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おたねさんちの童話集 「クスノキの葉の上で」

クスノキの葉の上で
 
卵がありました。
薄黄緑色の卵でした。
クスノキの葉っぱの上にありました。
もうすぐ梅雨が終わる頃でした。
その卵からボクは、生まれました。
周囲には誰もいませんでした。
たった独りで生まれました。
周りはみんな敵でした。
カマキリも毒蜘蛛もみんなボクの命を狙っているようでした。
鳥の群れも恐かったけれど、彼らのエサになるには、ボクはまだ小さいようでした。
何もないからボクは、クスノキの葉っぱを食べました。
最初は変な匂いがしました。
慣れてきたら、その匂いも美味しくなりました。
毎日、誰かとお話をすることもなく、クスノキの葉っぱに揺られておりました。
すやすやとゆっくり休めたのは、きっとクスノキと同じ色だったからでしょう。
「青虫だ!青虫がいるぞ!」
ときどき、人間の子供たちに棒で突かれて慌てて逃げたこともありましたが、それ以外は無事に暮らせています。
何度かの脱皮も経験しました。
初めて脱皮をしたときは、本当に驚きました。
だって、体の皮膚が硬くなってベリベリと割れていくのですから。
一体ボクはどうなってしまうのだろう?
恐ろしくてオシッコをちびってしまいそうなりました。
でも、それも最初だけです。
もう今では、毎日葉っぱの上でどれほどゴロゴロとしていても恐いものなしです。
「おーい!そこの君!いっつもゴロゴロとしてばっかりでヒマそうだね!」
ミノムシの声でした。
「そっちも似たようなものだろ!葉っぱの上か、木の枝かの違いだけじゃないか」
「あいにく、これからオレは忙しいのさ。何せ自分の家を作らないといけないんだから!」
「え!お家なんて、自分で作れるの!」
「そりゃ、俺たちはミノムシだから、自分で作るに決まっているだろ!いいよな、青虫は自分で家を作らなくても生きていけるんだから」
ミノムシはそう言うとセッセと自分の家を造り始めました。
小枝を集めては、体から出したネバネバの糸でくくりつけていくのです。
ボクは、それを見ていてとってもうらやましく思えました。
だって、ボクにはなにもするべきことがないのですから。
いったいボクはここでなにをしているのだろう。
毎日、葉っぱの上でゴロゴロしているだけなんて。
ボクはなんだか悲しくなって、むしゃむしゃとクスノキの葉っぱを食べました。
いつもより、少ししょっぱい味でした。
「みーつけた!」
人間の女の子の声した。
「パパ!ここにいたよ!これでいいんでしょ!」
「ああ、この青虫がアオスジアゲハの幼虫だよ。間違いない。夏休みの宿題なんだから、ちゃんと毎日観察して、このノートにスケッチしていくんだよ」
「はーい!」
女の子は、元気よく返事すると、ボクの絵をはき始めました。
緑の葉っぱの上に緑のボクがいて、あんまりよく分からない絵でした。
次の日も、次の日も、またその次ぎの日も、女の子はボクを観察しにきました。
女の子の絵は、やっぱりヘンテコのままだったけれど、青いムシがドンドンと大きくなっているのは良く解りました。
ボクは女の子が会いに来るのを、楽しみにするようになっていました。
「いいなあ!お前のとこばっかりやってきて。人間の女の子は、オレたちを見たら、気持ち悪がってすぐに逃げちゃうんだぜ!」
ミノムシたちがボクのことをうらやましがるのも、なんだかとっても気持ちよく思えました。
「今日も、上手に描けたじゃないか」
女の子がスケッチを終えた頃、女の子のパパがやってきました。
「この青虫さん、どうしてこんなにのんびりできているか、わかるかい」
女の子のパパが尋ねました。
「えー、そんなの、考えたことないよ」
女の子の言葉に、ボクもうなずきました。だって、生まれてから今まで、何をすればいいかも分からずに生きてきたのですから。
「あのね。この青虫は、ずっと守られているんだよ」
「えっ!どういうこと」
女の子と一緒にボクも思わず叫びそうになりました。
「あのね、クスノキっていうのは、防虫剤の原料になるくらい、多くのムシにとっては嫌な匂いがするんだよ。でもね、このアオスジアゲハとかミノムシとか、この匂いが大好きなんだ。きっと他のムシがこないことを知っているんだろうね」
「ふーん」
女の子と一緒にボクもうなずきました。
