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狂気のおうち時間『ミッドサマー』 ※ネタバレ含

今更、アリ・アスター監督作品『ミッドサマー』を観た。
劇場公開時から観たくてたまらなかったが、当時行けなかった。1年越しくらいの念願だ。

そんな楽しみだった映画にも関わらず
観たことを本気で後悔した。

しかもその上で
めちゃくちゃよく出来た映画だと断言出来る。

既に多くの優れた感想・考察記事が出ているため、HSPで精神的にぐらつきやすい私の、個人的な反応をつらつらと書いてみようと思う。
※ネタバレを含むのでご注意ください。

観る時のコンディションが大事

13連勤中12連勤目の夜、何も考えずに楽しめる作品が観たかったので、U-NEXTのポイント消費も兼ねて映画を探していた。

私は映画が大好きで大学の卒論は映画分析だったくらいなのだが、HSS傾向なのもあり、ながら見が出来ず、全身全霊で観てしまうため、キツい映画はかなり疲れてしまう。
(余談ですが、HSSについてはこちら↓の記事がオススメ)

本当はシュワちゃんの『コマンドー』が観たかったのだが、ポイント視聴対象外だった。

今思えば、そこで諦めておけばよかったのだが……

ポイント対象作品にあったのだ、『ミッドサマー』が。

ちなみに私は監督の前作『ヘレディタリー/継承』は観ていなかった。しかしそちらは映画通の友人に「絶対好きだと思う!」と勧められており、『ミッドサマー』も前情報だけで絶対好きな予感がしていた。

この「予感」なんかを信じてる辺り、もう既に『ミッドサマー』にハマる下準備ができていたのだが……

しかし、筋肉&爆発みたいな映画を求めていたヘロヘロメンタルで挑んではいけなかった。ただ、気安い気持ちで見てしまった。

この映画は年齢制限とかよりも「メンタルコンディション制限」をかけた方がいいと思ってる。

・精神的に参ってる人
・個人を尊重していて共同体での生活には嫌悪感を覚える
・人間がシステムの一部や動物として生きることに嫌悪感を覚える
・上記のような環境にトラウマがある人
・精神疾患の薬を飲んでいてその副作用が出ちゃってる人
などなどはちょっと避けた方がいいし、そうした表示をすべき作品なのでは……と感じた。

だが一方で、女性の人気が高く、「主人公と彼氏の結末にスッキリした」「男の方がああなってせいせいした」みたいな感想もなくはないっぽいので、ある種の人にはスッキリする作品でもあるのかも知れないから、セラピー効果もあるのか……??

一概には言えないが、間違いなくホラー史に残る名作なのに、私個人としては安易にオススメはできない作品である。

しかし、私はうっかり再生ボタンを押した。地獄の2時間半が始まる……。

とにかくよく出来た作品

予感は的中した。好きな作風というのは、カット割と音楽の使い方で、大抵分かる。

まず、オープニングから不穏なほど明るすぎる音楽とタペストリー。からのそして突如極寒の街並み。カットを利用したクロースアップに被せてキツい電話のコール音。これだけで十分不協和音的なストレスを感じさせて「良」。

物語の全てを予告しているタペストリーですが、ここで流れる不穏なほど明るい音楽のタイトルは『Prophesy』=予言ですね。好き。

一番ホラーとして上手いな、と思ったところは、最後の神殿を燃やすシーン。
自らに生贄になることを決めた村人2人、イングマールとウルフがイチイの木から取った何か食べさせられる。イングマールは緊張した面持ちで、ウルフは心から幸せそうな顔をしてる。自分が生贄になることを誇りだと思っているんだろう。だが、実際身体に火がつくと、その幸せそうな顔をしていた方、ウルフの方が痛みで叫ぶカットだけ短く映って、すぐ外にいる人々の叫びに切り替わる。
こういう細かいけど恐怖を感じさせる表現がめっちゃたくさんある。

あの食べた何かに効果があることを知っているのか知らないのかは知る由も無いけれど、結局痛みは感じてるわけだから、つまり「迷信」を信じてたわけだよね。
作っている側が意図して「この村はシステムとしてちゃんと成り立ってますよ、ただし迷信も生きてますよ」というのを入れてるのが、マジで冷めてる感じがして(安易にホルガ村を肯定するわけではないという視線)、上手いな〜って思いました。しかもそれ以前に出てきたドラッグとか全部「効いてる」から、余計に前述した燃えて絶叫するシーンが印象深い。「これは効いてねぇ!!」っていう。
こういう作品で、すぐに原始共同体がいいか、個人を尊ぶ孤独な社会がいいか、みたいな議論に持っていくのはちょっとどうかと思うので、敢えてこのシーンを挙げました。

