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【考察】当事者おいてきぼりの「LGBT理解増進法」と「もたらされた弊害」

この記事は、ぼくが一般企業へ再就職時に、LGBTブームの弊害をモロに被った事実をまとめた内容です。令和5年6月23日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」と称され施行された謎の法律は、ぼくらにとってちっとも役に立ってはいない。むしろ、女湯やトイレ問題などでトランスジェンダーへの偏見を煽り、差別を助長しただけのゴミクズみたいな法律です。ぼくがこうでも書かなければ、当事者の相談にも乗らずに税金貪るだけで本当にゴミクズ以下の法律となってしまうので書かせていただきます。

LGBTブームによってもたらされた弊害①

LGBT・多様性尊重・ノーマライゼーション・ダイバーシティーを謳い、レンボープライドに協賛したりPRIDE指標を掲げる企業をこれまで何社もみてきたが、上っ面ばかり取り繕って善良ぶる企業に限って特別視をする傾向がある。

多様性を尊重しながら特別視をするジレンマは次のような会話からはじまる。

2022年11月、とある派遣会社(P社)へ転職中の出来事だ。

営業担当者「ひとつお聞きしたいのですが、荒金さんは女性として働きたいんですか?」

ワイ「いえ、髪型の長さはそのままで、戸籍の性別(男性)で働ければと」

営業担当者「わたしはゲイとかLGBTにも偏見ないですよ、受け入れられる時代ですからね〜」という常套句。

パーソルテンプスタッフ営業担当者との会話

一見してありきたりの会話にみえるが、この時点で勘の鋭い方ならお気づきだろう。近代のオシャレ文化のように寛容アピールをして、さらにはこちらからLGBTやゲイなどとは一言も言っていないのに勝手にカテゴライズをしていた。
そのときの営業担当者には悪気など決してなかったに違いないが、「髪の長さを許容してほしい」という要望を脳内で{LGBT・ゲイ}と結論づけてしまうシニフィアン➔シニフィエ的な思考パターンができあがっていた。
結局、その派遣会社では職場見学という名の面接(特定目的行為)の後、あろうことか営業担当者が派遣先企業にコッソリ耳打ちをして不採用となった。

昨今のLGBT教育もだが、多様な性のありかたなどを説明するとき「LGBTQ」というアルファベットを用いて解説するが、解説されている側からしてみれば、複数のカテゴリを一色単にカテゴライズしたような説明になるから当事者でなければ「へぇ〜そういう人たちなんだ───」という印象を受けるはずだ。
そうなると今回のように勝手に脳内変換するから、LGBTやゲイなどとは一言も言っていないのに勝手にカテゴライズして、LGBT教育に則り要らぬ気を遣ってしまう。このLGBT教育のもたらす教条主義的先入観は、普通に暮らしたい当事者(トランスジェンダー)・非当事者(地毛女装子・男の娘)にとっては非常に面倒なもので、男子が「髪の長さを許容してほしい」という要望を申し出ただけで、多目的トイレや更衣室や性転換など諸々の問題を引き出しから持ち出すように特別視をしてしまうのだ。

もうこうなると、LGBT教育や理念法で上辺っ面だけ取り繕うようなやり方では収集がつかない。むしろ、セクシュアルマイノリティーなどという特別視したLGBT理解増進法など作るのではなく、すべての国民の一個人の個性(一人一人)における外見の自由を尊重して憲法13条によって保障される自己決定権の一内容(「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」)として認めるべきではないだろうか。

LGBTブームによってもたらされた弊害②

2022年11月、とある派遣会社(A社)から先方(G社)へ転職中の出来事だ。

先方「こういうことを聞いてもいいのかわからないですが、あなたは女性として働きたいのですか?」

ワイ「いいえ(聞くなよ🙄)外見だけでも若くいたいので口髭手入れしただけです」

先方「ちなみにトイレは男性用ですか?」

ワイ「はい、男性用しか使いませんが」

先方「では検討させていただきます」

派遣会社(A社)➔先方(G社)での面接時

派遣元の営業担当者が想像だけでLGBTであるということを派遣先にアウティングしてしまった結果こういう流れとなった。このあとあろうことか、「派遣先フロアの男子トイレが他社と共用だから使えない」とかいう保守的な理由から不採用となった。

もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、トイレ如きでエンジニアを不採用にしてんじゃねーよ、ボケが!(吉野家コピペより)

まったく馬鹿みたいな話だが、口元をエチケットがてら顔脱毛していただけで、なぜかトランスジェンダーにみられて勝手なLGBT配慮を受ける。綺麗系男子を勝手にLGBTと決めつけたり、LGBTを配慮が必要な何かと勘違いしている馬鹿ばかりで呆れる。

