見出し画像

孤独の窓

タバコ、本、釣り。この3つがあれば孤独に私は耐えられます。どれかひとつで良いから今後の人生に残しておきたいものです

いいですねぇ。すごくいい。
私が前回、「孤独について」の質問をしたのでタカーシーさんはこんな素敵なアンサーをくださいました。
そして私のことを「熱くて真面目なひとだなぁ」と。
そうなんです。私、真面目なんですよ。熱しやすいしね。根っこがめちゃくちゃ真面目。それが自分でも時々とても面倒くさくなってドリャ!と投げ飛ばしてしまうときがありましてね。

フロムは「孤独」ではなく「孤立」と記した。
そうなんですね。それならとても腑に落ちます。
私が今読んでいる本の中に、「人間は「孤独の牢獄」から逃れるために様々な方法を試してきた」と書かれていたので、なんとなく違和感があったのです。
孤独と孤立は違いますよね。私もそう思います。

孤立は人を受け入れない人が陥る状態で、聞く耳を持たない人に多い気がします。それはその人にとっては不幸なことだけれど、当の本人はそのことに全く気づいていなかったりします。だとしたら、それは他者の目から見た状態であって、本人にとっては大した問題ではなかったりするんですよね。
自分が招いた状態だけれど、それを何の感情もなく放置していればその人本人は幸せなのかもしれません。

孤独はいいですよね。
人間は皆、孤独であるのが前提だと、私は思っています。
一人で生まれてきて一人で死んでゆく。

「あなたと一生離れない」
「永遠の愛を誓う」
などと言ったところでいつかは皆ひとりで自分の生涯を閉じる時がくる。
儚いこの今生においての自分の“持ち時間“をいかに楽しく充実させて終えられるか。

人といることはたくさんの幸せをもたらしてくれます。愛する人との時間なら尚更です。
それでも人間というのはワガママというか、どこまでも自分本位というか、「たまにはひとりの時間も必要だよね」、なんて贅沢なことを考えます。

そして読書や釣りやタバコやワインや音楽や旅や……とにかく「ひとり時間」を自由に過ごしたいと望んだりします。

なんと贅沢なことでしょう。
誰かといる時間が長ければ長いほど、ひとり時間が欲しくなったりもしてね。

私は前にも述べた通り、結婚と離婚を二回経験し、今現在は独り身です。
もちろん結婚するときは「一生あなたといたい」と思って婚姻届を提出したのでしょうが(今となってはその感情さえも遥か記憶の彼方で思い出しもしませんが)、二人の子育てを終えた今現在は、独り身の生活がとても気に入っています。
時々ふいに感じる「孤独」さえも愛おしい。
あぁ、私は今、孤独だと感じているんだなと「意識すること」をします。自由と引き換えに手に入れた孤独はとても滋味深く、誰にも邪魔されない思考の時間を味わうことができます。

なので私は「孤独」を意識することを、寂しいとか悲しいとか辛いといったような、ネガティブな感情で支配されることはありません。孤独は常に私に寄り添い、そして独自のエモーショナルな感情を連れてきます。

子供の頃、ひとりでぼんやりするのが好きでした。部屋に寝転んで、窓から見える四角いフレームの枠内を右から左に(あるいは左から右に)ゆっくりゆっくり通り過ぎていく雲の動きを眺めていると、ふいにメロディーが浮かんできて、鼻歌交じりにデタラメな歌をひとりで歌ったりしていました。気持ちよかったなぁ。
窓枠からフレームアウトした先の、雲の行方に想いを馳せて。
自由でいいなぁ、どこへ行こうかなぁ。宇宙の果てまで行きたいなぁ。。。

気持ちいいんだけど、周りには誰もいなくてちょっとだけ寂しい。誰も私の歌を聴いてくれないし褒めてもくれない。誰かに聴かせたいし一緒に歌いたい。だけどひとりでいるからこそ自由にのびのびと歌える。どっちがいい?誰か呼んでくる?ううん、やっぱりひとりがいい。なんて思っていました。

考えたら今でもその時の感覚と同じなんです。
ひとりになったからこそ得られた自由時間で、私はnoteで書くことを始めました。そしてたくさんの人たちと繋がり、たくさんのお友だちができました。
あのまま結婚生活を続けていたらきっとあり得ないことでした。いえ、これはあくまでも私の場合ですけれどね。私はきっと秘密主義者なんだろうなと思います。
誰かといても自分の中身を全て曝け出すことはしません。できないんです。自分の中身を共有することは不可能です。どんなに仲の良い人とでも。それを孤独というのなら、もともと自分に備わっている性分だと思います。そして長く生きてきた中で幾度も経験した、信頼していた人からの裏切りや欺きによって、よりそうなってしまったと思います。

verdeさんは孤独な状態になったとき、なにか頼るものがありますか?それとも一人耐え忍ばれるのでしょうか?

タカーシーさんの質問にお答えしますね。
上に書いた通り、私は精神的に孤独であるという状態がデフォルトなので、それを滋味深く味わったりエモーショナルに眺めたりしながら、ひたすら“共存している“という感じです。
そこから脱しようとか逃れようという発想はありません。過去の不幸な経験に対しての恨み辛みも今現在は全くありません。
なので何かに頼ったり「耐え忍ぶ」という感覚もないですね。
ただ共存している。それだけです。

そんなふうにいうとカッコつけてるように聞こえるかもしれませんが、実際は愛する子供達と共に生活しているので、孤独による寂しさは感じる暇がないというのが正直なところです。
でもいつかは一人になる時がくるだろうし、その時には本当の孤独を感じることになるのかもしれません。その時の自分がどんな精神状態になるのかはわかりませんが、是非知ってみたい気もします。多分きっと、ただその感情をひたすら味わい、静かに受け入れるだけだろうなと思います。

また真面目なことを書いてしまいましたね。
でもこんなふうに自分の中身を確かめる作業はなかなか面白いです。
これをもし交換日記ではなくただの独り言のように日記に書いていたとしたら、ちっとも面白くないし、ダークサイドにはまり込んでいたように思います。

こうしてタカーシーさんに向かって書くことで、私は救われています。
人はやはり一人では生きていけないのでしょうね。
こうして助けられているのですから。
そして私は孤独ではないということですね。
なぁんだ、今ようやくわかりました。

ところで、タカーシーさんは幼い頃の心の情景を思い出すことはありますか?それはどんな風景でしょうか?子供の頃のタカーシー少年はどんなことが好きだったのかな?もしよければ次回にでも読ませてください。

さて、今日はこの辺りで終わりましょう。
明日はどんなお返事が来るかな?
楽しみにしていますね。
全く孤独とは無縁の喜びを、こうして持てていることに感謝して。


#交換日記 #孤独 #ひとり #共有 #喜び #感謝 #心の情景

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?