『私が私であるために~人生の切り売りスピンオフ②藤島希枝編~』前編
『人生の切り売り』の書き下ろしスピンオフです。本編未読の場合はひとまずこちらへ
会社を出ると表にナツメくんが立っていた。
私が編集を担当している小説家、神野あすみ先生の彼氏――ではない疑惑が浮上したので探りを入れたら余計に謎が深まった、絶世の美男子である。
「何か御用ですか?」
「あれだけ熱烈なアプローチを受けて、契約しないわけにはいかないだろう」
彼はニコリと微笑んだ。
そういえば神野さんとの会話でも、契約という言葉があった。私はお付き合いを申し込んだはずだけど、これはこれで面白そうなので誘いを受けることにした。
「どこに行くの?」
「話ができればどこでもいいよ」
彼がそう言うので、私が彼をホテルのバーに連れていく。カウンターの一番奥、下心なんてまるで感じないナツメくんを隣に座らせる。彼がメニューに全く興味を示さなかったので、こちらで適当にオーダーを済ませた。
「お酒が苦手なら別のお店にしたのに」
「どの店でも同じさ。人間の食事に手を付けるつもりはないからね」
「え?」
「君には僕が悪魔だということから説明しよう。君が担当している小説家が突然売れるようになったのは、僕と契約したからだ」
ナツメくんは真顔でそう告げた。
「悪魔?」
「そう。彼女は自分の魂と引き換えに、人生を小説として売り出すことを僕に望んだ。その結果を間近で見てきた君なら理解できるんじゃないかな」
言われるままに神野さんとのやり取りを振り返る。確かに彼女の作家人生はナツメくんが、悪魔が現れてから大きく変わった。
「それ、私に明かしてしまってもいいの?」
「もう信じるんだ。小説家もそうだけど、創作に携わっている人間は受け入れが早すぎるよ」
苦笑されてしまったが、彼が神野さんの恋人に見えないことを訝しんでいたところだ。どんなに突飛でも辻褄が合うことの方が重要である。
「彼女が売れたからくりを君に教えることは問題ないと考えている。君なら悪魔と契約した小説家を軽蔑して距離を取るより、確実に売れる小説家を利用して自分の地位を固めることを選ぶだろう?」
「まあ、そうね」
曖昧に頷きながら、周囲を見渡してみる。特に声を抑えたわけでもないのに、他の客にも店員にも私たちの会話は聞こえていないようだった。
「それに、せっかく申し出てくれたんだから僕は君とも契約がしたい」
悪魔がニッコリと微笑んだ。それまでは愛想の良さが前面に出ていたが、今はこちらを全力で魅了しにかかる熱のこもった瞳が向けられている。その熱が私には気持ちいい。
「……ナツメくんと、一緒になれるの?」
「僕と? 悪魔と交わったら人間に戻れなくなるけど、いいのかい?」
真顔で問われてハッとする。そうだ、ナツメくんは悪魔なのだ。
「若くて男前で都合のいい彼氏をお望みならいくらでも選ばせてあげるよ。どんな男がいい?」
しかし彼の提案は、どうにも心惹かれなかった。
「私、たぶん神野さんの彼氏だからナツメくんが欲しかったの。選び放題の中から顔や条件で選んでも面白くない」
「なるほどね。君は思った以上に欲が深い」
その反応を見る限り、悪魔にとって欲深いのはいいことらしい。
「では、君の望みは何だい? どんな願いでも一つだけ叶えてあげよう」
「私の望み、ねえ」
せっかく悪魔と契約するのだ。お金や努力次第で手に入れられるものを望むのはもったいない。悪魔に認められるほど強欲な私は、自然と最大限の利益を享受することを考えていた。
「誰もが羨む、充実した幸せな人生を送りたい。というのは、アリ?」
「君にとっての幸せを具体化して、場合によっては一つに絞ってもらわないといけないな」
「やっぱり?」
裏を返せば、細かく指定することはできるようだ。
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