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頭が上がらない

2022.08.06

体調は、時折痰が絡み咳き込むくらいで、熱もない。
では万全かと言うと、全然そうでもなくて、ずっと寝込んでいたからか、なにかするとすぐ疲れちゃう。
洗い物しては疲れ、猫にご飯をあげては疲れ、お風呂に入っては疲れている。
例えば、アレルギー科の病院へは電動アシスト付き自転車で15分ほど走っていくのだけれど、それは、なんだかいまの体調だと果てしない道のりに思える。
次の通院は8/10の予定なんだけど、いま僕は、自主的にコロナ陽性者と同じ日程感で動いていて、それでいくと、外出できるのが8/11からなのだ。
「じゃあ、8/11に行けばいいじゃん」と思うだろうが、どっこいその病院8/11〜8/18までお盆休みなのである。
どうしようかな……。
前日くらいに電話で問い合わせるのがいいだろうか。
……めんどい。

あの子のカーネーション

きょう、このリアルサウンドの記事が流れてきて、読んで、久しぶりに伊集院静のことを思い出した。
ある時期まで、僕は伊集院静のエッセイを熱心に読んでいた。「大人の流儀」は、ちょっと説教臭そうで避けていたけれど、処女エッセイ集『あの子のカーネーション』で大好きになったのだ。
すごくよく覚えているのだけれど、このエッセイ集を読むきっかけは大学のとき、同じゼミだったKの薦めだった。
「お前、絶対に気にいるから読んでみろ」と言われて、読んだらそのとおり気に入った。
特に表題作が、すごく印象に残っている。
もし僕の書く文章が、誰かの影響を受けているとすれば、伊集院静だと思う。

5年

トムを預かったのが5年前のきょうだった。
Twitterで「#子猫授乳記録」というタグを付けて、成長日記を綴った猫で、その中で何度かいわゆる「バズる」という経験をさせてもらって、いまのフォロワーさんの半分以上はトムのおかげで僕を知ってくれた方たちだと思う。
トムには頭が上がらない。
現在は、僕の実姉宅にて、すこぶる元気に過ごしてる。
もう5歳か……。恐ろしい。

短歌の完成形

たまたま見つけた下記の京極夏彦の記事が興味深かった。
文字情報だからといって(……というか文字情報だからこそ)、文字ならば何でもいいわけじゃなくて、提供方法によって受け取りかたが大きく異なるので、そこの工夫(読みやすさ)が大事で、そのために何ができるか、というのは、短歌でも同じだと思った。

小説は出版されなければ読まれないわけで、つまり書籍が小説の完成形です。

上記引用の通り「書籍が小説の完成形」だとすれば、短歌の完成形はなんだろうか。
書籍? ほんとに? みたいなところから『三十一筆箋』や「におみくじ」につながっている。

きのう書き忘れていたこと

香港誠品「休閒趣味」(趣味とレジャー、的なこと?)カテゴリのベストセラー10位に『有貓的日子, 才叫生活』(『猫のいる家に帰りたい』)が!

ギリギリ掲載されていてうれしい

週刊新潮

現在発売中の『週刊新潮』古市憲寿さんの連載「誰の味方でもありません」で『ドラえもん短歌』(小学館文庫 枡野浩一選)より拙作が引用されています。
Kindleでだけど、週刊新潮、初めて買った。

突然

Amazonの歌集ランキングで『猫のいる家に帰りたい』が9位になってた。誰かがどこかで紹介してくれたのだろうか。ありがとうございます。


そんなそんな。