そうだ。ボクはずっと独りで生きてきたと思っていたけれど、ずっと守られて生きてきたんだ。それなのにボクは何もしないで、自分の事ばかりを考えていた。
ボクは、だんだん恥ずかしくなってきました。毎日、ずっと守ってもらっていたのに、ボクはそんなことも分からずに生きてきたなんて!
あんまり恥ずかしくなったからでしょうか。ボクの体はだんだんと動かなくなっていきました。
そうだ。ボクはずっと、あのミノムシがうらやましかったんだ。自分の家も自分で作ってセッセセッセと頑張って生きている。それに比べて、ボクは何もしないでぼーっとしたまま、葉っぱにゆられて暮らしているだけ。その葉っぱに守られていることだって、今までまったく気付くこともできないでいたなんて……。
ボクはエンエンと泣き続けました。
もう緑の綺麗な体が、ぬれ雑巾みたいに、真っ茶色になるまで、エンエンエンエン泣き続けました。
あんまりエンエン泣いたので、ボクの表面は枯葉みたいになっていました。
食欲もなくなったのでご飯も食べません。
何をする気にもなれなくて、じっとしておりました。
外は雪が降り始めました。
初めて迎える雪でした。
あんまり寒いから、ボクは眠りにおちました。
深い眠りに落ちました。
そしてボクは夢をみました。
見たこともないパパとママの夢でした。
パパもママのとっても綺麗なドレスをきていました。
ボクの生まれるずっと前の夢でした。
恋をしているパパのママの夢でした。
いつかはボクもパパみたいになれるのかな?
夢の中でボクはつぶやきました。
夢の中のパパとママ。
ずっと一緒にお花畑を飛び回ってダンスをしていました。
真っ黒な生地にブルーのラインが印象的なとっても綺麗なドレスでした。
ボクもあんなふうに格好良く飛び回れたらいいのにな。
長い眠りから覚めたのは、春になったからでした。
そろそろ起きて頑張ろう!
ボクにだってきっと何かができるはず!
だって今を生きているんだ。きっとその意味があるに違いない!
ボクは精一杯に伸びをしました。けれども全くからだが動きません。
今まで何度か脱皮を経験していましたが、これほど体が動かないのは初めてでした。
それでも、ボクは頑張りました。
精一杯に大きな声を出してウンウンを自分の殻を破っていったのです。
そうだ!ボクは生きている!これでもボクは生きている!
メリメリを殻が破れました。
茶色くて分厚い皮が破れました。
殻の中でたくさん泣いたから、ぼくの体はグッショグショに濡れていました。
あんまりグショグショで気持ち悪かったから、ボクは全身を使って伸びをしました。
メキメキメキ!
その時、ボクの背中には羽があることをしりました。
ボクは精一杯に羽は羽ばたかせようとしました。
けれども、なかなか力が入りません。
ボクはそれでもあきらめません。
何度も何度もトライしました。
朝日が眩しくなってきました。
それでもボクはトライしました。
もう汗もかけないくらい、何度も何度もトライしました。
いつの間には、羽は乾いてしまって、流れ出た汗も粉を吹いてしまっています。
「あっ!浮いた!」
そうです。今ボクは空を飛んでいるのです。もう初めてみる風景です。
あんまり嬉しい者ですから、ボクは辺り一面を精一杯に飛び回りました。
クスノキも嬉しそうに花を咲かせていました。
「あら!あなたもクスノキのお手伝い?」
夢で見たママとそっくりなドレスでした。ボクは見とれて思わず頷いてしまいました。
「じゃあ、いっしょに頑張りましょう!」
ボクは精一杯に羽をばたつかせました。
「こうやって、できるだけたくさんの花粉をつけるのよ!そうしたらクスノキの実がたくさんできるんだから」
「そうだね。今までお世話になったんだ。少し恩返しもしないとね」
ボクは彼女と一緒になって飛び回りました。夢でみたパパとママと同じように。
そうしてやっぱりぼくらも恋におちました。
そうして間もなく赤ちゃんも授かりました。
卵はやっぱりクスノキの葉っぱの上でした。
「きっと、この子も、クスノキが守ってくれるよね」
「そう、ぼくらを育ててくれたように!」
クスノキの葉っぱの上で、卵から新しい命がうまれるのは、それから間もなくのことです。
今はまだアオスジアゲハの卵がクスノキの葉っぱの上にのっているだけ。
おしまい。

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