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同性婚訴訟、札幌地裁判決に寄せて

 2021年3月17日、札幌地裁で画期的な判決が下された。同性婚を禁止している国の判断を「法の下の平等に反する」として違憲と認めた、日本で初めての判決である。


 僕自身は何ということはない異性愛者ではある。だから、この判決が自分の人生の決断に直接に影響するとは言えないのかもしれないけれど、それでも今回の札幌地裁の判決は心の底から嬉しかった。社会構造と偏見とによって差別され、排除されているマイノリティ当事者の置かれている境遇について、「不当に差別されている」と裁判所が認めたことは、本来当たり前のことでありながらも、社会を揺るがす出来事である。

 少し前、生活保護基準の引き下げをめぐる裁判でも、大阪地裁で原告の訴えを全面的に認める判決が出たけれど、そういう話は本当に嬉しいし、比喩ではなく涙が出てくる。僕は普段の生活の中で涙を流すことがほぼないので、この2日くらいで一年分の涙を流したのではないかと思うほどである。

 まるで正論が届かない国の、生きているか死んでいるかわからない裁判所が、実は生きているのを見た時、本当に救われたような気持ちになる。自分も原告として別の裁判に関わっているから、というのもあるかもしれない。


 札幌での裁判では、原告側弁護人の加藤丈晴氏が最終弁論で述べた意見陳述が非常に感動的だった(下記リンク)。裁判の代理人であると同時に、同性愛の当事者としての視点から語り、裁判所に対し「ひるむことなく、堂々とした違憲判決を下されることを望むものであります」と結ぶ。この意見陳述は歴史に残るべきもので、それに対して良心を持って応えた武部知子裁判長にも拍手を送りたい。


 もちろん、裁判や法律など、国家の決定によって僕たちの生活すべてが規定されるわけではない。しかし、同時に国家の態度が、そこで生きる個々人の価値観や、行動に影響を与えていることも否定できない。国家の態度が変われば、人間も変わるのだ。

 実際に他国では、「国家が同性婚を承認した」という「ただそれだけのこと」で同性愛者の自殺者が減っているというデータがある。自分たちの存在が公的に認められるということの影響というのは計り知れないのだ。もしかしたら、今回の札幌地裁の判決を聞いて、「もう少し生きてみよう」と思えた当事者の人だっているかもしれない。
 当事者ではない僕だって、少し息がしやすくなるような、雲間から光が差し込むのを見るような気持ちになるのだから。

 暗い、嫌なニュースに日々痛めつけられ、期待しないことに慣らされた生活から、ささやかな希望を持ち、さらに実現できる社会になってほしいと思った。本当に。

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