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【ショートショート】「鬼を呼ぶ。」(3,997字)

「これだけ言っても止めないんなら、鬼に来てもらうからね!」

 女性はヒステリックに言うが、その声を聞いた子供の反応は芳しくないようだった。

「鬼なんて怖くないもんね。それより、もうちょっとしたら終わるから」

 話を聞く限り、どうやら子供はゲームをしており、母親はそれを止めさせたいようだ。ちらりと時計に目をやると、すでに午後九時を過ぎていた。

「こういう状況なんです。すぐ来てもらえますか」

 女性は電話口で言った。

「分かりました。すぐに参りますんで待っていてください」

 俺は電話を切ると、服を脱ぎ衣装に着替えた。

「ちょっとパパ行ってくるから」子供たちにそれだけ告げ、軽バンに乗り込むと、俺はアクセルを踏み込んだ。

 閑静な住宅街の一角にある比較的大きな一軒家だった。
 音を立てないように庭を横切り、聞いていた窓へと向かう。
 大きな窓だった。中を覗くと、小学校低学年くらいの男の子がゲームに熱中し、その後ろで母親が顔に青筋を立てていた。

 コンコン、と、俺は窓を叩いた。
 子供が窓の方を見るとき、俺の頭から生えたそれが、少しだけ見えるように調整した。

「ま、ママ、あれ、なに……?」
「決まってるでしょう。『鬼』が、あなたを食べにやってきたのよ」
「ぼ、僕、すぐゲームやめるから! お願いします、食べないでください!」

 子供はすぐにゲームの電源を切ると、寝室に走って行ってしまった。一応、虎柄のパンツも履いてきたのだが、今回は角を見せるだけで十分効果があったようだ。

「どうもありがとうございました。これ、少ないですけど」

 若い母親がやってきて、窓から茶封筒を渡してきたので、俺はありがたく受け取った。
 子供を怖がらせて謝金を受け取る、情けないがこれが現代のリアルな『鬼』の姿だった。

「あれ、約束よりちょっと少ないようだけど」

 封筒の中身を確認した俺が言うと、若い母親は舌打ちした。

「ちょっと子供怖がらせるだけでぼりすぎだろ……」
「でも約束は約束——」
「ほら!」母親は俺に残りの金を投げつけ、ぴしゃりと窓を閉めてしまった。

 俺はため息をつき、千円札を一枚一枚拾ってまた軽バンに乗り込んだ。

 鬼自治区に戻ると、狭い路上に酔いつぶれた鬼やホームレスの鬼が何匹も座り込んでいた。
 人間によって数百人の鬼たちが狭くて便所臭い自治区に押し込められ、許可なく外へ出ることも禁止されていた。人権(鬼権)もあってないようなものだ。かつて西洋人たちが黒人や先住民に対して行った仕草が、現代においては鬼に対して行われているのだった。

 単純な腕力であれば鬼に分があるが、人間の組織力や強力な武器や兵器に鬼は太刀打ちすることはできなかった。
 すべての鬼の故郷である鬼ヶ島もすでに人間に観光地化され、今では見世物とされた少数の鬼が細々と暮らすのみであると聞いていた。
 かつて桃太郎によって金銀財宝を奪われた我々は、残された誇りまでも奪われようとしていたのだった。

「ただいまー」

 家に着くと、ワイフが血相を変えて飛び出してきた。

「あんた、これ見てみな!」

 ワイフが見せてきたのはスマホの画面だった。ワイフがよく見ているツイッターアプリが開かれている。
 そこにはこんな文字が表示されていた。

『鬼の子供怖がらせサービス頼んだんだけどサイアク。言われてた金額より高いお金請求されて、勇気出して断ったら子供に暴力振るおうとするし、もう二度と頼まない。誰が大人怖がらせろって言ったよ #拡散希望 #鬼を許すな』

 そんな投稿と一緒に、隠し撮りされた俺の写真も添付されていた。

「あんた、こんなことしたとね?」
「バカ、そんなことするわけないだろ。こいつが嘘をついてるんだよ」
「でも、皆この人のこと信じとるよ」

 そのコメントにはたくさんの返信が付いていた。

『鬼ってホント最低だな』
『人類の永遠の敵』
『こいつ常習犯だよ。俺もやられた』

 いいねやリツイートの数も目に見えない速さで増えていった。いわゆる炎上というやつだった。

「どうすんのよ」
「ど、ど、どうするって言ったって」

 俺たちが慌てていると、にわかに外が騒がしくなってきたので、子供たちを部屋の奥に避難させて外へ出た。
 そこには、夜中にも関わらず、拡声器を使って叫ぶ徒党を組んだ人間たちがいた。

「鬼たちはここから出ていけー」「出ていけ—」
「鬼自治区が近くにあると我々は安心して過ごせないぞー」「過ごせないぞー」
「生活保護を不正受給する鬼たちは許せないぞー」「許せないぞー」

 シュプレヒコールは深夜まで続き、多くの鬼たちが家の中で膝を抱えて震えて過ごした。今さら出て行けと言われてもほかに行き場なんかなかった。
 その日から、鬼への差別や嫌がらせはさらにエスカレートしていった。
 あるときは鬼の家の窓ガラスが割られ、またあるときは壁に女性器のマークの落書きがなされた。「鬼のいぬ間に洗濯」と言いながら鬼の自宅に忍び込み、洗濯機を詰まらせて家を水浸しにする様子をユーチューブでネット配信するユーチューバーも現れた。