トランスジェンダー女性(戸籍男性)が女子トイレを使えない」といった問題はよく話題にあがるが、配慮を望んでいないトランスジェンダー女性(戸籍男性)の男子トイレ使用まで制限する会社は数多く存在する。ここに問題がある。生来の性において本来あるべき権利(「生来男性が男子トイレを使える権利」)を、勝手に決めつけた属性で排斥しているのだから、偏見そのものではないか!!LGBT理解増進法など意味のない理念法をつくるよりも、戸籍上の男女に本来あるべき権利を属性で排斥するような不当な差別こそ厳しく規整すべきではないか。

(A社についてはアウティングしたことを陳謝し、以後の約束を守ったため社名は伏せる。)

配慮の名の下書かれた誤った企業コラム

LGBTについて書かれた企業コラムを読んで気づいたことがある。書いている人には悪気はないだろうけど、悪意のない人がする特別視ほど恐ろしいものはないと思った次第だ。

ぼくは児童養護施設で上級生から暴力を振るわれたとき座談会みたいな集まりを散々させられたけど、結局後から暴力振るわれたりした経験がある。だからこういうコラム記事でLGBTへの理解を取り繕っても一時凌ぎでしかないとわかりきっている。

PRIDE指標を掲げる企業の誤ったコラム記事

このように誤ったLGBT教育のせいで逆に企業が神経質になって腫れ物に触るような対応をする弊害を知ってほしい。セクハラといわんばかりの不当な特別扱いをした企業名を挙げればキリがないが、ほとんどは誤ったLGBT教育で障害者と同列にして理解したつもりになっているのが原因だ。ぼくは怒りっぽい人だと思われるかもだけど、機能しない理念法(LGBT理解増進法)が世間を騒がせた年、就職活動においてとんでもない不利益を被った。髪型顔立ちを性的指向やトイレ問題へと結びつけられ、勝手に配慮アピール&勝手な差別。だが行政は一切動かなかった。

LGBT支援が誤った言説を流布し、差別を助長するなら糺さねばならない。読む人が読んだらわかると思うが、差別は悪意のない人(むしろ善人)がはじめる。これはセクシュアル・マイノリティに限ったことではない。たとえば、障害者へ「希望をもってください」「頑張ってください」とかけた言葉は、捉えかた次第では『普段は希望をもってない』『普段は頑張ってない』という差別を孕む。

このような立ち入ったことを聞くことは、応募者の適正・能力による選考から逸脱した行為であるため、差別的選考であり、法の下の平等に反する。
実際、このような内容を面接時に確認してきた企業(PERSOL系の企業)はたいてい不採用だった。

この企業コラムでは『“「配慮してほしいこと」「ストレスを感じ難い就業環境」「自分らしくはたらける環境」について確認することが重要です”』と書かれているが、この記事では当事者からみてもトランスジェンダーがどこか身勝手な人の言い分に見えてしまうのはなぜだろうか?差別というのは、こういうところからはじまる。

余談だが、PRIDE指標・レインボー認定なる謎ステータスを獲得するために企業は審査料を払っているそうだ。

配慮の名の下に当事者を特別視して、LGBT教育だの、研修だの、セミナーだの、特別視をはじめてしまう。それで面接時にあれやこれや聞かれて不採用になってこちとら大迷惑だ。面接以外にも、LGBT教育を受けた末端の人たちが我々に会ったとき、『神様は性別を間違えたんだね』と、いかにも同情して可哀想がる。いつものことだけどね。

ニーチェ曰く
 善人たちのあいだで暮らす者に教えられるのは、同情によって噓をつくことだ。同情は、自由な魂の持ち主にとって、陰鬱な空気をつくりだす。

河出書房新社・河出文庫 ニ1-2 佐々木中/訳
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

第三部「帰郷」より引用

👆まさにこの同情。ぼくらは好きな髪型、好きな格好をしたいだけだから、LGBT教育でやっている性自認や性対象の話をいちいち持ち出されて心の中を詮索されるのは非常に不愉快なんだ。髪型なんて人それぞれだし、仕事上で支障がない限り憲法で保障されているから、全力で見逃してほしい。
ぼくは〝この髪〟〝この顔〟で働きたい。普段は〝この格好〟でいたい。女性としての扱いなど望んでもいないし、ゲイでもない。本質主義ではない実存主義ヒューマンだ!外見・容姿の自由以外、全力で放っといてほしい人にとって有難迷惑なんだ。憲法19条「思想・良心の自由」においても、われわれは誰もが心の中で『自分は自分、他人は他人』という当前の差別意識をもっているからこそ、お互いの領域を侵犯しない社会が成り立っている。ぼくが「私」から「僕」という一人称に戻したのは、性別を意識するよりも個性的と思ったからだし、外見で配慮されたり、性別を押しつけられたりはしたくないからだ。

