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『黄色い目の魚』佐藤多佳子/読書感想文(2022下半期5冊その3)

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先日、ものすごい勢いで書いた
「三笘の1ミリが、かけっこを最後まで走り切れなかった息子を変えた」というエッセイが、バズるという経験をした。
はてなブックマークの注目エントリーになったり、ツイッターでシェアされたり、note内外のたくさんの方から読んでいただいて、恐ろしいような嬉しいような気持ちだった。

頂いたコメントの中で結構多かったのが、
「自分も諦めてしまう性格なので、息子さんの気持ちがよく分かる」というもの。

私はどちらかというと負けず嫌いな性格なので、
途中でかけっこをあきらめてしまうという気持ちが、どうにも分からんと思って息子を見ていたのだけど、
そうか、世の中にはそういう人も結構いるのだと知った。

よくよく思い返してみると、限界に挑戦するのは、確かに怖いことだったかもしれない。
最近は、自分の限界なんて視界の彼方で霞んでししまうくらいだ。
それくらい、今は決まりきった無理のないルーティンの中で生きているけれど、
確かにそうだった。

限界を見るのは怖い。
でもそれを越えていく時にしか見えない景色って、ある。

そんなふうに思い出し、
もう一度何かに挑戦してみたいと思わせてくれたのが、この本だ。

黄色い目の魚/佐藤多佳子

この本には、
3人の絵を描く人と、
1人の絵を観るのが好きな人が出てくる。

趣味で絵を描くのが好きで、描く才能があるけれども、絵にも、所属しているサッカー部にも本気を出せない木島。その父親の売れない画家のテッセイ。
絵を見るのは好きだけれど、自分が夢中でやれることは見つからない村田。その叔父の売れてる絵描きの通ちゃん。

木島と村田の視点で、交互に語られる物語。

14歳の村田が、通ちゃんの漫画を読んで、
幼い頃の自分の記憶を鮮明に思い出すシーンがある。

何回も読んだ。気がついたら、じわじわと泣いていた。なんで涙出るの?イヤだ。
銀色のステンレスのバスタブは、通ちゃんの前のマンションにあったものだ。そこによくもぐりこんでいたのは、十一歳の時だけじゃなく、十歳の時も、十三歳の時も…。夏でも冷たいひんやりとしたあの感触!(中略)
バスタブの上の窓は西向きで、午後はすりガラスが黄金のようにまぶしく、夕方には紅や紫や不思議な桃色に染まった。あの午後はなんて長かったんだろう。どこにもつながらない、まるで永遠のような時間だった。

「からっぽのバスタブ」黄色い目の魚/佐藤多佳子より引用

このシーンがすごくグッとくるのだけど、
この主人公が持っている切ないような懐かしいような感覚は、
この本を読んだ私自身が感じるものに似ている。

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