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『ツイテル僕と兄貴』最終回

「さて本題だ。譲くん、調子はどうだい?」
「僕ですか? 咲良姉ちゃんではなくて」
「咲良ちゃんは白い羊だ。幼馴染一筋だろうが新しい恋に目覚めようが俺には関係ない」
 亀山さんがじっと僕を見つめる。
「でも、譲くんは兄貴とはいえ幽霊を憑依させた黒い羊だから、先輩として心配してやってもいい」
 上から目線な物言いに戸惑うと同時に、兄貴の件でも兄貴と咲良姉ちゃんが二人の世界で、自分は完全に蚊帳の外だったことを思い出す。
「……どうして、今更?」
 出来の悪い弟のひがみをたっぷり込めて尋ねると、亀山さんは何食わぬ顔で人差し指を立てた。
「一つ、譲くんが困っていたのは基くんの対処だった。そちらを優先させたことに特に文句はないだろう?」
 言われてみればその通りだと、僕が頷くと続いて彼は中指を立てる。
「二つ、今回のことをきっかけに譲くんの霊能力が目覚める可能性がある。幽霊ってやつは気にすれば気にするほど見えるようになるものだから黙っていても良かったんだが」
 既に何度も身体を乗っ取られている僕の場合、警告した方がいいと判断したらしい。今のところ特に変わったと感じることはないけれど、霊能力者に心配されるとちょっと怖い。
 更に亀山さんは薬指を立てた。
「三つ、君は既に透の価値と連絡先を知っている。君が幽霊に遭遇する度に透を頼られると非常に困る」
 ずっと聞き流していた野々村先生が、初めて反応を示した。
「そうだな。これ以上振り回されるのは勘弁してほしい」
「透はもう譲くんの掛かり付け医じゃない。俺の相棒だけで手一杯だ」
「お前の相棒になったつもりもない」
 先生が切って捨てても、亀山さんは笑顔である。
「何だかんだ言いながら助けてくれるんだろう? この前だって、基くんの気配が消えるまでずっと一緒にいてくれたじゃないか」
「お前が引っ付いて離れなかっただけだろう」
 何年も同じようなやり取りを続けているのだろう。こちらも完全に二人の世界に見える。
「……あの、もしかしてお二人ってそういう関係ですか?」
 つい気になって尋ねると、野々村先生はまるで理解していない様子で小首を傾げ、亀山さんは気色の悪い笑みを浮かべた。
「譲くんにもそう見えるか」
「へ?」
「透、やっぱりお前、彼女はいないのか聞かれたら彼氏がいると答えろ。それで問題が起きたら俺が相棒として責任を持ってやる」
「何の話だ?」
 先生はまだ意味が分からないという顔をしている。前からそんな気はしていたけれど、きっと自覚なくモテる男なのだ。
「面倒事を回避できるなら誰にどんな誤解をされても問題ない、という話だ。別に透を抱きたいわけじゃないから安心しろ」
 たぶん野々村先生にとって一番の面倒事は亀山さんだし、いきなり彼氏に立候補されて安心できるわけがない。が、処理落ちしている先生から反論が来る前に亀山さんは話題を転じた。
「というわけで譲くん、幽霊に遭遇した際の対処法を教えてやろう」
「は、はい」
「基本的には二つに一つだ。放っておくか、心残りを解消して成仏してもらうか」
 遭遇率の高い亀山さんは圧倒的に前者が多いらしい。大抵の幽霊は生きてる人間に対して無力なので、それで問題ないそうだ。
「俺の場合、放っておく方が面倒なくらい絡まれたら応えてやっている。幽霊が口にする最後のお願いはささやかなものが多いけど、全部叶えていたらキリがないからな」
 そこまで幽霊に絡まれることはないと思うけど、現時点では何とも言えないので頷いておく。
「基くんも最初に話を聞いた時点では、幼馴染に好きだと伝えたいだけの青春坊やだった。それなのに無理やり彼を引き留めた咲良ちゃんのせいで、大変なことになってしまった」
 亀山さんによると最後の願いを叶えたのにこの世にとどまっている霊、叶えられそうにない霊、はっきり伝えてこない霊などが警戒対象らしい。
「明確なゴールがない霊の相手をするのはこちらの負担が大きい。乗っ取られた身体が返ってこない危険性もある。だから基くんの時も、絶対に透が何とかしてくれるという安心感がなければ俺には手が出せなかっただろう」
 神妙な面持ちの亀山さんと、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻を鳴らす野々村先生が対照的である。
