軽い

2024.06.15


きょうは、ガスレンジの掃除くらいしかしていない。

地球の歩き方

買った!
来年は一週間くらい行きたいと思っているけれど、どこにいこうかな……。
島が好きなので、フーコック島かコンダオ島がいいんだけど、雰囲気なんかは南部よりも北部の方が落ち着いていて好きなんだよな……。ただ、北部に行きたいところがもうあんまりない。

旅行は、ガイドブックを買って、あれこれ考えているときが一番楽しいよね。……で、いざ準備を始めると途端に面倒くさくなって、行ってしまうとやっぱり楽しくて帰ってきたくなくなる、みたいな感じ。

苦手

ある歌人の短歌をまとまった数読んだ。
どの短歌もうまいし、おもしろいんだけど……好きじゃない。
好きじゃない理由を考えてみたんだけど、おそらく「頭で作っている感じ」だからだと思う。なんというか……偽悪的で、そこに体温を感じない、というか。悪い意味で、軽い。
頭で作っているから、読み味が単調で「なるほど……俺はこう言う作風が苦手なんだな」と理解した。

うまくておもしろいけど好きじゃない、なんて、いくらでもあることだよね。小説だって、お笑いだって、お芝居だって。

短歌を読むときには「作者を見ている」と感じる。
「短歌は人柄」だと思う。

死に目

『また猫と 猫の挽歌集』のリクエスト短歌の内容を読んでいると、「最期のときに一緒にいられなかった」後悔が、結構たくさんある。

僕の考えは、この記事に詳しい。
つまりは「死に目に会えなかったことで自責する必要なんてないよ」という考えかただ。

死に目って、なんなのだろう。
「近しい人の死に目にはそばにいることが当然であり、それができないのは薄情である」みたいなのは、死生観というか無意識の宗教観に基づいているんだと思うんだよね。

そんな宗教があるのか知らないけれど「死を目前にした人に近しい人が付いていることは、禁忌とされる」みたいな慣習がどこかにあるとしたら、その慣習のもとでは、死に目に会えなかったときの自責なんて、一切ないわけじゃん?

そこまで極端じゃなくても、少なくともそのことが自分を責めたり、後悔したりするほど大事なことだとは思えない。その最後の一瞬を大事にするあまり、「死に目に会えなかった」というネガティブな自責が先にきて、それまでの長い時間がなかったことみたいになっちゃうのは、やっぱり割が合わないように思える。

Amazonランキング

Amazonランキングのカテゴリ分けが、毎度よくわからない。一番最初に刊行した『猫のいる家に帰りたい』は、当初からずっと「猫」のカテゴリにも「歌集」のカテゴリにも登録されていたのに、あるときを境に「歌集」のカテゴリからは除外されるようになった。
『また猫と 猫の挽歌集』は、いま「外国詩」「和歌・俳諧」「詩集」のカテゴリに存在していて、「歌集」カテゴリには姿を表さない。

ちなみにCREA WEB効果で6/15(土)21:26現在、本全体で2,518位。これは「歌集」ランキングでは2位にランクインする順位。

CREA WEBに記事が公開されてから16冊売れていることになる。

Yahoo!ニュースのほうには、ヤフコメもつかず、割と静かな感じだけど、ちゃんと影響はある。

オマケ

月末のこの2つのトークイベント、参加してくれた方には、シークレットの「短歌カード」を1枚引いて持って帰ってもらうことにしようかな。
「におみくじ」のカード版みたいに。
おみくじというか、占いというか、「自分で選んで引く」という行為にちょっと意味がある。
オマケとしてそういう特典をつけてみよう。

きょうのカイちゃん

2枚目の写真とか、AIで生成したみたいだよ。美しい。

新車

きょうは妻の車の納車日だった。新しい車との初対面。これからお世話になります、という気持ち。

そんなそんな。