「キラキラ共和国」 ツバキ文具店 御中

※途中少々ネタバレを含みます


ツバキ文具店 御中

手紙を書くということは、なんて億劫で面倒なことでしょう。
自分の汚い字と向き合わなければいけないし、筆記具、紙、そして切手など多くのものを選ばなくてはいけないし、そして一つ一つの選択にセンスが問われれるような気がします。
一番大変なことは、想いを言葉にして紡ぐことです。
こんなに面倒なことですが、「キラキラ共和国」を読み終えた今、手紙を書きたくなりました。

ポッポさんが、これだけたくさんの面倒なことを、一つ一つ、想いを込めてされているから。そうしてできあがったものが、誰かの元に届いて、なにかが伝わるのなら、時間をかけて想いを紡ぐことをやってみようと思いました。

私は、小川糸さんの作品のファンです。全てを読んだ、とは言えないかもしれませんが、「喋々喃々」から始まり、虹色ガーデン、食堂かたつむりなど、小説はだいたい読んでいると思います。
普段から小説を読むのが好きなのですが、なんども読み返すということはあまりしないので、ほとんどの本は読み終わるとブックオフに持っていきます。
でも、小川糸さんの本だけは、また読みたくなる気がして、どうしても売れません。そうやって、どんどん、小川糸さんの作品が並んで行きます。


小川糸さんの本は読み終わるといつも、幸せな気持ちになったり、悲しくなったりと気持ちを揺さぶられることが多いのですが、今回は少し違ったこともあって、手紙を書こうと思い立ったのかもしれません。

キラキラ共和国、読み終わりました。
ポッポさん、ミツローさん、QPちゃんと家族になれて、男爵とパンティーの間にも子供が生まれて、なんだかみんな幸せそうでいいなぁと思いました。

私は34歳、独身で、一人暮らし。彼もいません。
仕事はあります。正社員です。家族も近くに住んでいます。みんな元気です。妹は彼と同棲しています。たぶん、近く結婚すると思います。友達もいます。いろんなことを話せる、大好きな友達です。趣味もあります。歌です。所属グループで、みんなで一緒に歌います。ハーモニーが、気持ちがいいです。


さて、私には好きな人がいます。片想いを始めて、1年以上が経ちます。私の好きな人は、私のことを好きではありません。でも、好きではないけれど嫌いでもないそうで、興味もあるそうです。でも、好きではありません。

彼の家に遊びに行くときは、都内なので電車に乗っても1時間ぐらいですが、車で迎えに来てくれます。一緒にデパートの地下でお惣菜や食材を買って、彼の家で一緒に料理して、感想を言い合い、配信ライブなどを見ながらお酒を飲むことが多いです。だいたいそのまま、電車がなくなり、彼のベットで隣で寝ます。朝、朝ごはんを一緒に食べます。彼はパンを、お鍋で焼いてくれます。極弱火でじっくりと。トースターで焼くよりも、ずっと美味しく焼きあがることを教わりました。コーヒーを入れるのは私の役目です。豆をミルでひき、ドリップします。ハリオのヤカンは重たくて、うまく扱えないけれど、四人分ぐらいのコーヒーを入れます。彼はフルーツを切り、ヨーグルトをかけてくれます。そんな間にコーヒーが入り、パンが焼けます。今日の天気を見ながら二人ですごすモーニングは、リラックスタイムです。


彼とは手も繋がないし、何もないです。
何かあったこともありましたが、大抵、お酒に酔いすぎていて相手が覚えていません。つまり、「なにもなかった」ことになっています。
何度も好きだと伝えましたが、その度に、本当にこの人は私のことを好きじゃないし、好きになることもないんだと思って、「もうやめよう」と思います。
でも、仕事から帰って寝る前に1時間を超える長電話をしたり、見たテレビや映画の感想を言い合ったりすると、心地よさからまた会いたいと思います。
し、来て欲しそうな連絡がたびたび来ます。

これまで、(今思えば)そんなに好きじゃなかった人たちともまじめに付き合ってきました。ここまでいい大人になってからやっと、ちゃんと人を好きになれたのに、好き同士になれない。あぁ、一人だ。と、全ての希望や前向きな気持ちがどこかにいってしまって、絶望感だけを感じる日がたまにやってきます。


恋愛だけがうまくいかないと、どうしてこうも人は卑屈になるのでしょう。恋愛だけがうまくいけば、他のことはまぁまぁでも、なんとかやっていけるのに。
それとも、恋愛がうまくいっている間も、他のことに不満はあるのでしょうか。今自分がうまくいっていないからこんな風に思うのでしょうか。


ポッポさんがミツローさんのご実家に行かれた時、心底「いいなぁ」と思いました。私にもいつかそんな日が、と思いながらも、世の中の幸せのほとんどが愛し愛されることでできているんだと思い、またも絶望感に飲み込まれそうになります。
今あるものに目を向ければ十分に幸せであるはずだし、生きることには不自由していないし、健康で生きているだけで幸せだと思わなくてはいけないのかもしれません。
だから、こんなに真っ暗なところに落ちそうなくらい、落ちてしまいたいぐらい絶望する日があることは気持ち悪くて友達にも話せないし、いい大人だし、自分で自分を慰めるしかありません。
でも、こんな想いを持っている者がいるということを、「手紙」だったら誰かに伝えられるのかもしれないと思いました。きっと、伝えられた方も困ってしまうと思いますし、嫌な思いをすると思うのですが、今、書きながら泣けているし、きっと朝起きたら「今日はなに食べようかなー」とか思っています。


友達もいて、家族もいて、仕事もある。食べるものもあって、健康な身体がある。だから明日の私は大丈夫です。


ファンレターのつもりで始めたのに、馬鹿みたいに重たくて気持ち悪い手紙になってしまいました。ごめんなさい。
大好きな小川糸さんの作品が悪いわけではなく、こんな感想になってしまったのは、紛れもなく、自分のせいです。ごめんなさい。


なにを伝えたかったのかというと、いつもは幸せに包まれる本も、読み手のコンディションによって大きく変わってしまうのだなと思ったのでした。
ですので、キラキラ、キラキラと呟きながら、幸せいっぱい包まれる気分になれるその日まで、この本もブックオフせずに手元に置いておきたいと思います。

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