 鬼小学校の前で、鬼が人間たちにどれほどひどい仕打ちをしたかマイクで演説を始める輩もいた。演説を止めさせようとした鬼小学校の国語教師は人間の警察を呼ばれ、刑務所に連れていかれたまま二度と戻ってはこなかった。
 俺はこのような事態を招くきっかけを作ってしまったことをひどく後悔した。しかし、それ以上に激しい憤りを感じていた。

 人間による嫌がらせ——というよりもはや迫害は留まることを知らなかった。 翌週には鬼自治区のすべての公園に犬の死骸が放置された。
 翌月には鬼の子供の死体が電信柱に磔になって発見された。
 なぜ自分たちがこのような目に遭わねばならぬのか。

「もう我慢できん! 人間に滅ぼされたっていい、最後は人間たちと戦って一人でも道連れにしてやろう!」

 鬼の会合で、俺はついに言ってやった。
 鬼の会合とは、鬼自治区の各隣組代表者十数人が集う協議の場で、俺は一応ある隣組の代表ということになっていた。

「だが、人間は戦車やマシンガンを持っている。無駄死にするのがおちだろう」
「マシンガンなんて怖くないね。マシンガンで撃たれるよりこのまま行動しないことのほうがよっぽど辛い」
「戦争になって、真っ先に殺されるのは子供たちだぞ!」
「だが、なにもしなくたって子供が殺されたじゃないか」

 会合は人間と戦う派と戦わない派に分かれ紛糾した。だが、やはり子供が殺されたことを看過できる鬼はいなかった。
 話し合いは深夜に及んだが、ついに結論が出た。

「戦おう」

 各隣組代表の鬼たちはすぐに隣組に戻ると、鬼たちを集められるだけ集めた。

「明朝、鬼全員で人間の地を襲撃する。総力戦だ」

 各自家の奥にしまっていた金棒を取り出し、正装である虎柄のパンツに着替え、夜明けを待った。どうせ残っても殺されてしまうのならと子供や年寄り衆も参集した。
 数百人規模の鬼の隊列が、空っ風の吹く路上に仁王立ちする姿は、人間たちを恐れおののかせるのに十二分の迫力を伴っていた。

 だが、今は二〇二三年だった。
 いくら鬼が強かろうと、拳銃で撃たれたり手投げ弾などを食らったりすればひとたまりもない。
 だが、もはや戦うしかなかった。思えばツイッターで炎上したのもほんのきっかけに過ぎなかったのだ。これは誇りを取り戻すための戦いだ。俺はきっと死んでしまうだろうが、それがなんだというのだ。死ぬよりも辛いことがこの世にはあるのだ。

 俺たちは鬼自治区の外へ足を踏み出した。
 しかし、そこに人間の姿は一人たりとも見当たらなかった。

「なにが起きたっていうんだ……?」

 俺たちは振り上げた金棒を下ろし、ただそこで途方に暮れるしかなかった。
 翌日、人間の新聞にこんな記事が載った。

『中国で発生した未知の新型ウイルスによって、人間の少なくとも七割以上が死亡したとみられ、国家は壊滅状態になっている。このウイルスはごく短期間の間に変異を繰り返していたとみられ、耐性があるのは一部の人間と、鬼だけであると考えられている』
 新聞社も社員が三割以下になったからか、紙面は約七割が白紙のままだった。

   ※

「言うこと聞かないんだったら来ちゃうからね!」

 そんな声に怯える様子も見せず、子供たちははしゃぎまわっていた。

「この騒ぎが聞こえますか? こういう状況ですので……はい……」

 電話を切るも、なお子供たちは布団に向かうことなく室内を走り回っていた。
 その十数分後だった。
 さくさくと庭を歩く人の気配を感じた。
 さりげなくカーテンを開けると、すぐに窓を叩く音が聞こえた。
 窓の外側から聞こえる異音に気づいた子供たちが立ち止まり、窓を注視した。

「ぱ、パパ、あれ、なに……?」
「決まってるだろ。『人間』が、お前たちのことを炎上させにやってきたんだよ」

 窓の外では、か細い人間が、こちらを覗き込みながら熱心にスマートフォンの操作するそぶりを見せていた。

「ぼ、僕、すぐに寝るから、嘘情報の拡散や陰湿な嫌がらせはしないでください!」

 怯えた鬼の子供たちは一目散に寝室へ向かうと、布団の中に潜り込んでしまった。
 俺はいつかその外側に立ち、人間の子供を怖がらせた窓を開けると、見るからに不健康そうな痩せぎすの男に封筒に入った金を手渡した。

「へへ、毎度あり」

 男は中身を確認すると、俺に不審そうな目を向けた。

「あれ、約束より少ないようですが」
「お前の先祖が鬼ヶ島から奪った金銀財宝の一部を返してもらっただけだ」

 俺が言うと、男はなにか言いたそうな表情をして、そのまま去っていった。
 鬼としての誇りを取り返す機会を二度と失った俺たちにとって、取り返せるものはもはや金しかなかった。
 俺は泣きながら窓を閉めると、男にもらった封筒を床に投げ捨て、とぼとぼと子供とワイフが待つ布団へと向かった。











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