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『エースは狙わない』

登場人物表
深沢ふかざわ佳澄かすみ(20)…大学二年生。中学時代はテニス部だったが、高校に入ってパッタリやめている。
河西かわにし依織いおり(20)…佳澄の中学の同級生、元々はインドア派だったが車椅子をきっかけにテニスにのめり込む。現在、大学を休学中。
笹木ささき遼司りょうじ(20)…浪人生という名目のニート。受験にこけてから若干やさぐれている。やはり佳澄の同級生で腐れ縁。
中島なかじま啓介けいすけ(18)…高校三年生。依織のテニス仲間で二人は「なんとなくいい雰囲気」に見える。隻足で普段は義足を使用。
結城ゆうき枝里えり(37)…喫茶店の店主。娘に障害があるため、店のバリアフリーには気を遣っている。
深沢ふかざわ幸子ゆきこ(45)…佳澄の母。



〇喫茶店「Little Wheel」(夕方)
   落ち着いた雰囲気の喫茶店。シャレた木製のドアが開いて、女子大生の深沢佳澄(20)が入ってくる。店主の結城枝里(37)が素早くカウンターの中から出てきて、

枝里「いらっしゃいませ」
佳澄「あの、待ち合わせなんですけど」
枝里「依織ちゃんのお友達だ! そうでしょう?」
佳澄「……はい」
枝里「どうぞ」

   枝里が案内したのは一番手前のテーブル。二人席に見えるが窓側の一脚しか椅子がない。

佳澄「この席……?」
枝里「邪魔だから片付けちゃったの。通路も意外と狭いしね」

   卓上に水を置いた後、枝里が視線でカウンターの奥を示す。客席と同じ椅子がぽつんと一脚置いてある。

佳澄「でも、依織が……」
枝里「もうすぐ来ると思うわ」
佳澄「はあ?」

   ひとまず席に着いた佳澄がケータイをチェックする。新着はナシ。喫茶店の位置情報や「とりあえず会おう」といった最新のやり取りから遡り、次の文面で手を止める。

依織(声)「最近、テニスを始めたんだ。よければ相手してよ」
佳澄「……どうして急に?」

   ベルの音、少し遅れてドアの開閉音。

枝里(声)「依織ちゃん、お友達来てるわよ」
依織(声)「ああ、ありがとうございます」

   佳澄が顔を上げると、車椅子(手動のなるべく身軽なもの)に乗った河西依織(20)が入ってきた。

依織「佳澄ちゃん、久しぶり」
佳澄「……え?」

   車椅子に目が釘付けの佳澄。依織が苦笑しながら、

依織「分かりやすいなあ」
佳澄「へ?」

   佳澄、慌てて視線を上げて。

佳澄「久しぶり」
依織「遅いよ」
佳澄「あ、えっと……」
依織「まあいいんだけどね」

   などと言いながら、依織は佳澄の向かいに車椅子を寄せている。

佳澄「ごめんなさい。でも、え? テニス始めたって?」
依織「そう、車椅子テニス。めちゃくちゃ面白いよ」
佳澄「車椅子テニス?」
依織「佳澄ちゃんはテニスやめてたんだね。趣味でも続けてるかと思った」

   枝里が水を出しつつ、

枝里「話し込む前に注文もらってもいい? ウチ一応喫茶店なの」
依織「あ、すみません。じゃあダージリン。佳澄ちゃんは?」
佳澄「へ?」
依織「オーダー」

   メニューに一度目を落とし、

佳澄「……ブレンド」
枝里「あ、ようやくコーヒー飲める若い子が来てくれた」
依織「飲めますよ。飲めるけど紅茶の方が好きなんです」
枝里「はいはい」

   枝里がカウンターの中へ。依織はそれを見届けてから、

依織「驚いた?」
佳澄「どうして?」
依織「それ、説明しないとダメなの?」
佳澄「……ごめん」
依織「言いたくないっていうより、説明が難しいんだ。事故で脊椎損傷半身不随とか、そういう分かりやすいのじゃないから」

   依織がわざとらしい笑みを浮かべて、

依織「でも車椅子って歩けないのが一目瞭然じゃん? だからある意味楽だよね」
佳澄「楽?」
依織「それよりテニスよ、テニス。いつなら空いてる?」

   ついていけない佳澄をよそに、依織がずいと前のめる。

   × × ×

   空になったティーカップとテーブルの向こう側を、佳澄がぼんやりと見つめている。

枝里(声)「ありがとうございました」

   ドアの閉まる音がして、依織の見送りを終えた枝里が戻ってくる。

枝里「あの子は相変わらずね」

   枝里がいることにたった今気付いたかのように、

佳澄「……え?」
枝里「知らなかったのね。依織ちゃんが車椅子だって」
佳澄「私、中学の同級生で……その頃は、全然」
枝里「ってことは五年ぶりくらい? 若い頃の五年は長いわよね」