「二人の思いが純粋なだけに厄介だったな」
「……今更ですけど、兄貴と咲良姉ちゃんって付き合ってなかったんですね」
 恋人同士にしか見えなかったのに。と僕が呟くと、亀山さんはちょっと難しい顔になった。
「譲くんの考えるお付き合いの基準に達していないだけで、二人にとってはお互いが最善のパートナーだったように俺には見えるな。基くんが健気すぎてつい応援したくなった」
「健気……?」
 野々村先生が信じられないという表情になっている。僕としても兄貴に健気なんて言葉は似合わないと思う。
「透が俺を彼氏にしてくれるなら、俺も健気に尽くしてやるぞ?」
「は?」
 唐突に亀山さんが話を蒸し返す。こんなふうに先生を処理落ちさせ、煙に巻きながら振り回してきたことが見て取れる。
「一緒に住んでくれるなら、家事くらい引き受けるってことだ」
「……ついに写真家の師匠から切られたってことか?」
 明後日の方向へ行ったように聞こえた先生の反応は、亀山さんにはきちんと通じたらしい。
「不用意に心霊写真を撮るなって課題に難儀してるだけだ。透に除霊してもらえたらありがたいというのはあるが、透の家に転がり込むことが第一目的じゃない」
「金に困っているならあのお節介に借りたらどうだ?」
「借りても返せないから、家賃の分だけ家事を引き受けるんだよ」
 傍目には何故そうなるのか分からないが、二人の間では会話が成立しているらしい。
「いい奴すぎて彼女ができないお節介より、女に興味のないワーカホリックの方が、転がり込むのに負い目を感じなくて済むだろう?」
「負い目を感じる余裕があるなら大丈夫だ。俺がいなけりゃ仕事にならないと、本気で思っているなら写真家の弟子なんか辞めてしまえ」
「目の前の最適解を選ぼうとして何が悪い」
「お前にとっての最適解が俺にとってもそうとは限らない。そんなことお前が一番分かってるだろ」
 ……なんかもう、二人がお似合いに見えてきた。
「あの、忠告が終わりなら僕もうそろそろ帰りますけど」
 いつまでも男二人がイチャイチャしてるところなんか見てられない。
 僕が席を立とうとすると、亀山さんが待ったをかけた。
「どうして今更、の答えがもう一つ残っていた」
「はい?」
「入学おめでとう。同じ高校の後輩だと思えば、多少は手心を加えたくもなるだろう? だから今日は呼び出したんだ」
「……え?」
 どうやら二人は、兄貴や咲良姉ちゃんの制服姿から早い段階で僕らのことを後輩と認識していたらしい。けれども僕が替え玉受験の正否に悩んでいたため、実際に入学するまでは黙っていたそうだ。
「君が高校生になると俺は掛かり付け医ではなくなるから、もう会うこともないと思っていたが……市原くん、入学おめでとう」
 野々村先生までちょっと笑顔になって言う。
 でも、僕が下駄を履かせてもらって入学したのは都内屈指の進学校である。野々村先生の母校と聞くと納得だが、亀山さんの母校と言われると……正直ちょっと、意外というか。
「卒業して十年くらいか。まだ俺たちのことを覚えている先生がいるんじゃないか?」
「お前のことを忘れられる教師もいないだろうからな」
 その言葉にはたと思い出す。
 もともと学力一辺倒のイメージがあったあの学校は、十年ほど前に芸能芸術方面の道に進んだ卒業生の影響で少しずつ雰囲気が変わっていったらしい。生徒の多様性を認めつつ、それによって学力を落とさないための制度があれこれ取り入れられて――。
「譲くんは本当についてるよな」
「はい?」
「あの学校には黒い羊を排斥しようとして痛い目に遭った教師がまだ残っている。たとえ君が何か問題を起こしても、切り捨てるのではなく親身になって対応してくれるだろう」
 ニヤリと笑った亀山さんが、今までで一番怖かった。
 おかしい。いつの間にか僕は黒い羊と呼ばれ、変わり者の男たちから同類認定されている。問題を起こすことが既に決まっているかのような口ぶりだ。
「そもそも替え玉受験で入学した君が優等生になれないことは確定的だろう。ちゃんと授業についていけるのか?」
「うぅ。でも、問題なんて起こしません」
「俺もそうであればと願っている。透は渡さないからな」
 最後の最後までいちゃつかれ、僕は呼び出しに応じたことを後悔しながら席を立った。
 僕は絶対についてなんかいない。

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