もっと分かりやすいのは、ペレがダニーに対して
旅行前は「自分も両親は死んでるから君の悲しみは分かる」と言って、村に行くと「自分も両親が炎に包まれて死んだ」「君が僕の村に来てくれて本当に嬉しい」って打ち明けるところね。
「炎に包まれて死んで悲しかった」って言ってたけど、結局最初からダニーをメイクイーンにしようとして、予言者の地位を得ることまで視野に入ってたんだと思うと、しかもその過程は全て村育ちの彼からしたら「肯定的なこと」(=罪悪感の生まれようもない)と思うと、ゾッとします。
でもこれは最後まで観て、遡って考えて「アッ……」ってなるやつなんですよね。
監督自身も「シナリオが決まってる場合、予言めいたことを散りばめるのは喜び」って言っていたけど、観た後もゾっとさせるとか、どんだけ冷却持続期間長いんですかっていう。

あとこれは調べないと分からなかったけど、ダニーがメイクイーンの神輿に乗せられて歩くところの背景の森にサブリミナル的に妹の死んだ時の姿が埋め込まれてるとかね。
どんだけ凝ってるんだよ!!!!!!!!
こういう細かいところ、本当に素晴らしいし、もう一度見返したく……
いや、しばらくはちょっと無理です、すみません。

絵について

絵は割と初っ端から出てくる。
タイトルに入る前の、ダニーが家族の死を知って号泣する部屋の左右。左はホルガ村の祭壇だし、右はラストシーンを彷彿とさせるようなごちゃごちゃしたものだ。
その直後、ダニーが横になってるシーン。女の子が熊に触れている。この時点で「女の子がダニーで、熊はクリスチャンなのかな……」ってなってたんですが、もうね、いるもんね、ホルガ村に。本物の熊が!
そしてさらに進んで、女長老のシヴの部屋の壁の絵では、もう熊が炎に飲み込まれてるんですよね。この時点では「熊がクリスチャンの暗喩で、女に飲み込まれる」程度にしか考えてなかったのですが、ラスト、もっとひどかったよね。。。
(あとで確認したら、熊に触れてる女の子、王冠をかぶってるんですよね)

絵ひとつ取っても、この「なんなんだ?」の積み重ねが「不穏さ」を生んでて、見事だなと思いました。
みんなが寝泊まりするところの壁画も見事ですが、そこに物語のほとんどが絵として描かれているそう!こちらのサイトの記事のdigり方がめちゃエゲツなかったんで(めっちゃ褒めてます)リンクを貼らせていただきます。

呼吸について

この作品の音楽の一部を担当したのは、宗教音楽の専門だそうだ。
私が一番気になったのは「呼吸」の部分。

Q.ホルガの女性たちの「ハッ」という呼吸法が印象的でした。あれもどこかの伝承から参考にしているのでしょうか? それとも隠された意味があるのでしょうか。
A.あれはホルガの儀式の曲を担当していた合唱作曲家のジェシカ・ケニーが考えたものです。彼女は宗教音楽に特化した素晴らしいアーティストです。
(上記リンク:https://hon-hikidashi.jp/enjoy/105146/ より引用)

アッテストゥパンの日の食事のシーン、明らかに高齢者の男女が暗めの服を着て登場し、何かを唱え始める。

うわこれ絶対「『冬』を終えた後の人たち」じゃん!!!

そもそも前日に「もう燃えることもなく〜」とか言って松明を持たされてたよね?!フラグが立ちまくってるんだよ!

ということで「吸って吐く」または「吐いて吸う」の部分をめっちゃ注視して観ていた。

なぜなら「息を引き取る」「息を吹き返す」「生命の息吹」などの言葉があるように、死ぬ時人は息を「吸って」、新たなる生命として生まれるときは息を「吹く」のだ。
この時「息を吸ってやめる=死の暗示」ではないかと、ハラハラしながら見ていたのだ。
多分「息を吸って」着席したと思うんだけど、あまりにトラウマすぎて確認のために見返せないんですよね……!確定したら追記します。
というか、こんなに厳かだと、呼吸はどうあれこの2人が死ぬのは確定で、むしろ「どこまで作り込まれているのか」の方に目が行っていた。もう完全に引き込まれている。

ちなみに飛び降りた高齢男性、なんとビョルン・アンドレセンなんですね。
ありがたや・・・。

ダニーの精神的疾患について

この映画、ダニーに共感する人がいるとのことだが……私は他人に依存することに否定的なので
「具合が悪かったらちゃんと治療に取り組め!旅行なんぞ行くな!それも昼夜の感覚がなくなる白夜が起こるようなところは絶対メンタルに悪い!」
という強い意志を持つ……

その一方で!

