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世界からぼくが消えたなら

世界中にいる人たちの中には、ぼくのことを知らない人がごまんといる。ぼくが一生をかけても、全員と知り合うことはできないだろう。当たり前だ。だけど時代とともにインターネットが普及して、かんたんに世界と繋がれるようになった。顔も知らない、声もわからない誰かと知り合うことができるのだ。

SNSを通じて、知り合った人が何人かいる。ほとんどの人は実際に会ったことはなく、ぼくらを繋ぐのはこのインターネットを媒介としたコミュニケーションツールだけ。会話の代わりに親指や人差し指を左右、上下、と動かす。ぼくが彼らをSNS上の投稿だけで認識するように、彼らもまたぼくのことをそういった投稿だけで認識しているだろう。

きっと、おそらく、もしかしたら、たぶん。ぼくが数日インターネットの世界から身を潜めたとしても、彼らの日常には何も変化はないし今日が終われば明日が始まるだけだ。運がよければ「そういえば最近みかけないな」と思い出してもらえるかもしれない。だけど、それだけ。

この地球上のどこかにぼくはいる。今こうして確かに文章を打っている。だけれどインターネット上のぼくは、あくまで自分が作り出した虚像に過ぎない。そこにぼくはいないし、きっときみもいない。ぼくらを繋ぐものはなんだろう。ぼくらを形作るものはなんだろう。ぼくにとってきみとは、きみにとってぼくとはなんだろう。

きみの顔や声、お洒落した姿、考え方、今日の出来事、仕事への不満、漠然とした不安、がんばったこと。そのすべてがデータとして、ぼくのもとに届く。タイムラインの奥底に沈んでいったデータは変わらないまま溜まり続ける。現実のきみは、先へと進み続ける。変わり続ける。

仮に会いたいと思ったとき、きみは本当にそこにいるのだろうか。ぼくが会いたいと思ったのは、データが作り出したきみという虚像なのか。それともきみそのものなのか。すぐ近くにいるようで、途方もなく遠く感じる。2020年、会いたいときに会いたい人に会えなくなった。そんな時代にぼくらは、インターネットで繋がっていた。遠く離れていても近くに感じられた。

だけれどぼくは、遠くに感じた。液晶ガラスたった一枚分なのに。何億光年も先の光を浴びるように、ぼくの顔を照らし続けた。指先は触れ続けているのに、きみの体温を感じることはない。固くて冷たい液晶ガラス一枚に遮られている。このインターネットという世界からぼくが消えたなら。きみは、会いたかったと思ってくれるだろうか。

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