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時計は我らの味方であり、入って損する風呂はない

集中力が続かない。
いつまでもダラダラしてしまう。
これらを怠惰な性質と決めつけて己を責めることが一番無駄なので、どうしたらいいか探った。

時間で区切る。
それも、作業時間を理想の半分とか、大幅に少なくする。
最近は作業を25分、休みを5分にしているが、25分経った瞬間に立ち上がって切り上げる。このくらいの方が腰に負担ががかる座りっぱなしを防げる。
『超没入』なんて本が流行っているようだが、過集中は身を滅ぼす。要するにメリハリをつけることが大切なのだ。

近代以降、時計が我々の労働や生活を支配してるわけだが、慢性的な無気力や暴れ馬のような感情も支配してもらうことにした。
権力対暴力、システム対個人の和解だ。

はっきり言って時間というのは、エンデの『モモ』でも言われている通り、絶対なものではなく、それを継続する時間の単位はただの目安でしかない。
その単位を利用して人間を雑に管理しようという権力者の目論見(主に賃労働)の副産物がクソなのであって、天体の動きや連続性を把握するために生まれた時計とか暦って、見ていてとっても不思議なものだな〜と思う。

日時計とかアンティークの時計とか大好き。

時は金なり的な考えじゃなくて、時を自分をいたわる目安として使おう。
38.5℃の熱が出たら寝る、とかと同じ。

時間で区切って、テキパキ動く。落ち込んでるからってダラダラ寝込んだりせず、なるべく動いた方がいい。

だが、やっぱりそんなん分かってても出来ない。キッパリ時間で切り替えられるとは限らない。
脳の切り替えの問題だからだ。

これはおそらくイレギュラーな切り替え方なのだが・・・
布団の中で動けない時なんかは、スマホでお笑い芸人動画を観るのはイイ。
あまりにもくだらないコントっていうのは、脳への刺激がすごいから、布団の中でひとしきり笑った後に

「こんなくだらない動画を見てる場合じゃない!」

と頭を切り替えて動けるのだ。
くだらなさすぎて、やるべきことに取り組むことの重要性を思い起こさせてくれるなんて……
それにしても不思議なことだが、どれだけ死にたくなってもお笑いではしっかり笑ってしまう。
観たのはジェラードンのコントです。ありがとうジェラードン。

こんな話をしたのには意味があって、
私はあまりにだるいと食事が摂れなかったりお風呂に入れなかったりする。
「風呂に入れない」で検索すると、脳の切り替えがうまくいかないせいで風呂に入れない人たちがあらゆる方法を紹介してくれている。
そして、人それぞれ、入浴の何がネックなのか違っているのが分かる。
そもそも洗濯してなくてバスタオルがないからだるいとか、お風呂に入ると身体がだるくなってしまうから避けるとか。

だから、1つでも対策案は出しておいた方がいいなと思ったのだ。

これは正に集合知、インターネットのイイところで、もしインターネットがなかったら「風呂に毎日入ることは当たり前」という説に飲み込まれ「風呂に入れない自分はダメな奴なんだ」とますます鬱・無気力になっているかもしれない。
そんな風に思うことはない。
そういう人は多いのだ。

今日、1ヶ月ぶりくらいに湯船に入った。
昼間は例のごとく暗澹たる気持ちだったが(何も起こってないのに、暗くなっていた。おそらくまたも空腹だった)すっかり自尊心を取り戻した。

風呂なんて入らなくても死なない。
そして入って損する風呂はないのである。
時間が来たら寝よう。23時とかに。

あなたの感じたことって何物にも代えがたいよね、ってことを一人ひとりに伝えたい。感情をおろそかにしたくない。って気持ちでnote書いてます。感性ひろげよう。