ダニー並みに精神がヤバかったことがあるので、またはダニー並みに精神がヤバい人と一緒にいたことがあるので

彼女の心理が痛いほど伝わってくるのだ。
これもまた描写が上手い。

鬱と『ミッドサマー』については、こちらの記事が秀逸で、大変参考になったので、是非読んでいただきたい。

本当にこの記事がよく書けていらっしゃるので、特にメンタル系のことで付け加えることはない。グロとか土着宗教ヤベ〜とか以前に、とにかくバッドになるのだ。
自分が病んでた時のこととか、すごく思い出す。

その一方で、いくら病んでたとしても、
「この共同体に共鳴し引き込まれるくらいだったら、あの地獄のような自己否定や孤独感の方がマシかもしれない」
とすら思わされた。でも、その時の経験だってめちゃくちゃ辛い。

リンクを貼った記事でも語られていたことだが、MAX具合が悪い時に思ってた「自分は生き物でいたくない(生きていたくない)」感覚とかが「みんな社会のシステムを回す役割を担うだけの生き物」というホルガの風習に飲み込まれたらまじでそれが一番キツいだろうなということはめっちゃ分かった。

私は今は比較的元気だけど、それでもこの映画を観た後、その日1日本当に胸のあたり気持ち悪くなったし、2日くらいは気分が悪かった。
「私が大事にしている個人とか意思ってものは、共同体のシステムの前では破壊されてしまうのかもしれない」
という恐怖。

でも私はダニーのルートは無理だよ……。
孤独の狂気を選ぶ。つか、まじでメンタル病んでる時は旅行とか行くな!!

それに、これは『ミッドサマー』ファン界隈でよく指摘されてるけど、「9日間の祝祭」のはずなのに、5日間くらいしか描かれていないんだよね。
そして、歴代のメイクイーンはたくさんいるのに、1人も出てきてない。
ダニーがあの後どうなるか、それが分からないまま結末を迎えるのも、想像力を掻き立てられて、ぞっとする。

でも、ダニーとクリスチャンの物語は、あすこで終わるわけだからね。
ほんとアリ・アスター監督、ストーリーテリングがうまいんだよなあ!!

『ミッドサマー』がホラー映画で革新的な理由

『ミッドサマー』がホラー映画として革新的だった理由は、単に「明るい画面」が目一杯利用されていただけ、ではない。

フォークホラーの形をとった恋愛映画で、主人公が女性、そして現代の病である「個人である孤独」を原始共同体が崩壊させるという点だと思う。

いわゆる土着信仰のある村で起こるホラーは、日本では『犬神家の一族』とか、結構メジャーなジャンルではある。

そこに明るい夏至祭をチョイスしたというのは、ナイスなアイディアだけど、そこに男女の別離というストーリを絡ませたのが素晴らしい。

「病的に孤独な女性が、現代の価値観で言えば狂っている共同体に飲み込まれることで、彼氏や孤独から解放され、個人というものを失って(狂気に陥って)笑顔で終わる」
というシナリオは、単なるフォークホラーを超えて、
個人として生きることへの懐疑とか、それが崩壊する恐怖とか、しかしそこに陶酔があるとか、とにかく価値観を揺さぶってくる映画だ。

ホルガ村の夏至祭は、我々の日常から、生死を超越した彼らの世界観を凝縮して見せてくるし、何より巻き込まれる絶好のタイミングなのだ。

Q.ホルガを訪れて、殺されもせず、ホルガの一員にもならず、生還できるルートがあったら教えてください。
A.ホルガの人たちに見つからなければ可能性はあると思います。
(『ネタバレ注意!「ミッドサマー」アリ・アスター監督が日本ファンからの質問に回答』https://hon-hikidashi.jp/enjoy/105146/ より引用)

ほぼ確で死じゃん!!!!

