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【ショートショート】「革命を目指す文章屋」(5,782字)

 ヨハンは小さいころから作文が上手いと言われてきた。
 物心ついたころから、ヨハンが書く文章は人を惹きつけ、大人でさえ一目置いたし、国民学校に入ってからは作文のコンクールがあるたびにすべて大賞を取って周囲の大人たちを驚かせた。

 ヨハンの書く文章を読んだ大人たちは判を押したように決まってこう言った。

「君の書く文章には人の心を動かす力がある」

 ある年のことだった。
 ヨハンが書いた作文があまりにも素晴らしい出来だということで、国民学校の廊下にヨハンの書いた作文が飾られることになった。

 その年、国民学校の生徒たちの半数が親の家業を継ぐために自主的に退学した。

 国民学校の教師たちは最後までその事件の原因が、ヨハンが書いた作文にあると気づくことはできなかった。ひょっとするとそこで気づいていればその後のヨハンの人生は大きく変わっていたかもしれない。
 ただ、その時点で生徒たちが退学していった理由に思い至っているのはヨハンただ一人であったし、ヨハンはその日から、作文を書くときは自分の思想を投影しないように努めた。

 ちなみにその年、ヨハンが書いた作文のテーマは『労働の尊さについて』だった。その文章に多くの児童たちが“心を動かされた”のだった。


 十八になると、ヨハンはエスカレーター式に国民大学校に入学した。
 その頃、ヨハンは自分の書く文章が人に与える影響について完全に理解していたが、あえて全く畑違いの天文科を専攻した。

 昔から星を見るのは好きだったし、人文科などにいったら必然的に文章を書かなければならず、そうなると誰から目を付けられるか分かったものではなかった。ヨハンはできれば静かに日々を過ごしたいと考えていた。

 五月、国民大学校では新入学生への倶楽部活動の勧誘が激しく繰り広げられていた。
 講堂へ向かう道では、あらゆる倶楽部がビラを撒いてヨハンの歩行を妨害した。ヨハンはいつものようにそれらを避けて歩いたが、その日、あるクラブの前でヨハンの足が止まった。

 そこにいたのは美しい男女のペアだった。

 男性の方は長い金髪を後ろに流しており、女性の方は逆にグレイの短髪を立ち上げていた。二人とも顔立ちが整っており、独特の雰囲気を持っていた。

「君」、男性の方がヨハンに気づき、声を掛けた。「なにか人にない才能を持ってるでしょ」

 ヨハンは驚いた。男は一瞬にして自分の隠している才能を見抜いたのだった。
 それがヨハンと『革命戦線』の出会いだった。


 男は名前をロスといい、女はマルタといった。
 二人は美術系の倶楽部に所属し、表向きはヨハンをその倶楽部に勧誘し、結果としてヨハンはその倶楽部に加入することになったのだが、倶楽部の中で絵を描いたり彫刻を掘ったりしているものは一人もいなかった。

 彼らが行っていたのは、政治論争であり、国民大学校敷地内で行われる宣伝・勧誘活動――いわゆるオルグ活動であり、ときには研究室から怪しげな化学物質を持ち出して兵器のようなものを作ることもあった。

 彼らは『革命戦線』と名乗る反政府組織だったのだ。

「もうここには慣れてきた?」

 国民大学校の敷地内にある倶楽部室の中でのことだった、ロスはヨハンの肩に手を置いて言った。

「はい、少しですが」

 ヨハンはペンを走らせる手を止めて答えた。
 学内に三十人近くはいるという『革命戦線』の同志たちに対する、意識高揚のメッセージを書いているところだった。

 まだ組織に身を置いてひと月ほどだったが、ヨハンは『革命戦線』の思想に深く共鳴していた。
 初めは自分の才能を一目見ただけで見抜いたロスに興味を持って美術倶楽部に通うようになったが、その中で、国民大学校四年生でリーダーのロスや三年生で副リーダーのマルタから現在の政治の腐敗や、国が近隣諸国に対して武力弾圧を繰り返している現実を知ると、国を牛耳る権力者たちのことを許しがたいという気持ちがめらめらと沸いてきた。

 ロスは人心掌握術に長けていたし、政治の腐敗も事実だった。この国に必要なのは革命だと、ヨハンがそう考えるのに時間はいらなかった。

「君の書く文章には恐れ入るよ」ロスはヨハンが書く文章からあえて視線を外して言った。その文章は目に入った瞬間に、ロスの精神になんらかの影響を与える。
「政権は公安警察を動かし、我々への弾圧を一層激しいものとしている。また、領土の中の少数民族に対しても、不妊手術を強いるなど、民族統一に向けた政策を加速化させている。ここで仲間を集めて団結しなければ、我々に未来はない」