   反応の鈍い佳澄を見かねて、

枝里「あれ、見える?」

   枝里が窓の外を指す。その先に周囲の民家よりひときわ背の高いネットと外灯が見える。

枝里「さっき依織ちゃんが説明してたテニスコート。障害者向けの施設だけど、依織ちゃんと打ち合うんだったら使わせてもらえると思う」
佳澄「障害者向け?」
枝里「そもそも障害者手帳がないと利用カードが作れないの」
佳澄「……詳しいんですね」
枝里「ウチにもいるからね。小さな可愛い車椅子が」

   枝里に言われて、店名の「Little Wheel」とレトロな車輪のロゴマークが佳澄の目に留まる。

〇深沢家・外観(夜)
   住宅地の一角、通用門からすぐに玄関ポーチへつながる小さな一戸建て(建売っぽい感じ)。佳澄が玄関扉を開けて中へ入っていく。

佳澄「ただいま」

〇同・リビングダイニング
   玄関を入ってすぐのリビングダイニングに佳澄が入ってくる。笹木遼司(20)がダイニングテーブルに着いて、平然と夕食を頬張っている。
   佳澄、先程の「ただいま」よりも低い声で呟くように、

佳澄「ただいま」
遼司「おお、お帰り」

   佳澄が遼司に気付いて、

佳澄「げっ」
遼司「遅かったな。先食ってるぞ」
佳澄「お母さん!」

   佳澄の母、幸子(45)がキッチンカウンター越しに顔を出す。

幸子「何?」
佳澄「何で遼司がいるの?」

   佳澄が遼司をビシッと指差して訴えるが、遼司も幸子も意に介さない。

幸子「買い物帰りにばったり会ったのよ。相変わらずご家族の帰りが遅いみたいだから、ウチで晩ご飯食べていけばって」

   幸子が「ね?」とばかり遼司に笑いかけ、遼司が「はい」とばかりに営業スマイルを返す。

佳澄「帰りが遅いって、あたしもこいつももう二十歳だよ」
幸子「だから? 二十歳なんてまだ子供じゃない」
遼司「佳澄もまだ学生だしな」
佳澄「うるさい。大学生にもなれない奴が言うな」
遼司「医学部は浪人くらい珍しくねえよ」
幸子「遼司くん頭いいもんねえ。佳澄は聞いたこともない学校通って、あれは本当に大学なのかしら?」
佳澄「大学だわ!」

   言い捨てて佳澄が部屋を出る。階段を上る足音と、思案顔で扉の方を見つめる遼司。

〇同・佳澄の部屋
   ベッドに座り込んでいる佳澄。ノックの音に顔を上げると、僅かにドアが開いて遼司が顔を覗かせる。

遼司「入るぞ」
佳澄「勝手に入るな」

   と言っている間にも、遼司は勝手に入ってくる。

遼司「おばさん、マジで俺たちのこと子供だと思ってるよな」

   佳澄が遼司の振る舞いを見て、諦めたように溜め息を吐く。

佳澄「見たくないものは見ないのよ」
遼司「見たくないものでも見たのか?」
佳澄「え?」

   遼司が佳澄の隣に遠慮なく座って、

遼司「やけにご機嫌斜めだな、と思って」
佳澄「別に」
遼司「何でもないのに不機嫌なのか?」

   佳澄は逆に遼司と距離を取るために立ち上がる。

佳澄「それはあんたのせい」
遼司「で、何があった?」
佳澄「……河西依織って覚えてる?」
遼司「誰?」
佳澄「中学の同級生」
遼司「……誰?」
佳澄「まったくこの男は」
遼司「かわにしいおり……?」

   遼司はベッドの隣にある本棚から卒業アルバムを引っ張り出す。

佳澄「ちょっと」

   早々にクラスのページを開いて、

遼司「いた」

   中学時代の依織の写真はおかっぱに眼鏡で、喫茶店で佳澄と会った女子大生の依織とはだいぶ雰囲気が違う。結局佳澄も写真を覗き込んで、

佳澄「……あれ、こんなんだったっけ?」
遼司「こいつに会ったの?」
佳澄「ていうか呼び出されたの」
遼司「何で?」
佳澄「……」
遼司「言っちゃえよ」
佳澄「テニス始めたから相手してくれって」
遼司「ハッ、テニス?」
佳澄「それも車椅子テニス」
遼司「え?」
佳澄「車椅子だった、河西依織」
遼司「……え?」
佳澄「だから――」