ホルガ村の怖いところ、現代の価値観を脅かすところとしては、『ライオンキング』の所謂「サークル・オブ・ライフ」的な、自然な食物連鎖じゃなくて、コミュニティを存続させるシステムとして、他所から人を連れてきて交配したり、わざと「神官」を生んだり、それで村単位の寿命を回してるところ。
同じ人間なのに、個人の尊厳という考えがこの世にあることも分かってる人間の中にいるのに、あの共同体システムを維持してるとこが、めちゃ怖い。
動物でもなく、神や文明を手に入れて人間として区分されているんだけど、まだ「人=群れの繁殖のための歯車に過ぎない」って段階だから、「私たちは結局動物なんだ、ただ生まれて食って産んで死ぬ、そのためだけの生き物なんだ」って、強く揺さぶられちゃうんだよね。
それを否定して、個人を尊ぶ近代が発展したのに、現代になって、孤独という病が蔓延して、その弱さに思いっきり飛びかかってくるという。そこが一番のホラー要素だと感じたんだよね。

でも主人公ダニーにとっては、「個人の檻」に閉じ込められて生きることが苦しくてたまらなかった最中で、ホルガ村での経験によって「解放」ってものがあったのかもしれない。

でもそれはとんでもなく恐ろしいことだし、正常な判断も失われた状態で、彼女が下した決断が恋人クリスチャンの死、っていうのはもう「狂気に堕ちる」という表現ぴったりなんだよね。
生まれも育ちもホルガ基準の村人と違って、ダニーは「個人の檻」にいて、最後崩壊を経験してるから、正に「狂気に堕ちた」。

やっぱりどうしても、こんなオチ、スッキリしないのよなあ!!!

主人公に共感する層にアプローチするビジュアル

ホラー映画って女性が犠牲になることが多いのですが、今回は珍しく女性の復習劇みたいな感じになっていましたね。(女性の復讐劇でいうと私は『キャリー』をイメージしますが、あれはまたちょっと違うか)

メイクイーンになったダニーを含め、夏至祭の衣装とかお花いっぱいのヴィジュアルがまた、宣伝で女性を呼び込みやすいのも、上手いな〜と感心させられるばかり。

「ホラー」って従来のイメージが苦手だったとしても、主人公の心境に共鳴しやすい層をキャッチしてる。

日本だとヒグチユウコ氏がポスターイラストとか描いてて、これはグロテスクメルヘン的な、アート目線で観ている女性はいるだろうなとも思いました。

私はもうそれどころか、ホルガ村にナチスが理想とした全体主義的なものや戦争中の空気に似たものを感じていたので、あとで検索して「あ〜〜その路線もあったか!」ってなってました。

北欧神話とナチス全体主義

ということで、ここからは余談。
いきなりナチスの話になっちゃいますが。
この辺り私もまだ勉強中なので、おかしなところあったらご指摘ください。

『ミッドサマー』に出てくるルーン文字は、既にリンク貼らせていただいたものも含め、多くの解説記事が出てるのと、私はしばらく本編観返せないので笑、先人たちの功績をご参照ください。

ルーン文字といえば、Bluetoothのロゴ、そしてナチス!(?)

ナチスドイツは、金髪碧眼で理想的な人種「アーリア人」をもっとも優れた民族として、選民思想的に、民族国家を樹立させようとしてたのは有名な話。

それと並行して、国家主導で北欧神話やルーン文字を解析していた、いわゆるオカルト局(アーネンエルベ)を持ってた。ナチスは長いことドイツ(神聖ローマ帝国)を支配していたキリスト教を否定してて、より原始的な宗教にルーツを求めようとしたんだね。
収容所によるホロコーストは有名だけど、一方でレーベンスボルン(生命の泉、の意味)という機関を作り、そこでアーリア人として認定された女性を集め、優秀な「アーリア人種」の子どもを産ませるという政策もとっていた。

さすがに、書庫で12人の女の合唱に合わせてセックスとかいうことはなかったと思うけど、共同体のために、社会のためにシステム的に出産を強要するというのは、エグさ的に、かなり近いものを感じましたね。

こういうところも、『ミッドサマー』に嫌悪感レベルの恐怖を抱かせるポイントなんだけど。ホルガ村の「生と死のシステム」がしっかり描かれる。個人を尊重する社会では、生も性も死も個人的なことなのに、社会が決めるってキッッイわ〜ってなる。

