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雨月物語 in Nha trang

←Vol.05を思い出す

2014.4.9〜4.10

ロビーに入ってきた女性が、ベルボーイに話しかけている。しばらく談笑した後、ベルボーイが僕に言った。

「彼女についていって」

別れ際、ベルボーイに「親身になって相談に乗ってくれて本当にありがとう」の意味を込めて、何度も「サンキュー」と言った。何度もくり返す以外に「サンキュー」より上の「ありがとう」を伝えるすべがなかった。「帰りもこのホテルに泊まってくれる?」と聞くので、「もちろん、もちろん」と返した。

荷物を担いで女性についていくと、ホテルの前にはバスではなく、タクシーが止まっていた。あの「マイリンタクシー」だ。
女性は助手席に、僕は後部座席に座った。女性と運転手は何かボソボソと話している。頭の大部分では「なるほど、タクシーでバス乗り場まで行くのか。……ということは、女性は旅行会社の人だな」と考えていた。残りの少しの部分では「タクシー代は必要なのだろうか」ということと「このままエスポワール(『カイジ』というマンガに出てくる裏賭博会場となる客船の名前。賭けに負けると、強制労働所に連れて行かれる)に乗せられても、誰にも気づいてもらえないだろうな」ということだった。

ほどなくして、タクシーは小さな旅行会社らしきオフィスの前で止まった。タクシー代を払う必要はなく、もちろん怪しい客船に乗せられることもなかった。

カウンターの席に座っていると、小太りの男性がやってきて、私についてこい、と言われる。行き着く場所は分からないけれど、言われるがままついていく以外にない。「ドナドナ」の子牛はこんな気分だろう。着いた先は、公園沿いの道路だった。そこには、同じバスに乗る旅行者らしい人たちが集まっていた。男性は「ここでしばらく待ってて」と告げて、どこかに行ってしまった。「ここにバスが来るのか」と考えながら、周りを伺う。一人旅の人は、ほとんどいないようで所在ない。どんなバスが来るのだろう。中国で乗った長距離バスの、座面が硬くて、背もたれが直角で、ちょっとした拷問器具のような座席だとしんどい、と思っていた。

バスが来た。

なんかすごいのが来た。思っていたバスよりも、大きいし新しい。乗車時に靴を脱ぎ、レジ袋に入れる。土足禁止だ。案内された座席は2段ベッドの上の席。前の人の背もたれの下に足がすっぽり入る感じ(写真参照)。おお、全然広いし、全然眠れる。冷房も効いていて、派手な電飾(写真参照)以外は期待を大幅に上回る快適さだ。これなら確かに寝て起きたら、ニャチャンだ。

走り出して、しばらくすると後ろの席からペンと紙が回ってきた。名前と国籍を書いて回すらしい。国籍の欄をざっと眺めると、ほとんどの乗客がベトナム人だった。僕の前の席には、金髪の若い女性が座っており、その隣には女性の彼氏と思われる男性が座っていた。僕は用紙に名前と国籍を書いて、前の席の女性に渡しながら彼らの国籍について考えていた。女性は、体操かフィギュアスケートで見たことがありそうな、端正で気の強そうな顔をしている。ロシアかも知れない。ニャチャンはロシアの避寒地だという話を読んだことがある。そう言えば「○○スカヤ」という名前っぽい顔立ちだ。

目が覚めたのは、朝の4時頃だった。

覚醒していくのと同時に、身体の違和感も明らかになっていく。なんだ? お腹の具合がおかしい? 意識がはっきりすると、腹具合のおかしさが夢でも、錯覚でもないこともはっきりしてきた。本能が「これはヤバイやつ」と警鐘を鳴らしている。あわてて持参していた正露丸を飲む。飲むには飲んだが、そもそも正露丸にはそんなに即効性があるのだろうか。(旅行前、薬局でいつも使っている「正露丸」か、すぐ効きそうな「ストッパ」か、悩んだんだよな。「ストッパ」にしておけばよかった……)などとくよくよしていても、お腹の波は一向に収まらない。薬を飲んだ以上、できることは「我慢」しかない。あと2時間なんて絶対無理だ……。こういうとき人はどうするのだろうか。僕は、いてもたってもいられず間髪入れず、追加で4錠の正露丸を飲んでみた。「追い正露丸」だ(薬は用量、用法を守って正しく服用しましょう)。寄せては返す波に耐えながら、気持ちを逸らすといいのではないか、とこの波の回数を数える。