だが、「LGBTに理解あります」などという善人たちは我々女装男子のように独自の徳を見つけた者をトランスジェンダーだと決めつけ、配慮の名の下に特別視する。

いかに悪人が害悪をなそうとも、善人がなす害悪ほどの害悪ではない。いかに世界を誹謗する者が害悪をなそうとも、善人がなす害悪ほどの害悪ではない。

 善人たちは独自の徳を発明した者を十字架にかけざるをえない。これは事実である。
 そして善く正しい者たちの故郷、心情そして土壌がいかなるものかを発見した二番目の者は、こう尋ねたのだった。「彼らは誰をもっとも憎むか」。

 創造する者を、彼らはもっとも憎む。石版を砕き、古き価値を砕く、この破壊者を──犯罪者と呼ぶ。

河出書房新社・河出文庫 ニ1-2 佐々木中/訳
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

第三部「新旧の石板について」二十六章より引用
善人たちは独自の徳を発明した者を十字架にかけざるをえない。これは事実である。

創造する者を、彼らはもっとも憎む。石版を砕き、古き価値を砕く、この破壊者を──犯罪者と呼ぶ。

だから独自の徳をみつけたぼくらは世間から特別視され隔離されているのだと思う。配慮の名の下に当事者を特別視して、LGBT教育だの、研修だの、セミナーだの…。

髪の長い男子を許容しない社会では根本的な解決にはならないのではないだろうか?

髪の長い男子に「散髪してこい」と命令する学校や会社では、性同一性障害であると申告しなければ女性と同等の長さまで伸ばすことなど許されない。憲法13条「幸福追求権」、憲法14条「法の下の平等」に反する事実だが、日本社会の悪しき慣習がそうなっている。逆に、性同一性障害であることを申告すれば散髪は免れるだろう。だが、「髪の長い男子=性同一性障害」として扱うのでは、まるで髪の長い男子を障碍のように特別視して本質的な理解から遠くかけ離れた過剰な配慮に至るのではないだろうか?そもそも、性同一性障害であることを免罪符にしなければ男子が髪を伸ばすことが許されない社会は、性別の扱い以前に伝統的に不合理な問題を孕んでいるように感じる。LGBT理解増進法を作ったり、多目的トイレを増やしたところで、髪の長い男子を許容しない社会では根本的な解決にはならないのではないだろうか?

ぼくは男の娘AV女優になるより前、派遣会社でトランスジェンダー女性として就業していた時期がある。そこではLGBTへの先進的な配慮が行き届いていた。ぼくが戸籍名を今の名前に変更したとき、男子更衣室で着替えをしていたら翌日から女子更衣室に移してくれたからだ。けれどもぼくは、丹羽哲郎の名から取ってつけたといわれる名前で「てつろー」と呼ばれたり銀河鉄道999を持ち出されるのが嫌だっただけで、更衣室やトイレなど大掛かりな配慮は望んでいなかった。女性として認められたい願望はあったが、どちらかといえば外見的な自由を望んでいて、髪の毛を伸ばしたり、白髪体質の白髪を茶色に染めたり、女性らしい服装でいたかっただけなのだ。男子が髪を伸ばしたり染めたりするのは当時はあまり許容されにくい風潮だったから、ぼくも性同一性障害をある種の免罪符としていた。戸籍名を変更し、トランスジェンダー女性として扱われることで、女性として完全に順応していた時期もあるが、性別が男性であることに葛藤も生じた。
子供のころから社会的にどちらかの性別に分類されることで無意識のうちに刷り込まれる本質主義的な価値観は、「男は男らしく、女は女らしく」を仕向け、性同一性障害は性別適合施術を受けて戸籍変更をしなければ社会から認められないといった誤った認識を植え付けた。
いわゆるトランスジェンダーが「女性らしさ」「男らしさ」を求める葛藤は、男女しか許容しない傲慢な社会によって刷り込まれたイデオロギーにすぎず、我々は男女の価値観と性自認を刷り込まれ、男女の枠から「出れない」「出さない」状態なのである。そうなると、男女どちらかの性別で『私は女性(あるいは男性)』と主張する本質主義的な価値観が生じてしまい、性転換してどちらかの性別に移行しなければ気が済まなくなる葛藤が生じる。
だが、性別二元制に囚われた男女社会とは別次元の「女装界隈」では性別の話をしていても自身の性別を意識しないで済むから性転換願望も不思議と和らぐ。むしろ、トランスジェンダーに同情したり「LGBTに理解ありますよ──」と、近代的なお洒落文化のように取り繕う世俗社会よりも、よほど寛容だと感じる。