   遼司が急にニヤニヤして、

遼司「何それウケる。何で?」
佳澄「ウケるって」
遼司「何で何で?」
佳澄「知らない。教えてくれなかった」
遼司「……何だ」

   遼司はベッドの上にアルバムを開いたまま放る。

佳澄「ちょ、あたしのアルバム」
遼司「それで?」

   再びベッドに座る、もしくは勉強机から椅子を引っ張り出して座るなど、遼司は勝手知ったる感じで腰を落ち着ける。

遼司「車椅子テニスってどうやってやんの? 佳澄もそれ乗るわけ?」
佳澄「いや、依織が車椅子ってこと以外は普通にテニスなんだって。コートも一緒だし道具も同じ硬式のやつで」
遼司「へえ」
佳澄「え、やらないよ? 後で断る」
遼司「何で? やればいいじゃん。別に勝たなきゃいけない試合じゃないんだし」
佳澄「でも」
遼司「あ、逆か。ボコボコにしたら寝覚めが悪いとか思ってるんだ」
佳澄「……」
遼司「(ニヤニヤしながら)そりゃそうか。相手は車椅子だもんな」
佳澄「そんなんじゃ」
遼司「いや、もう遅いって」

   げんなりする佳澄に、

遼司「いいじゃん、河西だって元テニス部に勝てるとは思ってないだろ。変に気を遣われるよりいい、とか言うんじゃないの」
佳澄「何でそれを遼司が言うの?」
遼司「だって今俺とお前しかいないじゃん」

   佳澄のケータイが鳴る。先に気付いた遼司が手に取り、待ち受けに浮かんだメッセージを見て笑う。

遼司「ほら、やっぱり」

   遼司が突き付けたケータイの画面には「言い忘れたけど真剣勝負ね」とあった。

遼司「マジウケる。俺この試合観に行くわ」
佳澄「はあ?」
遼司「あとで日時とか送って」

   佳澄の手にケータイを握らせ、遼司は出ていく。

佳澄「……何なの?」

   佳澄がケータイ画面を見つめる。

佳澄「真剣勝負、ねえ……」

   再び扉が開いて遼司が顔を出す。

遼司「おばさんが晩飯食わないのかって」
佳澄「は?」
遼司「食わないの?」
佳澄「……食べるよ、もう」

   遼司がいなくなると、佳澄はケータイを置いてベッドに放られていた卒業アルバムを手に取る。視線の先は生真面目な顔をした遼司の写真。

佳澄「あいつもこの頃は格好良かったんだけどな」

   アルバムを本棚に戻し、佳澄は部屋を出ていく。

〇スポーツセンター・外観(昼)
   入り口の前に立つ佳澄と遼司。出入りする車椅子や白杖を持つ人に若干気圧されている。

遼司「こいつらみんな障害者で、そのくせ楽しく汗を流してるわけ?」
佳澄「言葉遣い!」

   多少緊張した様子で二人、館内へ入っていく。

〇同・受付
  スタッフにテニスコートの場所を尋ねている佳澄と遼司。

〇同・通路など
   佳澄と遼司がコートに向かうまでの道のり、途中で他の競技者とすれ違うなど活気づいた様子が伝わる。

〇同・テニスコート
   フェンスの入り口から中を覗き込む佳澄と遼司。数面ある内の手前のコートで、競技用車椅子に乗った依織の姿を発見する。

佳澄「あれだ」

   次いで依織のラリー相手をしていた高校生、中島啓介(18)の存在に気付く。佳澄が眉をひそめて、

佳澄「誰?」

   更にその佳澄に啓介が気付いて、

啓介「依織さん」

   と言いながら佳澄たちをラケットで示す。依織が振り返り、車椅子をこいで二人の方へ。
   その間に啓介は一度ベンチへ向かう。

依織「来たね」

   依織が遼司の顔を見つめて、

依織「……どこかで見た気がする」
遼司「一応俺も同級生なんだけど」
依織「え? あ、ごめん」
佳澄「(笑いながら)大丈夫、こいつも依織のこと忘れてたから」
遼司「言うなよ」
依織「彼氏同伴か」
佳澄「あ、違うから。こいつが彼氏とかマジで勘弁」

   思わず語調を強くする佳澄。

依織「……じゃあ何しに来たの?」

   佳澄が言葉に詰まって遼司を見る。遼司は何食わぬ顔で、

遼司「普通に見学だけど」
依織「ふうん」

   依織は二人の仲に疑いの目を向けたまま頷く。そこへ車椅子を降りた啓介が歩いてきて、

啓介「深沢佳澄さん?」
佳澄「あ、はい」
啓介「その格好で試合するの?」

   改めて、佳澄の格好は「少しラフな普段着」という感じ。

佳澄「ウエアもうなくて。ラケットも貸してくれるって聞いたし」
啓介「……なめてる」
依織「いいじゃん。あたしも最初に来た時なめてる格好だったし。(佳澄に)あたしもうアップは済んでるから、佳澄ちゃんも適当に身体動かしといて」
佳澄「あ、うん」
依織「見学はこっちね」

