見出し画像

会いたい誰かに会えるなら

とても優秀な探偵が、過去に関わった人の中でひとりだけ確実に探し出してくれるとしたら、小学校のときに好きだった子でも、音信が途絶えてしまった友人でもなく、あの女の子を探してもらう。

11年前の今日7月6日。

晩ご飯は駅前の「オリジン弁当」で買ってすまそう、ということになった。
駅前のバスロータリーは、いつも通り多くの車が止まっていたが、運よく弁当屋付近に1台止められるスペースが空いていた。僕たちはそのスペースに車を止めて、弁当屋に向かった。
弁当屋の左隣には本屋がある。本屋の前で小学校4年生くらいの女の子が、しゃがんで何かをしている。
……子猫だ。
女の子は子猫が本屋に入らないように、人に蹴飛ばされないように、バスのロータリーに出てしまわないように、一生懸命かばってあげていた。
子猫は、女の子の苦労などお構いなしに無邪気に走り回っている。僕たちはひとまず見て見ぬふりをして弁当屋に入った。弁当を買い終わって、店を出ると、女の子はまだ子猫を相手に悪戦苦闘している。
僕たちは、弁当を持ったまま、車の脇で女の子と子猫の追いかけっこを眺めていた。

ほどなくして、母親らしき女性が現れた。(こうして思い出しながら書いていると、台本がある舞台を観ているようだったな、と思う。それほど絶妙のタイミングだった)
「なにしてるの!」
母親は、女の子を見るなり、猫に対してあからさまに好意のない響きの声を発した。
「だって子猫が道路に出そうで、危なかったんだもん」
「ほら、猫はもう放っておいて。帰るわよ」
女の子は、とても言いにくそうに、でも多分相当な覚悟を持って少し早口で言った。
「ねえ、この子猫、飼えないかな……」
母親は、即座に答えた。
「なに言ってるの。無理に決まっているじゃない」
女の子は「どうして無理なの?」と食い下がっていたけれど、母親は「無理無理」の一点張りだった。
どうして無理なのかは、端で見ている僕たちにもわからなかった。

母と娘が平行線の問答をしばらくしていると、今度はそこに父親らしき男性が現れた。(この登場のタイミングもまさに舞台だった)
僕は(もったいつけて登場したからには、お父さん、あなたがヒーロー役なのでしょう?)と、根拠のない期待感を抱いていた。

父親が二人に向かって言う。
「なにしているんだ?」
女の子は、父親の言葉が終わるか終わらないかのうちに、さっきよりもさらに早口で言った。
「この子猫、飼っちゃダメかな?」
ここだ。ここが舞台のクライマックスだ。決めゼリフを聴き逃すまいと、父親の言葉を待った。

「なにを言っているんだ。ほら帰るぞ」
あぁ……。彼は、この小さな舞台劇のヒーローになり損ねた。
頭で描いていたのとはまったく逆のエンディング。
失望があまりに大きくて、思わず妻に言っていた。
「あの子猫、連れて帰ろうよ」
妻はその言葉を待っていたように、何度も振り返って子猫を気にしていた女の子に歩み寄り、何か一言伝えた。
その後、子猫を抱いて車に乗る。妻はなぜか泣いている。

車の中で妻に「女の子になんて言ったの?」と聞くと、「『お姉ちゃんがちゃんと面倒見るから。大丈夫だから』って言ったら、なんだか泣けてきちゃって」と答えた。
「見ず知らずの人に泣きながらそんなこと言われて、あの子、びっくりしただろうな」と話した。
内心(「お姉ちゃん」って……)と思っていたことは、話さなかった。

こうして子猫は我が家の4匹目(当時)の猫となった。
夏の初めに出会ったこと、本屋さんの前で拾ったこと、自分のことを「吾輩」と言いそうな顔をしていることを理由に、「なつめ」と名づけた。

あれから11年。

本当に「吾輩」と言いそうに成長したなつめと、多分もう成人に近いであろうあのときの女の子を会わせてあげたい。
猫、飼ってくれているといいな。

#猫 #エッセイ

そんなそんな。