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『ツイテイナイ透の憂鬱』第5回の裏

「透が突然呼び出したんだから、晩飯くらい奢ってくれてもいいだろう?」
 不敵な笑みを浮かべて尋ねた真一に、特に異存はなかった。いつも突飛なことばかりしでかすこの男にしてはまともな要求だと、密かに胸をなでおろしたくらいである。
 しかし真一は飲食店ではなくスーパーに向かい、調理場を求めて我が家に押し掛けた。
「……どうしてそうなる?」
「半分は透のせいだからな」
「は?」
「とりあえずこれから透の胃袋を掴もうと思う」
 しれっと口にする台詞の意味が分からない。
 真一はさっさと手を動かし始めた。材料から察するに、肉じゃがを作るつもりらしい。
「……真一って、料理するのか?」
「基本的に自炊だ。俺としてはむしろ、この部屋が普通にきれいでキッチンが普通に使えることの方が意外だったな。めちゃくちゃ忙しいんだろう?」
「それは……」
 言葉を濁すと、彼はニヤリと笑った。
「さては母親が来てるな」
 確かにこのキッチンを使えるレベルに整えたのは母である。が、それはあくまで一人暮らしを始めた当初のことだ。
「時々家事代行を頼んでいる」
「マジかよ。まあ、お医者様だもんな」
 さらりと納得した真一は、その気になれば稼ぐ能力も手段もあるはずなのに、全くその気にならない男である。自分の気の向くままにしか動けないところも芸術家気質と言えるかもしれない。
「他人が作った料理に抵抗がないなら、むしろ好都合かも」
「……どういう意味だ?」
「いいから付き合ってよ。この子より君に食べてほしいんだ」
 唐突に変化した口調と、真一らしくないニコッと愛想のいい笑顔にピンときた。
「また誰かにとり憑かれたのか」
「君、本当に話が早いね。おかげで私はこうして手料理を振る舞えるわけだけどさ」
 話が早すぎるのは真一だけではなかったらしい。
 そもそも俺はいまだに幽霊を信じていない。この茶番に付き合えば全てが丸く収まると知っているので、話を合わせているだけだ。
「今日は何だ? あんたの最後の晩餐に付き合えばいいのか?」
「最後の晩餐とはちょっと違うな。私は君の胃袋を掴みたいの。最後に『美味しい』って言ってもらうことの方が大事なの」
 そう言って彼が(彼女が?)作ったのは、白米と味噌汁と肉じゃがという、おふくろの味の原風景みたいな夕食だった。
「さあ、食べて」
 言われるままに箸を取る。言葉の圧もさることながら、料理の手際に特に不安を感じなかったからだ。
「……美味しい」
「あら意外。悪くないとか、まあまあだとか、ひねくれたことを言うかと思った」
 くすくす笑う顔が真一であるせいで、どうにも居心地が悪い。
「俺が美味しいって言えば満足するんだろ? さっさと消えたらどうだ?」
「へえ、この子と二人で肉じゃがつつく方がいいんだ」
 その指摘で、グッと言葉に詰まる。
 言われてみれば、このまま相手が真一に戻ったところで、居心地の悪さは変わらないだろう。
「君、何だかんだ付き合いいいでしょう。さっきの高校生のことも気に掛けていたみたいだし」
「高校生?」
 市原くんは中学生だが……と、首を捻る過程で彼のお兄さんのことだと思い至る。
「俺は自分の患者の心配をしているのであって、お兄さんの霊には特に興味はない」
「あらそう?」
 少し意外そうな反応を見せながらも、その人は頷いた。
「確かに君は、医者として弟くんのことだけ心配してあげれば良さそうね」
「だろう?」
 そうして食事を終えると、彼女は満足げにこの世を去った――と解釈できる状態で真一がいつもの真一に戻った。
「え、レシピを教わって俺が作るはずだったんだけど。あの女、何勝手に俺の身体乗っ取ってるの?」
「やってることはたいして変わらないだろう」
「全然違う!」
 その主張もまた理解する気が起きないので、奴の言葉は全て右から左へ受け流しておいた。

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