ニーチェ曰く
 善人たちのあいだで暮らす者に教えられるのは、同情によって噓をつくことだ。同情は、自由な魂の持ち主にとって、陰鬱な空気をつくりだす。

河出書房新社・河出文庫 ニ1-2 佐々木中/訳
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』

第三部「帰郷」より引用


女装男子・女装子・男の娘という最先端潮流は、いまだ世間から理解され難いトランスジェンダー問題をLGBT啓発以外の方法で解決へと導いてくれる最適解ではないかと感じることも少なくはない。
そんな女装界隈でよく話題に上がるのは、女子トイレ・女子更衣室など「女性としての扱いは求めていない」「会社で髪を伸ばす自由がない」という問題だ。たしかに、トランスジェンダーでなければ男子が髪を伸ばせないのはおかしいし、ぼくも派遣会社のころそれがきっかけでカミングアウトした。

LGBT理解増進法やトランスジェンダーの「トイレ問題」なんかよりも、髪の長い男子が就職できるよう、まずは「就職問題」から解決しなければ何も変わらない。異常なまでに短髪を強制する企業をこれまでに何社もみてきたが、聞けば「お客様第一主義」とのことだ。ちなみにそう答えたのは、駆けコム叩きコムでお馴染みの👮‍♂️警備会社とお掃除用品で名の知れた🍩ドーナツ屋だ。ぼくはそんな店は利用しないと決めている。

結論、すべては《願望の国》が原因

学校や職場での髪型髪色指定を設け、LGBT理解増進法など意味のない理念法ばかりをつくる日本国家を一言で表現するならば《願望の国》乃至《思いやるだけの国》と表現するのが適当だろう。

ここからはやや哲学的な話にはなるが、たとえば鉄道会社は「駅及び車内への危険物の持ち込みは禁止されております」という放送を耳が痛くなるほど流す。だが、その放送は即時実効性を期待して流しているのではない。起こっては困ることを未然に防ぐため、『いつかなにかの役に立つであろう』という願望に従って放送を流している。それこそ放送を流すことが〝美徳〟であるかのような謎めいた規則に従って放送を流している。放送を流すことを〝美徳〟としているからこそ「駅及び車内での人殺しは禁止されています」とは流さない。

法律も同じように、『いつかなにかの役に立つであろう』という願望のもと施行されるが、実効性もなく、法文を読んでも有識者以外の当事者が入れる余地もなく、人権団体らの金儲けに使われている。人権団体は表向き「差別はいけません」と啓発してはいるものの、いざ電話で差別について助けを求め、実効性を求められると突然知らんふりを決め込んで厚労省窓口へたらい回しするのだ。その程度の善意なら人権団体など装うなと言いたい。

そして大元の問題である「学校や職場での不合理な髪型髪色指定」も、校則・社則という願望によってつくられている。ぼくが実際に学生たちからの相談を受け、学校や会社へ髪型髪色指定について問い合わせをしたときも、「お客様のため」「地域住民のため」など、じつに馬鹿馬鹿しい願望の答えが返ってきた。

当事者が真っ先に望んでいるのは、上っ面の願望でつくられた理解増進法や多目的トイレを増やす対策なんかよりも、外見で就職差別されず、髪の毛を伸ばせたり、人として認められるべき根源的な自由なのかもしれない。

おまけ

ここまで長々と書いたが、ムカっ腹がおさまらない方のために、ぼくが「LGBT理解増進法」施行前に集英社のインタビューで物申した記事を貼っておこう。ぼくみたいな否定派にも肯定派にも正当な理由があって良い記事に仕上がっているから興味があれば読んでみてほしい。

週プレNO.16&17 4/24号 [雑誌]
取材・文/尾谷幸憲
写真/共同通信社 時事通信社

今回、LGBT活動団体やら利権のおかげで再就職時とんでもない弊害を被ったが、今勤めているインフラエンジニア職はトランスジェンダー待遇で入社したわけではない。女装ビジュアル系男子のまま集団面接に挑んで能力買われたから内定した。「LGBTへの配慮」などという誤った認識が偏見を招いていたのだと実感する。

就職しても活動はこのまま続けていくので
温かい目で見守ってくれると嬉しいですヽ(*´ー`*)ノ

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