怪人と定点観測

岸和田の怪人ことアサガオ行政書士事務所の中村道彦先生とは、毎年だいたい冬ぐらいにお茶をして、その時におしゃべりしたいこと、相手に聞いてみたいと思っていたことを好き勝手に話しています。

この怪人との定点観測は、怪人が司法書士事務所の補助者兼行政書士開業者だった出会いから始まり、はた・さわだ行政書士事務所の使用人行政書士になった時も続いておりました。

はた・さわだユニット結成後の観測の模様についてはこちらのnoteでお読み頂くことが出来ます。
 ⇒ 行政書士4人寄れば何になる?

そして今回は、中村さんがユニットを解散してアサガオ行政書士事務所の代表行政書士となって半年ほどたった今の心境について、どうしても色々とお伺いたくてお時間を作っていただきました。

私と中村さんが二人でお喋りを楽しむと、自分の心象風景と向き合うような文化系表現が過多になりがちなのでいつもはnoteにしないのですが、今回はそのエモい感じも含めて伝えられれば良いなと思って書いてみることにしました。


経営者と職人の違い。

中村さんは司法書士補助者兼行政書士開業者時代は実務はしておらず、行政書士としてのプロデュースとプロモーション活動をしておりました。
(行政書士ブロガーとしての活動や、他の行政書士への取材、新人行政書士のプロデュースなど)

はた・さわだユニットになってからは、経営者としての活動を中村さんが行ない、職人としての活動を澤田先生が行なう完全分業制で事務所を運営していらっしゃいました。

しかしこの度ユニットを解散したことで、かねてより人を雇用したり事務所を拡大する気は一切ないと言っていた中村さんは、自分で職人としての業務も行なうしかない状況になったことが気になっていたのです。

経営者の役割と職人の役割は追求すればするほど相反する性質のものだと私は思っているので、これまで一切職人としての役割を拒否してきた中村さんがストレスなく受け入れられるはずがないと思ったので、そこのところを聞いてみました。

現状中村さん本体の活動は職人として機能させていて、これまで本業としてきたプロデュースやプロモーションは、経営者を行なうセカンド中村の働きに預けているようです。

そうすることで大きく変わったのは、リソース管理が完全に職人脳になり効率より進捗度を優先してスケジュールするようになったこと。
理念共有をしなくてよくなったことでストレスが減ったぶん孤独感が増したこと。
自分でも驚くほど「ミニマムシンプル」という言葉を多用するようになったことだそうです。

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ストレスの違いについて。

経営者として感じるストレスと、職人として感じるストレスは全く内容も性質も違います。
また、一人事務所で感じるストレスと組織化事務所で感じるストレスも全く違います。

私は補助者1名の個人事務所から今年の4月に一気に組織化したので、かかるストレスの違いにメンタルがなかなか追いつかず、上手な心の置き所を見つけられずにいました。

初めて職人としてのストレスを味わっている中村さんも、ちょうどいま私と同じような砂漠に迷い込んでいるのではないかと思ったので、これをどう考えて乗り越えたのか伺ってみました。

経営者としてのストレスは、事業を継続させられるか、この仕事で食い続けていくことが出来るのか?という不安に起因するものが多いというのが私と中村さんの共通見解です。

中村さんはこのストレスを『腰から背中にかけて這い上がってくるようなザワザワ感』と表現していらっしゃいます。

それに対して、職人としてのストレスは、仕事が完遂できるかどうか、自分が下した仕事に対する判断や認識・知識に誤りは無いかどうか、という不安に起因するものが多い。

中村さん曰く、『膝から下と肘から先が震えるようなザワザワ感』

経営者ストレスというのは、覚悟を決めて大海に飛び出しさえすれば誰もが感じることが出来るストレスで、いつでも始められるものです。
(ただし、浅瀬で遊んでいるうちは感じることができない)

それに対し職人ストレスは一部の人間だけが感じることのできるストレスで、例えば士業という職人であれば、試験に合格し、士としての登録をし、自分の名前と士という立場を懸けて仕事をして初めて感じられるものです。(会社の名前で仕事をしている時には感じることができない類のもの)

中村さんはこの職人ストレスを、行政書士である(自分で行政書士という職業を選んでそこに立って居る)以上はこの職人ストレスを常に感じておくべきだと思うと断言しています。

