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夏の空はどこまでも高くて Vol.4

2010年、大学4年の春。

2年前にアメリカで起こったリーマンショックの影響は直接的には感じないものの、じわじわと長引く不景気の中で生きてきた私たち世代は就活にもその傾向が色濃く見てとれた。「新卒一括採用」という日本独自の風潮は、ある意味最初で最後の大チャンスであることは依然明らかだった。安定志向が根強い親に育てられて刷り込まれた価値観は、大手企業へ就職することが誰もが持つ憧れとして、また漠然とした将来の不安を払拭する上で揺るぎないものだった。


「あんたも来年の今頃は就活で顔色変わってると思うよ。せいぜい自分の将来のこと今のうちに考えときな。」

ゼミが終わって生徒たちが引き上げたあとの教室で、ひとつ下のカナタとお喋りに興じるのは私のストレス解消であり楽しみだった。


「ミホまた太ったんちゃう?」

「うるさいなぁ、あんたこの前『女の子はちょっとぽっちゃりのほうがモテる』ゆうたやん!」

「あはは、そやったかなぁ?んで、モテてんの?」

「いや、それは…。もう!そんなこと言うんなら誰か紹介してよ!」

「なんや、やっぱり誰もおらんのか。よっしゃ、任しとき!」

そう言うとカナタはスマホのLINEを開いてスルスルと誰かの名前を探し始めた。

短いメッセージをサクッと送るとカナタはにっこり笑って私に言った。

「絶対合うよ、ミホに。前から思っててん。」

カナタは大きな目を細めていたずらっぽく微笑んだ。この笑顔にやられるんだよな、この女タラシめ…。でもなんだか憎めない。その悪気のなさと無邪気さといつも朗らかで明るい性格は男女問わず、カナタは皆に好かれていた。

「ホンマにこの子は…。いつも言うけど、なんで呼び捨て?」

「だって、ミホはミホやもん。ふふふ。」

あーもう、なんか腹立つなぁ。でもこうやって屈託なく喋れる年下の男友達は貴重なのかもしれない。周りの同級生たちは就活戦線真っ只中でみんなピリピリしている。採用の結果なんて聞けやしないし、その途中経過さえも気を遣ってお互いなるべく関係のない話題を顔色を見ながらしている。それだけでもストレスで疲れるから、このところ学内ではなるべく一人でいるようにしていた。本当は色々と相談できる同い年の相手がいればなぁ、そんな風に思っていた。

そのままカナタと10分ほどグダグダとお喋りをしていただろうか。気付くと教室の入り口付近に人の気配を感じた。


「おい、なんだ?先輩を呼び出すっつーのは。お前どんだけ自由やねん!・・・あ、ごめん。なに?また新しい彼女か?」

「えへへ。リョウジくんどうせ暇でしょ?紹介したい人がいるんよ。こちら、俺のゼミの先輩で相澤ミホさん。」


「あ。こんにちは…ミホです。」

「どうも。えーっと…中谷リョウジです。」


それが私達の初めての出逢いだった。要するにお節介なカナタのおかげで私はリョウジに出逢った。

リョウジは初め、私とカナタがつきあっていると思っていたようだがそれが誤解だと分かると少しずつ打ち解けてきた。しかし元々お喋りな私とカナタに気圧されるようで口数少なく二人の聞き役に徹していた。

私達3人はそれから何度となくゼミのあとの誰もいなくなった教室で会って話すようになった。バイトのこと、就活のこと、サークルのこと、趣味のこと、将来の夢…とにかく何でも話した。でもその話の内容よりも、私は3人でいる時間がとても楽しくて心地よくて、いつの間にかリョウジの存在を友達としてではなく異性として意識するようになっていった。

でも、リョウジ自信はどう思っているのか、その胸中は全く計り知れなくてなかなか二人の距離は縮まなかった。

そんな様子を見るに見かねてまたお節介を焼いたのはカナタだ。ある日、いつものように3人で話をしていると突然立ち上がって「あ、忘れてた!今日彼女とデートの約束してたんや!ごめん、俺行くわ。あとは二人で楽しんでな~。」

カナタが教室から出ていくと、残された私達はお互いに顔を見合わせて笑った。

あ、リョウジってこんな風に笑うんだ…。その優しい瞳に一瞬で私は落ちた。いや、その前からずっと気になってはいたのだが、二人きりで会ったことがなかったから、その笑顔も、その言葉も、私だけにくれるものではないという思いからなんとなく遠慮がちに気持ちを引いていた。自分の感情をあからさまに伝えるのが怖くて、もしリョウジにその気がないならこのまま3人の関係を壊したくなかった。でも、今こうして自分だけに向けられた笑顔を見て、一気に一人占めしたくなってしまった。そう、やはり私は恋をしていたんだ。そう確信した。


その日の夜、カナタからLINEがきた。

「あのあとちゃんとデートしたんか?」

「あほ!あんたが急にいなくなるから焦ったやん!リョウジくんもバイトあるからってすぐに別れたよ。」

「な~~んや、作戦失敗やったな。ほな次の作戦いくで!」

そう言ってカナタはリョウジにLINEするように促した。3人のグループLINEのままでいいよって言ったのに、「それはアカン。ミホがリョウジくんのこと好きなの知ってるもん。はよ連絡しなさい!」って、どっちが年上なのかわからないような上から目線の言葉がなんだか嬉しかった。


***


こうして10年後の今も例によって例のごとく、カナタのお節介のおかげで二人はタクシーに乗っている。

緊張と嬉しさとでさっきの店では喋りすぎた。いつも私はこうだ。本当はリョウジと話したくて仕方ないくせに、心とは裏腹な態度を取ってカナタとばかり盛り上がってしまう。案の定、私達の話をリョウジは聞いてなかった。昔からリョウジはこんな風に時々心がお留守になる。何処へ行ったの?何を考えてるの?聞きたくても聞けなくて、その不安を払拭するように余計にお喋りになる。その変に上がったテンションを押さえるためにかなりのハイペースで飲んだせいか、いつもよりも酔いが早い。あ~~ダメだ。これじゃ言いたいことも言えない。聞きたいことも聞けない。頭の中は整理がつかなくて反省と後悔でグズグズの気持ちを体ごとタクシーのシートに埋もれさせた。すぐ隣にいるリョウジに、胸の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと思うと余計に心拍数が上がった。


まもなくカナタが案内してくれた店の前でタクシーが止まった。そこに入ると懐かしいナミさんの笑顔が二人を温かく迎えてくれた。

「おーーー!! 久しぶりじゃん!! 昔来てくれたよね?!」

その声は私達二人を一瞬でリラックスさせる。懐かしさと嬉しさでお互い顔を見合わせて笑った。

あぁ、この笑顔。初めて二人きりになったときに見せてくれた、私だけのリョウジの笑顔。この笑顔に会えただけでも10年ぶりの再会を果たした甲斐があった。

私は本当にあなたが好きだったんだよ。


続く


*往復書簡~noter間のCHEMISTRY~(このシリーズはマガジンでお楽しみ頂けます。)







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