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【ありふれた日常から】疑惑の判定に思うこと

パリオリンピックがいよいよ開催された。
連日、柔道の試合が行われ、日本国民も一喜一憂している。

今大会は柔道の試合で審判員の判定がいろいろと問題になっている。

審判員も人間だから、見落としや勘違いもあるだろう。

でも選手は人生を掛けて試合をしている。

なぜそんな人に不可解な判定をして、曖昧な態度のまま話し合おうとしないのだろうか。

ちゃんとルールに基づいた説明をして、お互いが納得すればスッキリするはずだ。

判定ミスを指摘されることが怖いのだろうか。

もしミスがあったのなら、心から謝罪をすればいい。

きっとわかってもらえるはずだ。

曖昧なまましておけば、お互いがこの先一生モヤモヤした気持ちで生きていかなければならない。

そこまでして審判員の威厳を保ちたいのだろうか。

審判員である前に、あなたも一人の人間じゃないか。

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