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今年一番の「!」

2022.05.28

衝撃的だったこと

きょう、ぼんやりタイムラインを眺めてたら、ある作家の新刊のレビュー記事のツイートが流れてきたんです。
小説自体にはともかく、作家名にかすかに見覚えがあって「ん?」と目に止まった。
しばらく考えたんだけど、明確に「誰」とはわからなくて、というか、名前の漢字の字面のみに見覚えのようなものを感じた、レベルだったんです。
……で「ああ、もしかしたら学生時代に似た名前のやつがいたのかも」と思って、その「学生時代」も小学校なのか、中学校なのか、高校なのか、大学なのかも定かではない、みたいな感じで、一応その作家の名前でググってみたわけです。そしたら顔写真とともに略歴みたいなのが出てくるわけです。顔写真をみても、全然知らない人で「ああ、やっぱ知らない人だった」と思ったんだけど、略歴を見ていくと「え、同じ年じゃん!」ってなって、続きを読んでいくと「ん? 出身も同じじゃん……」ってなって、さらに読んでいくと「同じ高校出身⁉」ってなった。
……ってことは、同級生じゃん⁉ え? でも、僕がその名前で思い浮かべているあいつは全然こんな顔じゃないし、そもそも名前だって名字は合ってるだろうけど、下の名前まではちょっとうろ覚えだしな……と思って、今度は高校の卒業アルバムを押し入れから引っ張り出してきて、確認したら……いた! マジかー。面影がまったくない。たぶん、1年のときに同じクラスだったような記憶が……。定かではないけど、同じクラスになったことがなければ、名前なんて覚えてないはずだし。作家になってたのか!
同じ学校の同級生が、作家として(本屋大賞にノミネートされるような)活躍をしていることを、きょうのきょうまでまったく知らなかったことに衝撃を受けている。小説、全然読めてないから……。
あっちは僕のこと覚えてるかな……。名前を言えば「いたかも」くらいは覚えているかも知れない。
それにしても、驚いたな……。
でもこれ、もっと若い頃に知ったら、自分の境遇を顧みてすごく落ち込んだり、嫉妬したり、悔しがったり、恥じたりしていたと思うんだよね。
「俺、全然ダメだけど、あいつはすごいよな……」みたいに。いまは、そういうのがほとんどなくて、単純に「なにかすごいことを知ってしまった」みたいな気持ち。
応援しようと思う。

あした文学フリマ東京

Twitterのモーメント、久しぶりに使った。
考えてみたら「これで足りるかな、多すぎるかな……」と不安に思うよりは、Twitterなどで聞いてみればいいんだよね。「文学フリマ東京で僕の店でなにか買おうと思っている人は、教えていただければ取り置きます」みたいな感じで。
ある程度の数は読めそう。でもなんかちょっと野暮な気がして、やめておいた。
明日、誰が来るのかわからないまま、お待ちしております。

POETRY BOOK JAM

6月3日(金)「POETRY BOOK JAM」(上野水上音楽堂)でカラポネヤミ書房さんに『三十一筆箋 −猫−』『三十一筆箋 −猫猫−』とも置いていただきます。
こちらも面白そう。

きょう作った短歌

偏愛こそが「ひと」なのでは。

《他のものを猫と同じに愛せればいいけど僕じゃなくなるだろう》

うれしい届きかた

歌人の中島裕介さんに、短歌とは無縁なご実家から『三十一筆箋』が届いたらしい。
こういう届きかたに、心が震える。


そんなそんな。