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連作短編『愛とiと』5-後編

 さて、野球部である。
「荒木くん、九月の場所取り会議一緒に参加してくれない?」
 斉川綾乃に頼まれて二つ返事で引き受けた。この頃から俺は部の運営側にも口を出すようになっていく。
「別にええけど、部長はどうしたん?」
「あたしが出られない時の代打を用意しておきたいの。筒井くんじゃ一日もグラウンドが取れずに終わっちゃう」
 マネージャーにそう言わしめた部長の筒井隆弥は、次期エースとなる一年生の育成に頭を抱えていた。
「荒木さ、投球指導って受けたことあったりしない?」
「さすがにないわ」
 中学では途中入部だし、大阪の高校では未経験者のいないような野球部にいた。従って俺にピッチャーという選択肢が与えられたことはない。
「そもそも何で二年に投手がおらんねん?」
「だって四人しかいなかったんだぜ? ポジション埋めるのに必死だよ」
 それでも普通は――と、言いかけてやめた。この部にセオリーは通用しない。下手なことを言って部長がパンクしたら、それこそ野球部は回らなくなる。白羽の矢が立ってしまった彼はウチのいわゆる扇の要だ。
「ひとまず練習メニュー一緒に考えよか」
「助かる。ウチのマドンナ、実務は完璧なのに野球の知識がザルだからさ」
「そうなん?」
 実務の苦手な部長と野球の知識がザルなマネージャー、上手くはまればいいコンビになるかもしれない。
「……じゃあ、俺のポジションは何やねん?」
「センターじゃないの?」
「え?」
 零れた俺の心の声に反応したのは坂下徹だった。
「そう聞いたけど」
「来てくれたんは嬉しいけど、今日の練習は終わってもうたで?」
「らしいな。相変わらず他の部にグラウンド明け渡して」
 夏休み中とは言え、坂下は私服で学校に潜り込んでいた。少なくとも今日は練習のために来たわけではないだろう。
「柚原と何かあったんか?」
「聞いてくれる?」
 正面切って坂下がこちらを見た時、彼の右耳のピアスに気が付いた。

「結論から言うと、美里にこっぴどく振られました」
 坂下は無駄に明るい調子から入った。自嘲したいのか反省の欠如なのか、判断しかねる。
「振られた理由は分かってるんか?」
「やっぱり『俺に愛がないから』だって」
「愛情表現は上手くいかんかったか」
「そもそも表現するだけの愛情がないんだから無意味だってさ」
「ん?」
「俺にもよく分からない俺の気持ちをどうして美里は分かるんだろうな」
 相変わらず真面目くさった顔してアホみたいなことを言う。
「せやかて、好きやからそういう気持ちが起こるんだって、自分そう言うたやん」
「な、そう思ったんだけど。なんて言うか……初めて異性を意識するようになって、ちょうど目の前にいたのが美里だったってことみたい」
 おいおい。
「でも実際、余裕なかったのもあるけど最中は美里どころじゃなかったし、絶対に美里じゃなきゃダメかって言われるとそうでもない気がするし」
「ちょ、ちょっと待て」
 やったのか、柚原と?
「ちゃんと合意形成は図ったさ。キッパリ別れるためにはそれが一番なんじゃないかって話になって」
 二人は俺の予想の斜め上をいく別れ方をしていた。
「セックスは愛を確かめる行為だって言うけど、愛がないことも確かめられるのねって美里が」
 坂下は淡々としていた。段々、柚原に同情したくなってくる。
「彼女に悪いとか思ったりせーへんの?」
 恐る恐る聞いてみると、表情一つ変えずに坂下は答えた。
「思うなって」
「それは……どういう?」
「徹はずっと正直だったし強要することもなかった。その点では誠実だったから罪悪感は持たなくていい。ただ、私を傷付けたことは覚えておきなさい」
 そう言って彼は右耳のピアスに触れる。
「針構えられた時はちょっと怖かったけど、終わってみると大したことないな」
 柚原が坂下の耳に針を突き刺す姿を想像する。それはなんともシュールかつ滑稽な場面だった。もしかしたら彼女も強がりたかったのかもしれない。
 ……というのは俺のただの願望。
「ちなみに坂下は、好きな子とかおらんの?」
「え?」
「柚原は違った。そうなった時に出てくる別の女の子の顔はなかったん?」
「ないよ」
 深く考えることもなく坂下は断言した。
「だって俺、今なら綾乃にまで欲情しそうで」
「……あかんわ」
「だろ、まずいだろ?」
 斉川綾乃は「まで」と言われるような女ではない。野球部員なら誰もが惚れる、美人で敏腕のマネージャーだ。
「もしかして、前に斉川の顔見てるのがつらいって言ってたのも」
 坂下はしれっと頷いた。
「絶対に手え出したらあかんで」
「分かってるよ」
 いや、分かっていない。
 何度でも言おう。坂下徹は人間的にポンコツなド阿呆である。

 カコーン。

 金属音が響いて俺の打った球が空高く飛んでいく。弧を描いた球がズポッと収まったのは坂下のグローブだった。ノックだから当たり前だけど。
「次、レフト行くでえ」
 カコーン。
 白球がまた高々と上がり、追いかけていったレフトの一年生が万歳。そんなに飛距離を出したつもりはないのだが。
「まあええわ。次、内野行こか」
 ショートの枦田がきれいにトンネルを決めたところで後ろから声が掛かる。
「お見事!」
 ニヤニヤ笑っているのは氷山新希だ。
「楽も転校早々大変ね」
「別に? 今俺、超楽しいけど」
 氷山のおかげで馬鹿みたいに野球が好きなのだ。と、言う機会もなさそうだけれど。
「ねえ。氷山さんの本命は誰なの?」
「え?」
 余計な探りを入れてくるのは斉川綾乃。
「荒木くんも気になるでしょう?」
「いや、俺は……」
 俺が適当な返事を思い付く前に、氷山がしたり顔で嘯いた。
「それって例の、ちゃんと指導してくれる顧問が欲しいって話? あたしに聞いてどうするのよ。楽に聞けば?」
 ポンコツ色男とは大違いである。
 そうこう話しているうちに、ライトから坂下が戻ってきた。
「ノック代わる?」
 そんなつもりで手を止めたのではなかったが、彼にバットを託して俺はセンターへ走る。
「ほな、俺にもボール飛ばしてぇな」
 途中参戦だろうが手を抜くつもりはない。

 カコーン。

 白球がまた、空高く打ちあがった。

                              〈了〉

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