   と、遼司をコートサイドのベンチに案内する。

   × × ×

   試合の準備を終え、コートの両側についた佳澄と依織。

依織「あたし試合って初めてなんだけど、とりあえずワンゲームマッチでいい?」
佳澄「いいよ。あたしも久しぶりだし」
依織「だからえっと……四本先取か」
佳澄「大丈夫?」
依織「大丈夫。あ、車椅子テニスはツーバウンドまでオーケーだから」
佳澄「え、聞いてない」
依織「今言った」
佳澄「ちょっと――」
依織「行くよ」

   依織がサービスの体勢に入り、半ば強制的に試合がスタート。一球目は依織のサービスエース。いいコースを突いていて佳澄は動けない。(15-0)

依織「あれ、佳澄ちゃんこそ大丈夫?」
佳澄「……当たり前でしょう!」

   佳澄がボールを拾いにいき、

佳澄「ワンゲームマッチなら次はあたしのサーブね」

   佳澄のサーブで試合再開。

   × × ×

   ベンチで試合を見ている遼司。二本目はラリーが続いているのを見て、

遼司「なんだ試合っぽくなってるじゃん」

   啓介が遼司の隣に歩み寄って、

啓介「ですね、ブランクあるって聞いてたんで心配でしたけど」
遼司「……え、そっちの心配?」
啓介「はい」

   一瞬、見つめ合う遼司と啓介。

遼司「君は……」
啓介「あ、啓介です。中島啓介」
遼司「啓介くん?」
啓介「はい」

   遼司は立っている啓介の足元をチラチラ見ている。

啓介「気になるなら聞いてください」
遼司「……啓介くんは、歩けるんだよな?」
啓介「まあそうですね」
遼司「何で車椅子テニス?」

   啓介は黙って右足の裾を引っ張って、義足を見せつける。

遼司「うわ」

   遼司は慌てて目をそらし、わずかに顔をしかめる。

啓介「なかなかいい反応してくれますね」
遼司「へ?」
啓介「まず見せるって、分かりやすい手法でしょう?」
遼司「(ハッとして)その手法、河西にも教えたろ?」

   啓介は笑って誤魔化し、コートへ視線を向ける。

   × × ×

   ラリーが続いていたが依織の打球がネットに引っ掛かり、佳澄がポイントを取り返す。(15-15)
   ベンチから啓介の声が飛ぶ。

啓介「ドンマイ、依織さんいい感じですよ」

   依織が啓介に向かって頷き、ボールを拾いに行く。

   × × ×

   啓介が次の依織のサーブを見届けてから、

啓介「どうしてテニスかってことなら、個人プレーの方が気が楽だからです。バスケとか僕には絶対無理」
遼司「ああ、そう」
啓介「そちらは……」
遼司「俺は笹木遼司」
啓介「遼司さんもテニスを?」
遼司「いや、俺はスポーツは別に」
啓介「そうですか」

   二人が再びコートに視線を戻す。今度は佳澄の返球がノーバウンドでコート外へ。(30-15)
   いつの間にか本気で悔しがっている佳澄に、これまた本気でボールを追いかけていた依織がボールを渡す。次のサーブ順は佳澄。

啓介「依織さん、めっちゃ運動神経いいですよね。本当は何やってたんですか?」
遼司「本当は?」
啓介「スポーツ経験はゼロだって言い張るんですよ? いや、絶対何かやってたでしょう」
遼司「……何もやってなかったと思うけど」
啓介「本当ですか?」
遼司「いや、俺も顔見てようやく思い出したくらいだからハッキリしないけど……確か河西って、本の虫っていうの? そういうタイプだったはず」

   × × ×

   二人のラリーから、依織の打ったボールがラインギリギリに。

佳澄「アウト!」
依織「いや、今のはインでしょう?」
佳澄「アウトだってば」
依織「啓介くん、見えた?」
啓介「アウトです」
佳澄「ほら!」

   得意げに言い放ってから、佳澄がボールを拾いに行く。(30-30)

依織「(冗談っぽく啓介に)この裏切り者」
啓介「いや、勝負ですから」

   ボールを手にした佳澄がふと考え込むように、

佳澄「……ねえ、依織ってテニス始めてどれくらい?」
依織「ん? やり込むようになってからは三ヶ月くらいかな」

   依織が確認をとるように啓介に視線を向ける。

啓介「ですね」
佳澄「そう……」

   佳澄が依織にボールを渡し、再びラリーが始まる。

   × × ×

   ベンチの男二人。遼司がニヤニヤしながら呟く。

遼司「押されてるなあ」

   その遼司を見て啓介が嬉しそうに、

啓介「そう見えますか?」

   途端に遼司は白々しい態度で、

遼司「さあ? 俺はテニスとかよく分からないんで」

   啓介、思わず笑う。

啓介「引きずりの高校生相手に猫被る必要もないでしょう」
遼司「……そりゃそうだ」
啓介「で、この試合どう見てますか?」
遼司「まあ俺は本当にテニスのことなんかよく分からんけど。あれって実は簡単なんだろ?」
啓介「あれ?」
遼司「こいで打ってって。河西は三ヶ月で習得できたわけだし」
啓介「そりゃできなきゃ話になりませんけど、結構難しいと思いますよ。ほら」