 ロスの淀みない言葉に、ヨハンは深く頷いた。

「団結のためにはあなたの書く文章が不可欠よ」マルタが話に入ってくる。「あなたの書く文章は読む人の心を動かす。それも長文であればあるほど。今は仲間を集めるためにその力を使っているけど、いずれ本を出版して、この国を変えましょう」
「そのために僕の力が使えるなら、何万字でも書きます。同志よ」

 そう言うと、ヨハンはまたペンを走らせ始めた。いずれ複写機を買いたいと思っていたが、まだ小さな組織で資金が不足していた。ただ、いくら文字を書いてもヨハンの腕は疲れを感じなかった。
 国を変える、ヨハンはその一心でひたすらペンを走らせ続けた。そのうちヨハンは組織の中で“文章屋”と呼ばれ重用されるようになった。


 ヨハンの力もあり、数か月後には組織のメンバーは百人を超していた。
『革命戦線』は公安警察に危険団体としてマークされ、それまで守られていた学校機関への不可侵協定もいつまで続くか怪しい雲行きになっていた。
 事件が起きたのは、そんなときだった。

 深夜、寮に住んでいたヨハンは、寮長の不機嫌な声で呼び出された。

「ヨハン、電話だ。全くこんな時間になにを考えていやがるんだ……」

 電話を取ると、ロスの切羽詰まった声が聞こえた。

「大変なことになった。すぐに学校の倶楽部室に来てくれ」

 真冬だったが、ヨハンはコートも着ずに寮を飛び出した。
 倶楽部室に入ると、ロスを筆頭に、数人の同志たちが集まっているようだった。その奥に、椅子に座ってぐったりとしたマルタがいた。

「マルタ!」ヨハンは苦しそうにうめき声をあげる副リーダーに駆け寄ろうとした。よく見ると顔が腫れており、痛々しく血を流していた。
「やめろ」

 マルタの前にたどり着く前に、ヨハンは数人の同志たちに制止された。

「どうして!? 怪我をしているじゃないか」
「密告しようとしてたんだ」
「え?」

 同志の言葉の意味が分からなかった。マルタとはまだ数ヶ月の付き合いではあったが、国を変えたいという思いはときにロス以上と感じることもあったほど、組織の活動に熱を入れていたはずだ。そのマルタが組織の情報を売るなど、考えられないことだった。

「マルタの鞄から、同志たちの名簿と住所、それにお前がこれまで書いた文章の写しが出てきた。それに、公安警察の男と会っていたのも、同志に目撃されている」

 ヨハンはさも残念だ、というように首を振った。 
 信じたくなかった。信じられなかった。だが、ヨハンは心酔するロスの言うことを疑うことはできなかった。

「それで、彼女をどうするんです?」
「ここで彼女を逃がしてしまえば、俺たちはきっと捕まって矯正施設に入れられるだろう。それだけは避けなければいけない。同志よ、そのために君の力を借りたい」

 ヨハンは力強く頷いた。ロスのためならなんでもする、その覚悟がヨハンの中にあった。


 翌日、新聞の片隅にこんな新聞記事が載った。
『国民大学校の女生徒、列車の下敷きになって轢死! 顔面に殴打の跡⁉』
 マルタはロスたちによって拘束を解かれたのちに、そのまま自分から線路に横になると、やってきた列車に轢かれて死んだ。

 暴行をされた形跡はあったものの、現場の状況や目撃者の証言から警察は自殺と断定。その後、公安警察が、あくまで事件の捜査という名目で、ロスやヨハンが所属する美術倶楽部にしつこく聞き込みにやってきたが、すでにそこにあった組織の活動を示す証拠は葬り去られた後だった。
 取り締まるべき対象が増えて忙しいのか、公安警察はそのうち来なくなった。

 マルタを自殺に追い込んだのは、ヨハンの書いた文章だった。その文章を読ませることで、マルタは“心を動かされ”、死ななければいけないという強迫観念に駆られたのだった。
 ヨハンの胸のうちに後悔はなかった。
 革命のためには多少の犠牲はつきものだ。そう信じていたし、そのためにはどんな手を汚すことでもやろうと決めていた。そもそも、自分はただ文章を書いただけであり、手を汚したという感覚すらあまりなかった。ヨハンは怪物と化していた。

 闘争は過激化し、『革命戦線』もその勢力を増していった。
 国内最大の反政府組織である『祖国解放同盟』と連帯し、その活動のイロハを学んだ。政権への批判から、次第に武力による革命へと舵を切っていた『革命戦線』のあり方に対し、異議を唱える同志も多かった。
 そんなときは、ヨハンの書いた文章を原稿用紙四、五枚ほど読ませると
自分の過ちを悟り、革命の必要性を声高に叫ぶようになった。

