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予兆、予感、予測、予防

世界情勢、日本の情勢、社会やネットの闇、または自分の置かれている状況から、ここのところ落ち込んでいる、鬱っぽい状態になっている人を散見していた。

一方で、確実に春は近づいているのであり、私の方は先週くらいからめちゃくちゃ掃除とかをするようになった。
普段掃除など全くしないで「なぜハウスダストアレルギーなのにこんな埃っぽい家に住めるのだろう?」と思いながらも掃除機に積もる埃を眺めているような生活なので、お風呂の排水溝までピカピカにするとか、足が滑るほど床をきれいにするといったことは、「異常行動」なのである。つまり「躁っぽい」のである。

気分障害等による躁状態は、過去になったことがある人でさえも、予兆を捉えて更に加速しないようにするのは難しい。なぜなら体も頭もキレキレになるので、「元気になる」「いろんなことが出来るようになる」「楽しくなる」から、敢えてそれを止めようと思わないのだ。そもそも躁だと気付かないこともある。私であれば、どんどん文章が書けるようになって、それが気持ちいいので流れに任せてしまうことがある。

じゃあ躁ってそんな悪いことじゃないんじゃないの?って話になりそうだが、躁は行き過ぎると浪費とか社会的に破綻するレベルの行為まで行ってしまうことがあるので、要注意である。(特に双極性I型の人)

そして、双極性II型の人も、躁に任せてアゲアゲで行くと、ある瞬間にフッ……とそれが切れて、躁が始まる前よりもずっとひどいうつ状態に叩き落とされるのである。これが辛い。普段何となく来るうつ(私は最近これも無くなったので、だいぶ良くなった)とは比較にならないほど重いうつなのである。躁の本当の恐ろしさのもう一つは、後で必ず待ち構えているうつである。

今私は一応定職に就いており、小説の商業作品も発売するし、他にも色々、感情障害とは無縁の人でもちょっと大変であろうことが控えている身なので、絶対にうつになりたくないという強い意志があった。

なので、自分の身体がサクサク動き、日常のことが快適にできるようになっても、焦燥感とか脳が休んでない感じがバリバリあったので「これはヤバい!!!」と思って敢えて動かず、ただボーッとしたりスマホゲーをしたりしていた。(しかしスマホゲーへの集中力もヤバくて、1週間でレベルを70くらいまで上げた)

即病院に行こうと思い仕事を休んだが、やはりこのご時世病院は予約でいっぱいで、翌日の予約となったため、仕事を2日連チャンで休んだ。普段休んだら一切仕事をしないのに、今回はやはり頭が動きすぎて仕事を進めたりしていた。おかげで業務にそこまで遅延は生じなかったが、それでも「やりすぎないように」とある程度で断ち切るようにした。

しかしやはり休んでしまったことは心苦しかった。2日連チャンは結構ヘビーである。かつて欠勤を告発材料としてクビになった経験がある身としては、やはり怖いのである。
少し自責の念を感じながらも、病院で状況や症状を話したら、先生が言ってくれた。

「来てくれて良かった」

正直病院は爆混みで、先生にも疲れの色が見えたが、それでも「来てくれて良かった」と言ってくれたのだ。それにどれだけ救われたか。躁を恐れて大事を取った自分の判断が間違っていなかったと、先生が説明してくれた。やはり躁と分かっていても気持ちがいいからそれに任せてしまう人の方が多いそうだ。

私は薬をもらい、脳の暴走を抑えて頭をボーッとさせ、心地よい眠さ(決して躁にならない安心感による)を感じつつ仕事に無事復帰した。それが昨日。昔はかなり怖かった副作用も、生活に支障は出ないしもう慣れた。うつになるよりマシ。

仕事はつつがなく終わり、クッソ眠いから寝ようと思ったけど、友人が原稿〆切のピンチに陥っており、作業通話をしながら少しだけ手伝った。そして我慢の限界がきて眠りについた。その数分後。

地震である。私は横になったままだったが、物が落ちるのが分かった。縦揺れがないので大丈夫だろうとタカを括っていたが、かなり長いこと揺れた。さすがにこれは起きたほうがいいと思い、テレビをつけて、作業通話に戻った。みんな不安を感じていたが、一人暮らしの私からするととてもありがたかった。ホッとした。そこはバーチャルな心の避難所だった。みんなで安否確認と情報共有をした。少し落ち着いてから、みんな寝ることにした。

そして今朝。私はちゃんと眠って起きた。震度が大きい場所はもちろん、停電などの被害が東京でもかなりあったのを知った。朝の日差しを感じながら、ボーッとした頭の中でこの記事を書いている。

もし、私が躁状態を放っておいたまま昨日の地震を迎えていたら、多分一晩中頭が冴え渡って眠れなかったかもしれない。不安と興奮がないまぜになって、身体にも影響が出ていたかもしれない。興奮して色んな人にLINEを送ったり、Twitterにめちゃくちゃなことを書いていたかもしれない。そして高まった緊張がフッと切れて、仕事もままならないほど沈んでしまったかもしれない。過去の経験から、これらは全てありうるのだ。

正直地震による直接的な被害に比べたら、全く小規模で個人的なことなのだが、しかし精神的に参っている人というのは、それがない人よりも社会情勢や天候、天災などに影響を受けやすいことがある。自分もそうだ。よって、これは覚書として残しておく。

備えあれば憂いなしなのは、メンタルもそうなのだと学んだ。調子に乗らず、日々しっかり地に足をつけること。たとえ、きちんと掃除をすることや、多少無理して会社の仕事をすることが社会的には当たり前でも、自分の基準で考えたらヤバそうと感じたら、それは自分の判断を優先すべきだ。

被害に遭われた方々のことを思うと胸が痛い。
そして私は朝の薬を飲み、また仕事を開始するのだった。

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