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小説「多摩」

深夜の東急大井町線。
大岡山駅から、溝の口駅行きの電車に乗る。

体勢の崩れた老人たちはスマホでニュースをダラダラ見たり文字を打ったりし、若い女の子はドアのそばにもたれて、iPadにApple Pencilで作業している。

水曜日の深夜だが、それなりに人は多い。
やはり沿線は人が好んで住む場所に設計されているのだろう、それが東急電鉄の使命だろうから。

車内では、美しい風貌の若い男が目立つ。だが、彼らの美しさは信用というものを全く抱かせないものだ。

日本の電車で一番日常的な警戒するのは、スリや痴漢もさることながら、自分の美醜とか体臭とか体毛とかライフスタイルのクオリティとかを、広告に脅され、すぐ隣にいる乗客と、比較してしまうことだ。そしてその比較意識を内面化させられることだ。電車に乗っていなくても、その広告の価値観が常にこびりついてしまう。
これに一番気をつけなければならない。特に東急線はブランディングが得意だから、少し気を緩めるとすぐ、こちらの生活に不足があるぞと指摘してくる。
その警戒の習慣があるから、老人たちは目を背け、スマホを見ているのだ。
結局、スマホの中も大して変わらないのだが……。

私は着席していた。
慣れない路線なので、目的の駅までどのくらいか分からず、車内表示を見ていた。

二子玉川に着いた。
仕立てのいいスーツの酔っ払いに足を踏まれた。
彼は二子玉川で降りて行った。
酔っていたから電車なのだろうか。
あるいは彼は普段から電車なのだろうか。

ドアが開いている間、若い女の子はiPadを伏せる。若い男たちは口を開いて笑っている。

若さ、それは希少な資源が流出しているのを見るようだ。
若さにはただでさえ価値があると言われているのに、今この国ではその人口もも少ないのだ。
老人は、更に若さを崇めるのだろうか?
今よりも?
果たしてその世界に耐えられるだろうか……。

私は溝の口駅で降り、消灯してますます冷たくそびえるマルイを横目に、武蔵溝ノ口駅に急ぐ。
自分の頭の中の考えにとらわれ急かされて、なぜか逃げるように改札を潜り抜ける。

身体中が痛い。

南武線は、さっきより少し空いていた。
私はまた着席することができた。深呼吸をする。

ヘルプマークについて、どれだけ知っているだろうか。
ヘルプマークは、少なくともこれまでは、JRの駅では配布していない。
恐らく、JRは東日本旅客鉄道「株式会社」だからだ。
これが国営のままだったら……?
JR東日本の駅でヘルプマークを配っていたかもしれない。
あるいは、ヘルプマークなんてものが生まれる社会ではなかったかもしれない。

都営三田線沿線に住んでいた時のことを、そして小田急線沿線に住んでいた時のことを思い出しながら、電車は暗い住宅地を、登戸へと向かって行く。

どこに住みたいか?
そんな時、駅名で考えてしまうことも多いだろう。
駅は沿線を構成する。
沿線は、その経路が変わらない限り、路線が敷かれた最初の目的から大きく逸脱することはない。
鉄道を持っているのは大企業だ。

一方私は、幾ばくかのお金のために、最短2回で済む電車を、4回乗り換えた。

電車に乗っている間、私は一度も多摩川を見なかった。

そんなに川を見て帰りたければ、車に乗ればいいだけなのだが。

あなたの感じたことって何物にも代えがたいよね、ってことを一人ひとりに伝えたい。感情をおろそかにしたくない。って気持ちでnote書いてます。感性ひろげよう。