1回、2回。だんだん我慢のコツがわかってきた。身体をできるだけフラットにして、重力がお尻にかからないようにする。そうすることで、お尻を締める筋肉にも力が入りやすくなる。
3回、4回。(頑張れ俺! いま俺の下半身は、ロシア美女の背中の下にあるんだぞ! 万一我慢できなかったら、どう思われると思っているのか!)
5回、6回。波はなぜ、寄せては返すたびに高くなっていくのだろう。あまりかいた記憶がない種類の汗が、大量に顔から流れ出す。これが「脂汗」というやつか。あと、どれくらいでニャチャンに着くのだろう。気が遠くなってきた。7回。

8回目の波をどうにかこらえた後だった。バスのスピードが落ちて、やがて止まった。ニャチャンに着くにはまだ早い。外は薄明るくなってきている。バスの積み荷を降ろしているようだった。どういう場所なのかは、よくわからない。(どのみち、このままじゃ負け戦だ)と思い、靴をつかんでバスを降りた。荷物を降ろしている乗務員を横目に、トイレを探す。掘っ立て小屋のような建物の左手に、もっと掘っ立て小屋のような建物がある。近寄ってみると、ドアに「WC」と書いてあるではないか。(ベトナム語で書かれていてもトイレとはわからなかった! 奇跡! 俺ついてる! 俺天才!)と思いながら、掘っ立てトイレに入る。

間一髪セーフ! 超間一髪セーフ。危なかったけれど俺は勝った! ベトナムに勝った! ロシア美女に勝った!

安堵感と万能感に浸りながらトイレを出た。やれやれだ。

(え?)と思った瞬間、僕は走り出していた。あるはずの場所にバスがない。道路を見ると、15mくらい先を僕が乗るはずのバスが走っている。
「おーい、待ってー」と叫びながら、バスを追って走った。僕と併走しているバイクの人に「ちょっと、あのバス止めてきて」と頼んだりもしたけれど、もちろん通じない。数十メートル走ったあたりで、バスは僕に気づき、止まった。全速力で走ったのは、何年ぶりだろう。ドアが開き、乗ろうとすると運転士に「靴!」と、不機嫌そうに怒られた。いい、それくらい全然いい。財布とポケットティッシュだけを持って、見知らぬ場所に置いて行かれるよりは、ずっといい。


それにしても、お腹を壊す理由が見当たらない。ベトナムに来てから、慎重すぎるほど慎重にお腹を壊しそうな店や食べ物は避けてきた(……というか、怖気づいて食べられなかった)。昨日も結局きれいめな店でバインミー(バインミーは、フランスパンに野菜や肉を挟んで食べるサンドウィッチ。この旅行中、ほとんど毎日食べていた)を食べただけだ。旅行前、友人に「生水には気をつけて」「屋台にも要注意」「氷はできるだけやめたほうが」と忠告を受けていた。臆病者なので、かなり忠実に守っていたのに。冷房でお腹が冷えたのか。とにもかくにも、なんとか持ちこたえてくれてよかった。

予定通り、朝6時にニャチャンに着いた。

すがすがしい気持ちでバスを降りる。さて、チェックインの時間は12時30分なので6時間半もある。まずは、明日乗る予定のダナン行きの列車のチケットを取りに行こう、とニャチャン駅へ向かった。おそらくこちらだろう、という方向に歩く。

雲行きが怪しくなってきたのは、しばらく歩いてからだ。
……といっても、雨が降り出したわけではない。2週間の旅行中、雨が降ったのは1回、ほんの一瞬のスコールだけで、あとはずっと晴れていた。
怪しくなってきたのは、お腹の具合だった。しばらく半信半疑で歩いたけれど、だんだん確信に変わっていく。再燃?