   啓介がそう言った矢先、依織がボールの真正面に突っ込んでしまう。ラケットを振ることができず身体でボールを受ける。(30-40)

啓介「またやっちゃった」
遼司「(鼻で笑いながら)また、ね」
啓介「でもここまで上出来です。たぶん、依織さんは本気でボールを追っかけるから上達が早いんじゃないかな」
遼司「本気で?」
啓介「僕もそうでしたけど。覚えたての頃ってスマッシュとかスピンの掛かったサーブとか、そういう攻撃的な打ち方が楽しくなっちゃうじゃないですか」
遼司「……そう言われても」
啓介「その点、依織さんは最初からとことんボールを拾いにいく姿勢っていうかな、そういうのがあった気がします」
遼司「(棒読み気味に)へえ」

   × × ×

   二人のラリーが続いている。左右に振られてもボールを追う依織。

   × × ×

啓介「まだ戦術どうこうって段階ではないですけど、勝ちにいくより負けないプレイスタイルってやつですね」
遼司「ふうん」
啓介「ホント筋がいいと思います」
遼司「べた褒めだな」
啓介「そうですか? まあ僕が褒めても仕方ないんですけど」

   嬉しそうな啓介を見て、遼司が眉をひそめる。それからふと気が付いたように、

遼司「そう言えば啓介くんって――」
啓介「あ!」

   × × ×

   依織の打ったボールがネットの上部にかかり、佳澄と依織がそれぞれ焦った表情を見せる。
   ボールはかろうじてネットを越えてイン。佳澄は追い付けず。(40-40)

依織「ラッキー」

   佳澄がネット前に転がっているボールを拾い、依織に投げる。二人ともだいぶ息が上がってきている。

佳澄「デュースになっちゃったけど、どうする?」
依織「うーん、次を取った方が勝ちにしようか」
佳澄「オーケー」
依織「(啓介に)ってことだから」
啓介「了解です」

   依織がサーブを打つ。数ターンの後、佳澄の返球はワンバウンドでは追い付けそうにないコースへ。佳澄が勝利を確信して足を止める。
   しかし依織はツーバウンドの間にボールの軌道に回り込み、角度のついたショット。

佳澄「え?」

   佳澄は動けないまま、ボールはコート内できちんとバウンドして後方のフェンスへ。
   一瞬の静寂。
   それから依織が両手を突き上げる。

依織「勝った!」
佳澄「……」
啓介「依織さん、やったじゃないですか」

   コートに入ってきた啓介と依織がハイタッチ。笑い合う二人に割り込むように佳澄が近づきながら、

佳澄「待ってよ。今のは――」
啓介「車椅子テニスはツーバウンドまでオーケーです」
佳澄「そんな」

   憮然とする佳澄、その目の前でひとしきり喜んだ依織が急にへたりこむ。

依織「あ、もう無理」
啓介「大丈夫ですか?」
依織「ダメ。啓介くん後ろ押して」
啓介「無茶言わないでください」

   などと言い合いながら二人でベンチの方へ戻っていく。

佳澄「何それ……?」

   納得がいかない表情の佳澄。

〇喫茶店「Little Wheel」(夕方)
   男女四人でテーブルを囲んでいる。卓上には既に依織と啓介の紅茶、佳澄と遼司のコーヒーがある。枝里がホールのアップルパイを運んできて、

枝里「お待たせ致しました」

   パイが置かれると同時に依織が目をキラキラさせて、

依織「そう。この丸いままがね、人数いる時しか頼めないからね。ありがとうございます」
枝里「ごゆっくり」

   枝里がテーブルを離れる。依織が率先してアップルパイを取り分け、以降は適当に食べたり飲んだりしながら、

佳澄「なんか常連さんって感じ」
啓介「この店、バリアフリーが行き届いているからセンター利用者の評判がいいんですよ」
依織「段差もないし」
啓介「トイレも広いし」
依織「あとあれ、インターホン」

