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連作短編『愛とiと』4-前編

四、斉川綾乃

 今年の夏も完敗だった。
 メンバーが九人ギリギリなのは例年のことで致し方ない。実績がなければグラウンドの使用権も取りづらいので練習不足の解消も難しい。そんなことよりウチの野球部の根本的な問題は、勝つ気がないことだ。
「それ、あんたもでしょう」
 氷山さんがぶっきらぼうに言う。はい、全く以てその通り。
 一学期最後の日、練習場所の取れなかった我が野球部は折角の午後の時間を持て余し、あたしは氷山さんと女子会みたいなことをしている。
 彼女とは荒木くんの入部をきっかけに初めて言葉を交わした。ずっと枦田くんとの仲を疑っているのだけど、彼女が聞き役に回ろうとする(あたしも聞かれるとつい自分の話をしてしまう)ため、まだ確証が得られていない。
「で、坂下徹は現れたの?」
「一応、試合には」
 坂下くんが練習に来なくなったのは中間試験が明けた頃。それが柚原さんと付き合い出した時期と重なることも、もうみんな分かっている。
 無断欠席を黙認していた部長が大会を前に「念のため」連絡を入れてみたところ彼はあっさり現れた。
「よくそれで試合に出したわね」
「坂下くんが一番上手いことには変わりないんだもん。来るって分かった時点で四番ライト」
 ただ、ついてきた柚原さんが一番目立つところで応援を始めたのだ。基本的に能天気なウチのメンバーもこれにはまいった。
 特に枦田くんは、多分、試合どころじゃなかった。
「あたしは柚原美里のふてぶてしさ、嫌いじゃないけどね」
 氷山さんが意地悪な笑みを浮かべる。
「あの女『坂下徹と付き合ってますアピール』に余念がないじゃない? やり方がちょっと汚いけど、それは坂下がボケっとしてるせいでもあるし」
「……他人事だと思って」
「他人事よ。仁はそろそろ他人事だって気付くべきだわ」
「それは、確かに」
 坂下くんが誰と付き合おうが枦田くんが怒る理由はないはずなのだ。
「そもそも斉川は何であのもどきが好きなの?」
「もどき?」
「優等生もどき」
 ちょっと分かる気がする。
 とは言え、坂下くんをそう呼べるのは氷山さんくらいだろう。期末試験の学年順位は彼女が二番で彼が四番。
「坂下くんってさ、いきなり、何の脈絡もなくあたしをマネージャーに誘ったんだよね」
「そうなの?」
 その時のあたしは吹奏楽部で人間関係に悩まされているところだった。パートによって分けられたグループにかろうじてしがみついていたけれど、ついていけなくなるのは時間の問題だった。
 昔からあたしは同性に嫌われる傾向がある。取り繕わなくていい女友達は氷山さんが初めてかもしれない。
「声を掛けられた時、なんと言うか『王子様が迎えに来てくれた』みたいな錯覚を起こしちゃったの」
「それは……」
「馬鹿みたいでしょう?」
 おまけに坂下くんはイケメンだった。
 勉強もできて野球部の一年生レギュラーで(弱小野球部では珍しいことではなかったけれど)そんな男にあのタイミングで声を掛けられたら惚れないわけにはいかない。
「ちょっと鈍感なところも含めて、少女漫画の王子様みたいだと思わない?」
「……ちょっと?」
「そこですか」
 特定の誰かがいるわけじゃない。マネージャーなら一番近くにいることができる。それこそ少女漫画のヒロインような思考回路で入部したあたしを野球部員は誰一人とがめなかった。
「まあ、あんた仕事はできるしね」
「誰でもできるようなことばっかりだよ」
「そんなふうに謙遜するから『敵』が付け上がるのよ。麦茶とスポーツドリンク作り続けるだけでもあたしは三日で嫌になるわ」
 似たようなことを以前、枦田くんに言われた気がする。偶然だろうか? それとも……。
「マネージャーとしてお近付きになって、それから?」
「え?」
「それから約一年、斉川は何をしてたの?」
「……マネージャー業務」
 氷山さんは溜め息を吐いた。
「でもあたしね、一緒にいられるだけで結構……幸せだったんだよね。多分」
「それでこの前の最後の質問が『練習に来ない選手に対して何て言う?』だったわけ?」
 頷くしかない。
 だってあたしには坂下くんに文句を言う権利も柚原さんに嫉妬する権利もない。せめてマネージャーとして「部活には来て欲しい」と言うくらいしか、できることなんかないのだ。
「じゃあ試しに声掛けてみればいいじゃない。先輩から招集受けて試合に出る男なら、マネージャーから説教食らえば練習にだって来るかもしれないわよ」
「……」
 気軽に「お試し」できるのであればとっくにしている――という感情を、彼女はあたしの表情から見事に読み取った。
「野郎どもにも問題があるのか。あんた愛されてるわね」
「そんなこと……」
 ただ、坂下くんが試合に出たことは確実に裏目に出ているのだ。
「いっそあの男がいなくても野球部は回るってところ、見せてやりましょうか? もどきからすればそっちの方が焦るかも」
「それは……人数的に不可能なんだけど」
 三年生が抜けてから現役の部員は八人しかいないのだ。助っ人要員として登録している幽霊部員が何人かいるけれど――ウチでは敬意をこめて「非常勤」と呼んでいる――彼らに「負け試合に付き合っている」と思わせないためのカードさえも坂下くんなのである。
「できるわよ」
「まさか」
「楽がいればね」
「荒木くん?」
 そう言えば彼、引っ越しが決まってから真っ先に前の学校で退部届を出したらしい。転校の時期もきりよく九月からでも良かったのに可能な限り前倒したらしい。
 新しい学校で少しでも早く野球を始めるために。来年の夏、万が一にも出場停止規則に引っ掛からないために。
「相当野球が好きみたいね。まあウチも、あれだけ負けても野球をやめない物好きが揃ってるわけだけど」
「楽は野球、上手いわよ。坂下よりもずっとね」
 氷山さんが不敵に笑う。
 中学の同級生ってだけでここまで言うだろうか。枦田くん、他人の心配している場合じゃないかもしれないよ。

                              <続く>

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