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銀河鉄道999のようなものに乗って

子供の頃から「お前は歯医者になれ」と親から言われてきた。
振り返ってみれば洗脳に近い状態だったのだろう。
母1人子1人、父は歯医者で時々来るが別居。苗字も違う。
アパート暮らしの事実上の母子家庭は貧しかった。
家庭事情についてこれ以上書くのは辛いので、あとは察して欲しい。

ウチの幼少期、1970年代は歯医者は皆金持ちだった。
百貨店の外商が持ってきたような一流品を身に着け、高級車に乗り、週末は親しい先生方とゴルフ。会合や勉強会は高級料亭か高級ホテル。「パノラマ撮ってハワイへ行こう」なんて言葉が当時(もしかしたら80年代?)の歯科界での流行語だった。
豪遊という言葉がピッタリだった昭和の金持ちが歯科界にゴロゴロ居た時代。虫歯の洪水と言われ患者も溢れかえってた時代。
それを見て「歯医者になればビンボーから脱出できる!」と思いこんだ幼少期のウチは、物心ついたときから歯医者を目指していた。すなわち親の意向と幼少期のウチの考え、利害が一致していたのだ。

当時「銀河鉄道999」のアニメがテレビ放映されていた。

銀河鉄道999は、機械人間(=裕福な人間)の殺りくによって両親を失った星野鉄郎(=生身の人間=貧乏)が、アンドロメダに行けばタダで機械の身体が手に入るという噂を聞きつけ、謎の美女メーテル(=母の面影があり)からアンドロメダ行きの切符を手に入れて一緒に旅をするといったストーリーだ。

アンドロメダ行きの切符が、歯医者になるためのプラチナチケットと重なって見えたのは恐らくウチだけだろうと思う。以来とにかくビンボーを脱出するために何もかも犠牲にしてきた感はあった。あの頃のウチはアンドロメダに行って金持ちの仲間入りを果たし、人生の成功者になろうとでも考えていたのだろうか。今振り返るとアホくさっ!てなるが、その考えがあったからこそ今があるのだと思うと否定はできない。
こうして惑星ビンボーを去るため、999号のようなものに乗り込んだ。

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幸い学校の成績は上のほうで、小中学校でも割と一目置かれる存在だったのでいじめはさほど受けず、学校の成績だけが自己肯定感を補う唯一のものだった。おかげで地域で最高峰レベルの高校に進学し、更に国立大へも進学できた。父親は涙ぐんだ。あそこまで涙ぐんだ父を見たのは最初で最後だった。こうして列車は順調に進み、アンドロメダ大星雲がハッキリと見えるところまでやってきた。

しかしウチの大学入学を見届けてから間もなく、父親が肝ガンで死去。感染対策なんてほぼないに等しい時代の歯医者だ。もちろん素手での診療。どっかから肝炎ウイルスでももらったのだろう。強い倦怠感がきっかけで受診した時は手遅れ状態。それから半年と経たずに他界。あっという間だった。

大学に入って浮かれていたのも束の間、すぐに暗いトンネルに突入した気分であった。それでもこの長いトンネルの向こうにアンドロメダがあるのだと思うと、もう後には戻れない。バイトでも何でもして前に進むしかない。そのころ世間ではまだギリギリ歯医者=金持ちのイメージが浸透していたからだ。実際は斜陽産業と化しているのも知らずに。
もっとも星野鉄郎はアンドロメダ到着前に大切なことに気づいていたのだが、ウチはそれに気づいてはいなかった。あとこれがもし私立大に進学してたなら、恐らく999号から引きずり降ろされていただろう。この辺は何とも運がいいというか何と言うか・・・。

そんなこんなで999号はようやく大アンドロメダ駅に到着。念願の歯科医師免許が手に入った。およそ20年という結構な長旅だった。アンドロメダ駅で999号から降り立つと、すぐさま月給40万で召し抱えられた。何も出来ないただライセンス持ってるだけの人間にだ。降り立って間もなく何もかも一気に潤ったのを感じた。砂漠に大量の雨が降って湖が出来始めたかの如く。

こうして歯医者の道を歩み始めたのだが、惑星アンドロメダで見たものは・・・。(続く)

※後編はこちら
https://note.com/s_shien/n/n21c4c57114b8

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