   依織と啓介がお互いを指差し合うような感じで、

二人「店長の人力自動ドア」
啓介「やっぱり一番のバリアフリーは人の意識なんだって、実感しますよね」
依織「だいぶ苦肉の策って感じだけど」
枝里「聞こえてるわよ」

   と、枝里がカウンターから言葉を投げたので、

依織「感謝してます」

   と、依織は一瞬だけ枝里の方へ振り返る。

啓介「えっと、改めまして中島啓介です。高校三年生です。依織さんとはセンターで知り合いました」
佳澄「(依織に)彼氏?」
依織「違うわ」
啓介「そういう勘違い、大歓迎です」
依織「こら」
啓介「皆さんは中学の同級生なんですよね」
依織「卒業してから全然会ってないけど」
啓介「でも、テニス始めたって時に連絡を入れるくらい仲は良かったんですよね」

   依織が佳澄と視線を合わせ苦笑する。

依織「そうねえ」
啓介「佳澄さん、試合どうでした」
佳澄「……どうって?」
啓介「何か感想とかないですか?」
依織「あ、あたしも聞きたい」
佳澄「感想って言われても……」
遼司「負けて今めっちゃ悔しがってる」
佳澄「ちょっと!」
遼司「(意地悪くニヤニヤしながら)最後なんてポカーンとしちゃって」
佳澄「あれはだって、ツーバウンドのルールが頭に入ってなくて」
依織「試合前に言ったじゃん」
佳澄「直前にね。デュースの前のネットインだって完全に運でしょ」
遼司「ほら、そういうところ」

   黙り込む佳澄、どんどん不機嫌になっていく。

啓介「別に負けず嫌いは悪いことじゃないですよね?」

   遼司が嘲笑を見せる。

遼司「こいつの場合すぐに不貞腐れちゃうからさ。結局負けるのが嫌でテニスやめちゃったんだもんな」
依織「……そうなの?」
佳澄「別に、負けたからじゃない」
遼司「高校に入ったら自分より上手い奴がいくらでもいた。大会のメンバーにも選ばれなかった。それって負けたってことじゃないの?」
依織「大会メンバーって、テニスは個人戦でしょう?」
啓介「団体戦もありますよ。部活動ではそっちがメインの学校もあると思います」
佳澄「いちいち解説しなくていい」
啓介「……すみません」
遼司「初対面の高校生に当たってら」

   佳澄、ニヤニヤの止まらない遼司を睨みつける。

遼司「勝てない試合は放棄するのが負けず嫌いだっけ?」
佳澄「……あんたに言われたくないわ」
遼司「ん?」
佳澄「あんたにだけは言われたくないって言ってんの。受験に失敗してからニート街道まっしぐらのくせに」
遼司「はあ? 俺は――」
佳澄「浪人生ってのはね、目標に向かって毎日毎日朝から晩まで勉強してるのよ。あんた最後に参考書開いたのいつ?」
遼司「……」
佳澄「そもそも医学部受けようって人間が障害者に差別意識剥き出しってどうなの?」
遼司「はあ?」
佳澄「あんたずっと見下した態度取ってるじゃない。そんな人間が医療の現場に立てるわけがないのよ」

   遼司、不貞腐れてそっぽを向く。

啓介「……あ、でも遼司さんはわざわざ試合を見に来ましたよ」
佳澄「その態度が悪すぎるって言ってるの」
啓介「だとしても、見に来てくれたんです。冷やかしで来るにはなかなかヘビーな場所だったと思います」
依織「確かに」
啓介「それに、二人の真剣勝負を遼司さんはちゃんと見届けてくれました」
遼司「……だから何だよ?」
啓介「驚いたでしょ? ちゃんと試合になっていて」
遼司「別に」
啓介「でも隣にいて、結構楽しそうに見えましたよ」
遼司「あれは、佳澄が焦ってんのが笑えただけ。(わざと嫌味たらしく)車椅子相手にだっせえなって」
啓介「(ケロッと)同じじゃないですか」
佳澄「ひねくれてるのよ、こいつは」
依織「佳澄ちゃんは他人のこと言えないけどね」
佳澄「え?」
依織「試合、断るつもりだったでしょう?」
佳澄「……」
依織「まあ断るよね。あたしだったら断るもん。だから車椅子のこと知らない状態でまず会っちゃって、店長って証人を立ててできるだけ断りづらくしておいて……笹木くんのことは知らなかったけど、佳澄ちゃんが来たのが笹木くんのおかげだったのなら態度はともかくありがたい」

