Twitterとの付き合い方

Twitterを始めて9年ほど経ちました。
最初は流行に乗ろうと始めた感がありましたが、いつの間にか自分の中でかなり使用頻度の高いSNSツールとなっていました。
ここらで今一度、Twitterとどう付き合っていくのが良いのか考えてみたので、備忘録として残しておきたいと思います。

Twitterの使い方の変化

Twitterを始めたのは2013年の11月、高2のときでした。ちょうどiPhoneを買ったタイミングで、アプリをダウンロードしてアカウントを作りました。当時は同じ学校の知り合いをフォローして、そのコミュニティの中でやりとりをするツール、という位置付けだったと思います。

受験期には数学について発信しているアカウントをフォローして、勉強のモチベーションを高めることに使っていました。Twitter上だけで繋がっている方々とも頻繁にやりとりをし、大学の数学がどんなものかを教えていただいたり、逆に点字や視覚障害者の勉強の仕方について質問に答えたりと、異文化交流のような感覚で楽しんでいました。当時読み耽っていた「数学ガール」の著者・結城浩さんからリプライをいただいて、とても嬉しかったことを覚えています。

受験が終わり大学進学が決まったタイミングで、フォロワーの層が一変しました。同じ大学に進むであろう人を見つけてはフォローしてリプを送る、ということにかなりの時間を割いていた時期があった気がします。ただ、今でも付き合いが続いている友人たちとはこの時からやりとりをしていたので、決して無駄なことではなかったと信じています。

その後は大学関係者、音楽関係で出会った人、その他Twitter上だけで繋がっている人など、フォロワー層も多岐にわたっていきました。特に音楽で出会った人の多くはTwitterで繋がっていて、自分の音楽活動におけるオフィシャルなメディアという位置付けに変化していきました。一方で、これまで通りプライベートなことも呟いていたので、気づけばかなり雑多なアカウントになってしまっていました。

Twitterがストレスに

コロナ禍に入った頃から、Twitterが自分にとってかなりストレス要因になっていることに気づき始めました。タイムラインに流れてくる情報の多さ、つぶやく内容の取捨選択。前々からストレスになっていたのだと思いますが、コロナ禍という特殊なタイミングでそのことにやっと気づき、意識的にしばらくTwitterを離れたこともありました。

また、これまでに呟いた内容の収拾がつかず、自分の覚えていないツイートを世界中の人が見られるということに不安を感じるようにもなりました。深く考えもせず発信できる場がTwitterであるという感覚で始めたものだったこともあり、ツイート内容をよく精査するということもしていなかったのです。

Twitterの良いところ

何度もやめようかと思いましたが、次のような良い点もあって今もTwitterに居続けています。

一つは、意図せず情報収集できる点です。
全盲のぼくはリアルでは広告や看板を見ることはできませんが、Twitterでは偶然に目に入る、という経験を簡単に得ることができます。先に述べたように、これは情報過多になるという負の側面の裏返しなので、それを自覚した上で使うかどうかがポイントであるように思われます。

もう一つは、意図せず人と繋がっていられる点です。
2月初旬、それまで元気だった祖父が急逝しました。祖父は生前、ぼくのTwitterをフォローせずに見ていて、しばらくTwitterを離れていた時には「最近ツイートがなくてつまらない」というようなことを言っていました。また、ツイートを公開しているのが怖くなって鍵をかけた時には、見られなくなってしまったと残念がっていました。今考えると、オープンにしていたことで、こちらからは話さなかったようなことも祖父はたくさん知っていて、気にかけてくれていたのだと思います。Twitterにはそういった近況報告ツールとしての側面もあって、こちらが意図せずとも人との繋がりを持てていることがある、という良い面もあります。

これから

ということで長々書いてきましたが、今後は新たに作ったオープンなアカウントでTwitterに住み続けたいと考えています。
鍵をかけた元々のアカウントと同時並行して運用していくことも考えましたが、アイデンティティを二分しているような感覚でそれ自体がストレスになってきたため、一つのアカウントに絞ることにしました。
研究関連の話題、視覚障害の話題、音楽活動の話題、そしてたまに惚気話(?)と、相変わらずツイート内容は雑多になるかと思いますが、よければフォローを宜しくお願いします!

Shun YanashimaのTwitterアカウント

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