(駅だ。とにかく駅まで行けば、トイレがあるはずだ)と、お尻の筋肉を締めながら、早朝のニャチャンを早歩きで行く四十五歳日本人。周りから見ると、さぞ滑稽な外国人だろう。ただ、言っておくがこの星の重力を舐めてはいけない。バスの車内では、ほぼ仰向けだったからしのげたけれど、立った姿勢で同じ我慢をすることが、どれだけ困難なことか。また「歩行」による上下の揺れもまるでいい方向には働かない。車内で8回の波に耐えた実績も、歩行中は参考にならないし、波を数えている余裕もない。いきなり全力で風雲急を告げている。

歩いて歩いて30分ほどでニャチャン駅に到着した。トイレトイレ、と見回すと……あった。駅舎の向かって左側の自転車置き場の脇に、よく工事現場に設置されているような簡易トイレが2つ並んでいる。本当にギリギリだ。変な歩き方で自転車置き場をすり抜け、トイレににじり寄る。(間に合った!)と、思ったそのとき、見知らぬ男性が僕とトイレの間に割って入った。脂汗をかきながら、彼を見ると面倒くさそうに「2000ドン(約10円)」と言う。

筋肉は、たぶんかなり部分で「気持ち」と連動している。根性論を説くつもりはないが「気合い」や「気持ちの張り」で、ある程度までなんとかなるものだ。逆に言えば「気合い」や「気持ちの張り」が解けてしまうと、意外とどうにもならないものだ。

一度(間に合った!)と緩んでしまった気持ちは、そう簡単には立て直せない。気持ちが立て直せないと、筋肉も立て直せない。

できるだけ婉曲的に表現すると、「間マイナス一髪セーフ」である。

(こいつ! こいつさえいなければ間に合ったのに! 10円のせいで!)
職務をまっとうにこなしただけの男性を逆恨みしながら、2000ドンを払った。その間、下半身はどんどん不快になっていく。

臭く、狭く、蒸し暑いトイレにしゃがみ、いろいろな処理をしながら、うつろに考えていた。

(なんか、こういう昔ばなし、あったな。朝になるまで部屋から出なければ悪霊は退散するけれど、それまでに部屋を出てしまうと呪われる。外が明るくなって雀が鳴いて「ようやく朝だ!」と思って障子を開けたら、実はまだ夜で殺されちゃう、みたいな話。ゴールだと思ったら本当のゴールはまだ先だった、みたいな話。耳なし芳一だったかな。いや、雨月物語か)

(物心がついてから、35年ぶり2度目だな。1度目もバスの中だったな。あれも大変だったよな)

(体内にあるものが、出すべき場所以外で体外に出ただけなのに、なぜこんなに惨めな気持ちになるのだろう)

(アジア旅行経験者はみな一様に「一度はお腹壊すよ」と言うけれど、彼らのうちの3人に1人くらいは、間に合わなかった経験があるのだろうか。いや、半分くらいはあるのかもしれない。意外とアジア旅行者の中ではカジュアルなことで、そんなに恥ずべきことではないのかも)

「水に流せるポケットティッシュ」と「水に流せるウェットテッシュ」は、我ながらあきれるほど持ってきていた。備えあれば憂いなしだ。いや、これ以上の憂いはないから、不幸中の幸いだ。ああ、よかった。

こうしてニャチャン駅は、一生忘れられない場所となった。

Vol.07へ続く→

※写真はニャチャン駅前の公園の像。奥のオレンジの屋根が駅舎。像の討死しているほうが僕の心象風景。

そんなそんな。