   依織が唐突に啓介の方を向き、

依織「って、啓介くんが言いたいのもそういうことでしょう」

   啓介は首を傾げる。

啓介「……そういうことなんですか?」
依織「ということで笹木くん、佳澄ちゃんを連れてきてくれてありがとう」

   依織は少々ふてぶてしい顔を遼司に向けてみせる。

遼司「河西は何なんだ?」
依織「ん?」
遼司「歩けなくなったくせに」
依織「あ、それ言っちゃう? でもね、他の車椅子ユーザーから怒られそうだからあんまり言いたくないんだけど。あたし今、困ってないんだ」
遼司「は?」
依織「そりゃ不便なことはあるけどさ、もともとインドア派だったから……家でゴロゴロ本読んだり映画観たりするのに歩けるかどうかって全然関係ないじゃん。まだ学生だし、大学一年休学して趣味を満喫して。いやあ楽なもんよ」
遼司「……何言っちゃってんの?」
依織「不謹慎なのは分かってるけど、先に不謹慎なこと言ったのは笹木くんだからね」
啓介「ちょっと依織さん」
依織「ごめん、すぐ隣に啓介くんがいること忘れてた」
啓介「僕は、いいですけど……」

   啓介はちらりと枝里の方を見る。素知らぬフリの枝里。

佳澄「聞いていい?」
依織「何?」
佳澄「どうしてテニス始めたの? 車椅子以前に依織がスポーツって、あたしそこから引っ掛かってたんだ」
依織「……歩けなくなったから?」
遼司「は?」
依織「あたし、めっちゃ足遅かったじゃん。体育の成績もボロボロでスポーツとか大嫌いだった」

   佳澄、曖昧に頷く。

依織「でも気付いたの。車椅子テニスって、走らなくてもいいじゃん」
佳澄「……え、本気?」
依織「大真面目だよ。だって見た? 百メートル走じゃクラスで断トツ足の遅かったあたしが、佳澄ちゃんと同じレベルで打ち合ってるんだよ」
遼司「同じレベルなのは佳澄のブランクが長かったからだろ」
依織「だろうね。でも問題はそこじゃない、あたしでもボールに追いつける。ボールに手が届く。それが重要なんだ」

   依織、佳澄に挑発的な目を向けて。

依織「あたしは運動音痴じゃなかったよ」
佳澄「え?」
依織「今までのツケで体力は全然ないけど、反射神経は悪くないし器用だってよく言われる。佳澄ちゃんが言うほど何にもできないわけじゃない」
佳澄「あたしが言うほど?」

   依織が苦笑して、

依織「ああ、覚えてないか。こういうのは言った方は覚えてないもんだよね」
佳澄「……」
依織「別に他の競技でも良かったんだけど、どうせなら佳澄ちゃんと打ち合ってみたかった。佳澄ちゃんを見返したかった。でも――」

   依織は佳澄と遼司を順に見て、

依織「この調子じゃ、見返すまでもなかったかな」
佳澄「何、言ってんの?」
依織「できれば現役バリバリ負けん気剥き出しの佳澄ちゃんと試合して勝ちたかったんだけどなあ」

   依織が俯き声を落として、

依織「勝てるまで、何度でも挑んでみたかったのに……」

〇路上
   喫茶店を出て十数メートルほどの路上。黙って歩いていた佳澄と遼司を、追いかけてきた啓介が呼び止める。

啓介「すみません!」

   立ち止まり振り返る二人。

啓介「えっと、あの……今日はありがとうございました」

   啓介が頭を下げる。

佳澄「お礼を言われるようなことはやってないんだけど」
啓介「いいえ、来てくれただけで本当に嬉しかったんです。僕も、たぶん依織さんも」
佳澄「(遼司に)だって。じゃああんたのお手柄だね。あたしは断るつもりだったから」
遼司「俺だって差別意識丸出しで冷やかしに来ただけだし」

   遼司、言ってしまってから居心地悪そうに、

遼司「でもまあ、あれだな。河西も車椅子であれだけ負けん気発揮してるんだからすげえ奴だよな」
啓介「車椅子で……」
佳澄「困ってないわけがないのにね」
啓介「違うんです」
佳澄「え?」
啓介「依織さん、歩けなくなったわけじゃないらしいんです」
遼司「は?」
啓介「いや、詳しいことは僕も分からないんですけど。リハビリすればまた、歩けるようになる……のかも? 全然ハッキリしなくて申し訳ないというか、そもそも僕が話すことじゃないんでしょうけど」
佳澄「そう言えば、最初に何でって聞いた時『説明が難しい』って」
啓介「たぶん本当に難しいんだと思います」
佳澄「車椅子は一目瞭然だから楽っていうのも」
啓介「(頷いて)まず見せるって手法は、依織さんから教わったんです」
遼司「そうなのか」
啓介「日常生活でなかなか義足は見せびらかしませんよ」
遼司「(意外と残念そうに)なんだ」
佳澄「依織は、車椅子を見せびらかしてるんだ」
啓介「(頷いて)だからつまり、依織さんはリハビリそっちのけでテニスをやっていることに」
遼司「そんなことあるもんなのか?」
啓介「さあ、分かりません。人間が歩けなくなる理由って僕らが思っているよりもたくさんあって、人それぞれなので」
遼司「……啓介くんは?」
啓介「僕ですか? 僕は腫瘍が見つかった右足ぶった切っただけですよ」
遼司「だけってことはないだろう」
啓介「頑張れば残せるかもしれない、とは言われたんですけどね。使えない自分の足より使える義足の方が便利だったんで」
遼司「そういうものか」
啓介「……そう言えば遼司さん、お医者さん志望でしたね」
遼司「俺の話はいいんだよ」
啓介「僕の話も別にいいです」
佳澄「わざわざ依織の話をしに来たんだもんね」
啓介「!」

