知識の差、偏りから生じるコミュニケーションの齟齬
対人関係で悩む人は多いですよね。あらゆる人生の悩みは対人関係から生まれると、アドラー先生もおっしゃっております。
私の考えるコミュニケーションの目的とは、知識や感情などの共有です。
その手段として、言葉、態度、行動を使います。
そういった方法で伝えようとしても、なぜか上手く伝わないことがある。
私はその原因の一つが、知識の差によるものだと考えます。
差という言葉を使うと、なんだかネガティブな意味合いに捉えられてしまうかも知れません。私が言う知識の差とは、勉強してないやつとは話が会わないとか、あいつは頭が悪いから話が通じないという意味ではありません。
そもそも、生まれや環境、興味によって知識に差が生じるのは当たり前のことです。しかしその当たり前という事実を無視して、相手にわかりづらい言葉や、想いを一方的に話してしまった場合、コミュニケーションに齟齬が生まれると思うのです。
自分の知識を当たり前のものだと思わず、繰り返し確かめ合うことで、お互いの情報が正確に共有されていく。つまり、使い古されている言葉を使えば、相手の立場になる、ということでしょうか。
そういった意識をすることで、齟齬のないコミュニケーションをとることが出来るのではないか、とコミュ障の私はふと思ったのでした。
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