてなかったぞ…」と心の中で思いましたが表向きには言えず、もらった宿題は話がデカ過ぎて即答できなかったので「少し考えさせて」と言って本日に至ります。

正直、今も何を伝えたら良いのか決まってませんが、今回はこれまでの自身の経験を振り返りつつ、冒頭のお題について考えてみました。

これを正解として子供に強制するつもりはなく、ただ親子の会話のきっかけになればと思っています(現時点の個人的な考えです)。


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タイトル画像:こじょりんさん



働くとは

一般的な言葉の定義や意味

コトバンクによると、仕事や労働という説明の他に何かが機能する、ひらめき的な表現にも使われています。

仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―・く」「工場で―・く」「―・きながら資格を取る」

機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―・いて熱が下がる」「引力が―・く」「機械がうまく―・かない」

精神などが活動する。「知恵が―・く」「勘が―・く」

コトバンクより引用

1の意味にしぼると、働くとは(色々な形があるにせよ)何らかの職について対価を得ることが広義の意味かと思います。


働くことの個人的なイメージ

以下、思い浮かんだイメージです。

生活するため 家族を支えるため お金をかせぐため 自由を得るため
社会を支えるため 社会と関わりを持つため 何かを成し遂げるため   
喜怒哀楽を感じるため 人生の暇つぶし 人生を楽しむ資金 etc…

「働くこと」で連想したキーワード

私の場合、そのモチベーションは、家族を支えたり少しでも自由を得るための意味合いが大きいです。あと意外に人生の暇つぶしというのも、もし働いてなかったら刺激がなさすぎて案外つまらないかも、と思うこともあります。

とはいえ、これを見ても子供に何を伝えるべきか分からないので、少し視点を変えて今自分はどうして働けているのかを考えてみました。


自分自身はどうして働けているのか

健康であること

一番は、働けるくらいに健康であることだと思います。年齢を重ねて実感していることですが、健康は何よりも代え難い財産とつくづく感じます。

身体の調子が悪い時や病気になると働くことに制限がかかったり、仕事のパフォーマンスも十分に発揮できないと思います。

私はエンジニアの仕事をしていますが、普段机に向って仕事をするので、それほど体力もいらない印象もあるかと思いますが、いざという時は持久力や瞬発力もないと続かない仕事だと感じます(特に納期前の踏ん張りや時には上司の無理強いにも耐えられる体力みたいなモノ…笑)。

例えば、小さい話では、腰痛やお尻のアレで長時間作業することが難しい方もいたり、重い話では深刻な病になって長期療養や退職された方も周りにいました。

自身も毎年の健康診断で再検査や指摘はありますが、今の所は仕事に支障ない程度に健康であるので、とても有り難いことだと思ってます。


柔軟な考え方やマインド

身体の健康に加えて、ココロの健康も同じく大事な要素に思えます。

むしろ最近はこちらが原因で働けなくなる方も増えてると聞くので、身体の健康以上にケアすべきかもしれません。

自身を振り返ると、社会に出るまではかなり視野がせまかったと思います。学生時代は読書習慣もなかったので(マンガは結構読んでましたが)、知識や教養は今より全然少なかったです。

30代になり自分の至らなさに何度か立ち止まる場面があり、さすがにマズイと感じてから、その答えを求めて読書をするようになりました。

読書を通して一番感じるのは、自分と同じように先人達も悩んだ思考過程を辿れること、自分の殻で閉じた世界が(肯定的な意味で)砕かれること、色んな人の人生を追体験できることが大きいと思います。

言い換えると、社会に出るといろいろ理不尽なこともある中で、狭い視野だけで物事を捉えると時に自分が苦しくなってしまいますが、そこで柔軟な考え方ができるとココロの負担を減らす手助けになる気がします。


義務教育の知識や学生時代に学ぶ意義

私は理系でしたが情報系の学部ではなかったので、学生時代に学んだことが仕事に直結して役立っている感覚は、社会人になっても余りありませんでした。

理由のひとつとして、IT系の知識は学生時代に学ぶ範囲ではカバーできないこと。もうひとつは(仮に学んだとしても)技術の流行や変化が激しく、常に新しい知識を得る必要があることが関係しているように思えます。

では学生時代に学ぶことや義務教育は意味ないのでは?というと、(今になって)自分自身は少し違った感覚を持つようになりました。

それは若い時に(脳が成長過程にある内に)できるだけ自分のキャパ(容量)を増やすことにあったのではないかということです。

学生時代や受験勉強の暗記は意味がない、という話もありますが、確かに表面上の知識を増やしても意味がない点は同意ですが、自分の場合、学生時代にある程度詰め込みでも必死に暗記や勉強したことが自分の脳を鍛える(キャパを増やす)ことに繋がってた気がします。

また、最近は仕事でも数学や統計を学び直す必要性も感じていて、学生時代に勉強した記憶のカケラがあるからそういう視点に至ると思います。

例えば「これは数学のあの知識で楽に作れるかもしれない」とか「これは統計を使ってデータの選別できるかもしれない」という発想にも繋がるので、学生時代に学んだことは(仮に忘れていたとしても)意味があったと個人的に感じています。



最後に

ひと通り書いてみましたが、今も子供に何を伝えたら良いかよくわかりません…笑

働くという意味では、医療制度、給与の資産運用など教える方が役立つかもと思えて、そうなるとFP(ファイナンシャルプランナー)的な知識をかみ砕いて伝える方がいいのか?とか。

また、本当に実現するかは置いといて、将来はAIが仕事を担うので人間は(希望する人を除いて)働かなくても良くなる説もあり、先が読めない時代に親の経験で言えることがあるのか?と思う所もあります。

月並みですが「目の前のことを一生懸命やる」とか「一般的な教養やことわざを学ぶ」など伝えるか?とか全然まとまってませんが、まずは今回の話も踏まえて子供と会話してみようと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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