   佳澄は生暖かい笑顔で、

佳澄「それで?」
啓介「テニスやってる姿見て思いますけど、依織さんもすごく負けす嫌いなんですよ。リハビリに根を上げるような人には見えなくて……だから不思議だったんです。まさか本当にリハビリよりテニスを推奨されるわけがないし」
遼司「されてたらウケるな」
佳澄「ウケない」

   啓介が笑顔で受け流して、

啓介「でも今日ちょっと分かった気がして。依織さんは単純に勝ちたかっただけかもしれないなと」
佳澄「勝ちたかった?」
啓介「はい。もっと正確に言うなら『負けたくなかった』のかもしれませんけど」
佳澄「負けたくないって、誰に?」
啓介「あなたにです。佳澄さん」
佳澄「え?」

   呆気にとられる佳澄を見て、遼司が笑い出す。

遼司「マジかよ」
啓介「車椅子なら勝てるかもって、とんでもない発想ですよね」
遼司「で、自分の中の優先順位が逆転しちゃったわけだ」
啓介「身体障害者ってある意味合理的なんですよ。使えるところを使って、使えるものを使って活動するんで」
遼司「確かに。啓介くんも自分の足より義足を選んだんだもんな」

   啓介が嬉しそうな笑顔を見せて、それに気付いた遼司がまたぶっきらぼうな態度に戻る。

遼司「とんだ屁理屈だぜ」
佳澄「あんたって奴は」

   啓介が改まったように、

啓介「佳澄さん」
佳澄「え、はい」
啓介「今度、僕とも試合してください」
佳澄「えっと……」
啓介「佳澄さんの実力はあんなものじゃないでしょう?」

   返事こそしないものの、こぶしを握るなど佳澄の負けん気が煽られているのがわかる。啓介もそれを認めて、

啓介「約束ですよ。あと遼司さん」

   完全に油断して佳澄と啓介のやり取りを見ていた遼司。

遼司「え?」
啓介「勉強教えてください」
遼司「……はい?」
啓介「だって、遼司さんも受験生なんですよね。それも医学部を考えてるくらい頭がいいんですよね」
遼司「それは……」
啓介「教えることも勉強だって、よく言うじゃないですか」
遼司「はあ?」
啓介「お願いします。じゃあ」

   啓介はニッコリ笑顔を浮かべ、一礼すると来た道を引き返す。
   残された二人は小さくなっていく啓介の後ろ姿を眺めながら、

佳澄「あの子、相当依織のこと好きだよね」
遼司「だな」
佳澄「羨ましいな」
遼司「青春時代って感じ?」
佳澄「……いや、あたしたち二つしか違わないんだけど」
遼司「じゃあお前、あんなキラキラした笑顔できるか?」
佳澄「自信ない」

   二人して苦笑しながら、帰り道を歩き出す。

遼司「試合中に啓介くんと少し話したんだけどさ」
佳澄「うん?」
遼司「テニスってボールを打ち返している間は負けないスポーツなんだと」
佳澄「(不可解そうに)そうだね」
遼司「だから啓介くん的には、勝ち気よりも負けん気の方が大事なんだってさ」
佳澄「それは……エースを決めた時よりラリーを落とさなかった時の方が達成感があるって話?」
遼司「そうなの?」
佳澄「まあ人にもよるかもしれないけど」
遼司「ふうん」
佳澄「エースを狙うよりその後のこと考えてるしね」
遼司「そっか。エースは狙わなくていいのか……」

   交差点に差し掛かり、赤信号で二人は足を止める。

遼司「啓介くんの志望校ってどのレベルだろう」
佳澄「どうした急に?」
遼司「サインコサインって何ですか? くらい可愛い質問をしてほしいなあ」
佳澄「……え、教えるの?」
遼司「別に教えたいわけじゃないけど、ああいう手合いは断ったって押しかけてきそうだからさ」
佳澄「(笑って)あり得る。あたしも少し身体動かしとこうかな」
遼司「とか言って、本当は河西にリベンジしたいんだろう?」
佳澄「……」
遼司「見事に負けず嫌いが揃ったもんだ」
佳澄「それ、遼司も他人のこと言えないからね」

   信号が青に変わり、二人は再び歩き出す。

                              了




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