今さらこれを感じているからこそ、今までこのストレスに晒されていなかったことが恥ずかしいと中村さんははにかんで、私に対して「スケールが変わったぐらいで経営者ストレスだなんて今さらすぎる!」と笑い飛ばしてくださいました。

2人で、「お互いほんま今さらなことで恥っずいね。ほんと恥っずい。うわ、はっずー!」とお互いの恥を認め合い、今日はどうせ恥ずかしいからカッコつけない言葉で話しましょうとなりました。


心のおきどころ。

中村さんはこれまで、給与をもらっている状態ながらも営業を一手に担っている特殊な経営者だったわけですが、そこから急に『許可職人』と名乗りだし、経営者から職人へと心の置き所を変えました。

私はといえば、未だに職人でもありながら経営者としての規模が大きくなったため、経営者の私と職人の私が心の中でケンカをしていて、うまく心の置き所を見つけられていませんでした。

さっさと職人の部分を人に渡してしまえば楽になれるのですが、品質を落としたくないという職人の私が職人の立場を人に譲ることに抵抗を見せているわけです。

これに対して中村さんはこういう風に考察していました。

専業経営者となった行政書士の先人たちは、同じように過去に職人の自分から経営者としての自分に心の置き所を変えてきたはずで、専業経営者になってしまった今は、『心の置き所を経営者から職人に戻すことが許されない』ことへのストレスと戦っているのではないか?と。

中村さんはもともと拡大志向は一切ないので、ユニットを解散したことでスケールダウンしたとは一切感じておらず、私としても、目標のないむやみな拡大志向はむしろカッコ悪いと考えているので中村さんがスケールダウンしたとは微塵も思っていませんでした。

しかし、中村さんは経営者の人たちから「中村のとこはスケールダウンした(カッコ悪い)」と思われているのだなという雰囲気を感じとった(気がついて見るとそういうことだったんじゃないかと思われる言動があった)ようです。

そう考えなおしてみると、このお茶会自体もめちゃくちゃエモいよね!ということに気が付きました。

私が拡大志向人間だったなら中村さんにマウントとりまくる気満々のめちゃくちゃイヤな会になるし、中村さんが拡大志向人間だったなら私が会っていきなり投げた「で、どうなの?」から始まった全ての質問は地雷原に爆弾を投げまくる行為になっていたという・・・。

お互いに、「きっと德留は、中村さんは、今回の解散をスケールダウンとかカッコ悪いとか思うタイプじゃないよね?」みたいなことすらチラっとも頭をよぎらないくらい無自覚だったからこそ成り立った会だったのだなぁと。

そしてお互いに、ユニット解散の悲しみが癒えていない”今だからこそ必要”な取材なのだという認識はあったから、時間も忘れてお互いを鏡としながら自分と向き合い、哀しみを受け止める時間になったのだと思います。

ちなみに許可職人宣言をした理由の1つには、そんな経営者の人たちから仕事をアウトソーシングしてもらうためのプロモーションという一面もあるそうです。

これはアッパー経営者層のみをターゲットとしている行政書士法人シグマの阪本先生の考え方を強く意識して、逆に「ひとり親方」や「家内工業会社」をターゲットとするポジショニングであり、とても中村さんらしい戦略だなぁと改めて尊敬の念を深めました。

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立場が変わると周りが変わる?

中村さんがユニットを解散したことで一番大きく変わったのは人付き合いだったとのこと。
多くの人と交流して、好き好んでしがらんできた中村さんが、明確に人付き合いに線を引くようになったとのこと。

これまで中村さんは経営者の立場を担っていたが、表向きはあくまでも副所長であったことと、使用人行政書士として給与をもらっていたことで、多くの経営者たちから『心のテーブルに着かせてもらえていなかった』のだと感じたそうです。

兼業している行政書士やバイトしながら生計を立てている行政書士が専業行政書士の人から相手にされないのはこういうことなのかもしれないと思ったと仰っていました。

私はもともと中村さんのポジションについてそれなりに把握していて、経営者としてのリスクをしっかり背負っていたことを知っているのでそうは思いませんでしたが、傍から見ていると、給与もらってるやつに経営者の気持ちがわかるかい!みたいな反感はあったのかもしれません。