 ヨハンの書く文章は大いに活動に貢献した。
 ヨハネの文章を読むと同志は恐れを知らない戦士になったし、ときには仲間の秘密を打ち明ける密告者と化した。

 市井ではあちこちで火炎瓶の炎が燃え、同志たちと機動隊は衝突を繰り返した。機動隊から連行された同志たちの中には、傷だらけで帰ってきて再び活動に身を投じるものや姿をくらますもの、連行されたきり帰ってこないものがいた。
 取り締まりは激しさを増し、『革命戦線』の同志の中にも、連行されるものが出始めた。学校機関に身を置くことによって守られていた時代は終わったのだった。

「今日ガサがあるぞ!」

 どこから情報を得ているのか、倶楽部室に飛び込んできたロスが言った。
 ヨハネは書いていた本を慌てて引き出しの奥に片づけた。同志たちで隠すべき文書を隠し終え、キャンバスなどを引っ張り出したところで、数人の武装した公安警察がなだれ込んできた。

「公安だ、動くな!」

 両手を上げたロスが、公安警察の代表と思われる、口ひげを生やした屈強な男の前に進み出た。

「どうしたんですか? 公安警察は知の殿堂である大学機関に不可侵とすると、確か協定が結ばれていたはずですが」
「知ったことか。それに、その協定が守られないと不都合なことがあるのか?」
「そういう訳でなく、我々は思想する権利を守られるべきだと考えているだけです。そもそも、ここは単なる美術の倶楽部なので、探してもなにも出てこないと思いますが?」
「美術倶楽部ね。なにも描かれていないキャンバスが飾ってあるだけの美術倶楽部とは笑わせる」
「…………」
「それよりも、この文章を書いたやつがここにいるだろう。引き渡せば、今回は引き下がってやる。もし引き渡さない場合は、この部屋を徹底的に調べ上げて、隠されているものをすべて押収する」

 男は手に持っていた紙をロスに向かって差し出した。
 なにが書かれているか分からないが、その文章は明らかにヨハンが書いたものと思われた。

 ただ、ヨハンは安心してもいた。きっとロスが自分を守ってくれるだろう。なにせ、自分の能力はかけがえのないものなのだから――。

「その文章を書いたのはあいつです」

 ロスが振り返って自分のことを指さしたとき、ヨハンは悪い夢を見ているのだと思った。ロスの瞳はマルタを含めそれまで切り捨ててきた人間を見る目でヨハンのことを見ていた。

「連行しろ」

 ヨハンは公安警察に取り押さえられ、車に乗せられた。
 なにが起きているか分からなかった。目の前が真っ暗になる中で、ヨハンはこれが夢であることを祈り続けることしかできなかった。

   ※

「あいつ、どうだった?」
「試しに文章書かせてみましたが、全然ですね。やっぱりただの身代わりみたいです」
「そうか……」

 公安警察の幹部であるイーノは、取調室から出てきた部下から受け取った紙に書かれた文章に目を通した。部下が連行した男に書かせた文章は、政権の腐敗について書かれた、誰の心にも届かない下手くそな文章だった。

 ここ一年で勢力を増している『革命戦線』には、人の心を動かす“文章屋”と呼ばれる人物がいるという。反政府組織にとってはなにより手放したくない、そして公安警察としてはなんとしても押さえたい人物だった。

 だが、捜査の手が“文章屋”に伸びたと思ったとき、決まって掴まされるのが、“人の心を動かす”文章によって、自分が“人の心を動かす文章が書ける”と思い込まされた身代わりだった。

 どうやら今回捕まえたヨハンを名乗る人物も、その身代わりの一人だったようだ。

 イーノは取調室に入ると、汚らしい身なりの学生に目をやった。
 これまでの“文章屋”たちと同じように、自信に満ちた表情をしていた。そして彼もまた、数日も経たないうちに全てを悟り、既に取り返しがつかないことになっていることに絶望することだろう。

「改めて聞くが、名前は?」
「国民大学校一年生のヨハンです。私はなにも知りませんし、なにも答える気はありません」
「……だといいがな」イーノは感情のこもらない声で答えてから、組織の秘密を吐かせるためのいくつかの使い込まれた道具を机の上に置いた。

   ※

「公安警察では、既に“文章屋”の存在は把握されていて、ヨハンが書く文章を読んでも“心が動かされない”ように訓練を積んだ者がいるらしい。もしものときがあっても、ヨハンがその“文章屋”だと気づかれないよう、十分気を付けたほうがいい」

 暗い取調室の中で、ヨハンはロスが言っていた言葉を思い出していた。

“人の心を動かさない”文章も書く練習をしておいたほうがいいという助言をくれたロスに深く感謝した。そうしないと、先ほど書かされた文章を読まれたときに、自分が“文章屋”だと公安の犬どもに気づかれてしまったことだろう。

 そうだ、自分は『革命戦線』に絶対に必要な人間だ。すぐにロスが仲間を連れて助けに来ることだろう。

「国民大学校一年生のヨハンです。私はなにも知りませんし、なにも答える気はありません」

 ヨハンはそう言うと、目を閉じて仲間たちによって取調室の扉が開かれる時を待った。

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