でもこれって戦時中は日本でもそういうものだったんですよね。

ちなみに、ここで「アーリア人種」にカギカッコがついてるのは、「ナチス的に理想とする人種」のことで、学術的に根拠のない、ナチス基準の人種なので、かなり架空の存在に近い。自分たちで定義して、自分たちで選民してたわけ。

ナチスは当時、科学研究の分野に優れていて、それが軍事技術に応用されてたんだけど、一方で自分たちのルーツ探しにも必死で(新興国家が世界制覇しようとしていたわけなので……)そこでアーネンエルベとかを作っちゃって莫大な資金を投入したわけだ。

ルーン文字には一文字ずつそれぞれ意味があって、というのは『ミッドサマー』でも言われていたけど、ナチスはそれらに魔力的なものがあると信じていた、という説がある。
ナチスの実用化されなかった兵器にベル型円盤(UFOではないか?タイムマシンではないか?とかいう説もある)があって、そこにルーン文字が刻まれていた、なんていうのはよくオカルト本にも書いてあったりするしね。

まあ実際ナチスが古代の北欧の歴史を研究することでどれくらいの成果を得られていたかは謎な部分も多いけど、個人的に、『ミッドサマー』のような共同体に、もっとテクノロジーとか軍事力とかぶちこんで近代的にしたのが、ナチスの理想としていた「千年帝国」だったんじゃないかと思って、それもまた勝手にゾ〜〜〜〜〜〜ッとしていたところだったんだよね。

『ミッドサマー』のホルガ村では、人間の個々の意思なんてなくて、せいぜい役割、村を存続させるシステムの一部って考え方だ。みんなが共同体に共鳴していて、ヒステリックなまでに全員がホルガの伝統にバイブスで繋がっている。

ナチスの宣伝映画、特に党大会の記録映画を観たことがある人などは、『ミッドサマー』の集団でのカタルシスに近いものを感じるんじゃないかと思う。儀式めいていて、個人が全体に溶け込んで行くような感覚。そしてそれを束ねるのがヒトラーだけど、ヒトラーもほぼトランス状態で、「理想のドイツ国家」というものに国民をコネクトする、いわば霊媒師みたいな存在としての総統、っていう風に捉えることができる。あくまで、オカルト的な見方ではあるけど。

憶測ではあるし『ミッドサマー』本編からは外れてしまうけど、folksによるricheを目指したナチスって、その原型は『ミッドサマー』のような、個人より全体が生き延びることを目指した超巨大なコミュニティだったのではないかって思わされた。

クリスチャンがシヴに呼び出されてて「マヤとの性交を認めます」と通告された時「占星術的にも相性がいい」とか言われてたと思うんだけど、ナチスも占星術にものすごい力を入れていた。(いうて、自分たちに都合のいい占星術しか認めてないんだけど……)
その辺りはこの本とかに詳しいです。

こんなことまで想起させちゃうのって、『ミッドサマー』があまりに作り込まれていて、いろんな想像力を掻き立てられてしまうからなんだよね。
ルーン文字やその儀式だけでも、すごくよく作り込まれているから設定厨的な好奇心もくすぐられるし。

「〜だったらどうだったんだろう」とか、「あのあと夏至祭はどうなるんだろう」とかね。語りきらないところもすごく良い。

2日くらいトラウマになって苦しんだけど、やっぱり『ミッドサマー』は名作だと思うし、アリ・アスター監督、脱帽でございます。
早いところ、『ヘレディタリー/継承』も観ますね。

まとめ 〜『ミッドサマー』は観るべきか否か〜

2日ほど胸糞悪さを引きずって、Bluetoothのロゴ見ても「ヒッ」ってなってたくらいバッドになってしまった私ですが、
救いだったのは、

・家のパソコンで観たこと
・実に良く出来た作品

ということに尽きます。
映画館だったら、あの画面の刺激と音響に耐えられなかったかもしれない。
でも、ちょっとクリスチャンに対するフラストレーションがあまり溜まらなかったタイプなので(ああいう彼女の相手をするのがしんどいのも分かってしまうから……)よりクリスチャンのクズ度合いがわかるらしいディレクターズカット版が観たいというくらいには回復してきました!

なんだかんだ、好きです。『ミッドサマー』。

一概にオススメはしません。
でも、ホラー好きとか、ホラー映画でレポート書こうとしてる人は絶対観た方がいい。ジェンダー論にも絡ませられると思うし。

**ただし!絶対メンタルコンディションがイイ時に限る!!!
**

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