だからこそ、ようやく中村がこっちにきたのか!と心待ちにしてくれていた経営者の人たちから仕事を依頼されるようになったり、逆にこれまでお付き合いしていた人からスケールダウンと見られて縁が切れたこともあったようです。

そして私のように、中村さんをただの中村さん個人として見ている人間は立場が変わろうとも何も関係性は変わらなかったり。

そういうたくさんの人の波を受けて、周りと自分の間にある境界線を意識するようになったということでしょうか。

中村さんがたくさんしがらんできた中でたどり着いたのは、しがらみの2割ほどは「やさしさ」でできているという答えでした。

自分は変わっていなくても、勝手に周りが自分の事を再定義していく。
環境が人を変えるという言葉はこういうところからも来ているのかもしれませんね。


中村先生から新人行政書士への餞の言葉。

誰しも「知識を得れば業務スキルが上がる」という《仕組み》には全幅の信頼を置いていると思うが、「営業すれば仕事が来るようになる」という《仕組み》には全幅の信頼を置いていないように思う。

前者は勉強して試験に合格したことで心と頭に染みついているのだと思うが、後者を心と体に染み付かせるためには時間と経験が必要で、むしろこちらを率先して高めていかなければならない。

その点僕は、後者を先に得たうえでリスタートしているので、腰から背中にかけて這い上がってくるようなザワザワ感には耐えられる自信がある(ザワザワ感は消えない)。

また、世の経営者たちは「会社の規模」を常に強く考えながら経営しているので(規模の増大と利益の増加は比例しないため)、自分の行政書士事務所の「規模」を常に考えながら、もっと言うと開業前から最終形態を考えてから、事務所経営に取り組むと良いと思う。

行政書士の業界は野球やサッカーとは違い、バスケットボールのように個体差がポジションや戦略に大きく影響を及ぼすと思っていて、背が高く体が強く俊敏性がありシュートが上手な選手は本当に一握りで、仮に、ステフィン・カリーがシャキール・オニールに憧れたとしても同じような選手にはなれない。

まずは自分のことをしっかりとわかったうえで、背中を追うべき先人を選ぶところから始めて(やりなおして)欲しい。

「敵を知り己を知れば…」の三行全文を読めば孫氏の言いたいことがわかるが、僕は「敵のことを知ること」よりも「自分のことを知ること」のほうが大事という意味だと考えている。


德留さやかがこの日受け取ったもの。

私はこの日、誰にも言ったことのないカッコ悪い話を中村さんにしていて、「とくとめさんの口からそんな言葉聞きたくなかった~。今僕の中の評価ガタ落ちやで!」とまで言わしめるほどダサい話をしていたのです。

「中村さんに嫌われようと見損なわれようと私にはどうだっていい、どうでもいい人だから言えるんですよ!」と本当にこのままの暴言を中村さんに投げつけておりました(反省)

結局話している(一方的に中村さんを相手に壁当てをしている)うちに、なんでこんなに絡まっていたのかについては解決できました。
はた迷惑な話ですが、私はいつも言葉や文字に起こさないと自分の絡まりをほどけないのです・・・。

そしてスッキリした私は明確な目標を再確認し、今の立場になったからこそ出来ること、やりたいと思っていたことの全てのピースがはまった喜びでむしろウキウキしていました。

中村さんからいただいたたくさんの言葉の中で圧倒的な破壊力を伴った2大パンチラインを、エモかったこの約4時間の集大成としてここに置いておきます。

「かっこ悪い、恥ずかしい、悲しい、悔しい、苦しい、腹立たしいと感じたときに「エモい」と感情変換できれば、他者との関係だけでなく自己ともハレーションを生まなくて済むし、乗り越えられることも多い。」

「カッコ良く生きてきた責任を、とくとめ先生は取るべきやね」

私はカッコよく生きてきたつもりは毛頭ありませんし、誰かからカッコよく見られていることも無いと思っているのですが、誰か一人でも私のことをそう思って見つめていてくれているのなら、全てを背負って走り抜けたいなと強く思いました。

2021年も、どうぞよろしくお願いいたします!!

(⇓クリスマスプレゼントに中村さんから頂いた小説)

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