スルーすべきこと。スルーできないこと。
朝から何やら今日は忙しくなりそうだとは思っていた。
先日から引きずっていたクレーム案件がようやく落ち着いたと思ったら、違う問題が浮上した。
まぁ、よくあることと言ってしまえばそうなのだけれど、いわるゆる「言った言わない問題」だ。しかも過去に何度も同じことを繰り返しているある顧客とオーナーとの間でのこと。
私たち従業員は常日頃から、基本オーナーの言い分を受け入れることがデフォルトになっている。究極のところ「嫌なら辞める」しかない。そしてお客様の言い分は店側の立場からすると、余程理不尽なことでない限りやはり受け入れることが前提とされる。
その両者に挟まれた場合、何を自分の中で主軸とするか。これは結構考えさせられる問題だ。
30年来の顧客は「私は注文などした覚えはない」と言い張り、先日来店時に注文したその品物を買いたくないと言い出した。対してオーナーは「あの時あなたはこう言ったんですよ」と、その時の状況を事細かに説明し始めた。すると顧客は逆上し、オーナーの話を最後まで聞かずに恫喝の如く言葉を被せてきた。「言った言わないの話はここでやり合っても仕方ないのよ!私は言ってない!だけどあなたがそう言い張るならいいわよ!買うわよ!いくらなの!」と怒鳴りつけた。
オーナーはそれでもまだその時の顛末を話して相手を納得させたかったのだろう、最後まで聞いてくれと顧客に自分の言い分を押し付けようとした。私は顧客の背後からオーナーに向かって「ダメダメ!それ以上やめて!」とサインを送ったが、オーナーは聞いてくれなかった。
そして今度は顧客の「買うわよ!」オーナーの「嫌なら買わなくていい!」の押し問答になってしまった。顧客はテーブルに何枚かの一万円札を放り投げるように突き出したが、最後には結局オーナーが「売らない」と言い張り、買わずに帰っていった。
以前にもこの顧客とオーナーの間には似たようなことがあった。二人とも同い年の還暦を優に超えた大人だ。
憤る、とはこの事だなと思った。何故そこまでして自分の言い分を曲げようとしないのか。押し付けて認めさせようとするのか。言葉は暴力になり得る。これは喧嘩だ。いい年をした大人同士の単なる口喧嘩だ。
お互いが甘えている。そして依存している。いくら長い付き合いだからといって、お客は友達ではないのだ。何故お客として対応できないのか。そして要らなかったのなら何故注文などするのか。百歩譲って最終的に注文してないとしても、何故そんな素振りをするのか。
見栄、プライド、我欲、依存。これらは自覚がない限り本人はその状態に自分があることを認めようとはしない。人から見て明らかにそうだとしても。
距離感がおかしい。お店を介しての関係性だということを、両者が理解できていない。何故そこまでお互いの領域に入り込むのか。何故割り切らないのか。
オーナーは私があまりにも冷静沈着だから冷たいというが、そういう問題ではない。そこに感情を挟む必要などないのだ。でも残念ながらそれをオーナーに説き伏せて分かっていただく熱量と言葉を私は持ち合わせていない。
「今夜は眠れそうもないよ」と大バトルを繰り広げたことを落ち込むオーナーに向かって、スルーすることの大切さを説いたが伝わっているとは思えない。そういう人は何度同じことを繰り返しても思考を変えることは難しい。60年以上、そうやって生きてきたのだからそれも仕方のないことだ。私は自分の思考や言葉を無理やりオーナーに押し付けようとは思わないし、できるとも思えない。
そして夜、疲れて帰宅していつものように一杯やりながら、馴染みのお顔が主催するスペースを聴いていたら、そこに参加している人の聞き捨てならない言葉が胸に刺さった。聴いていて怒りがムクムクと内側から湧き起こり、心臓がバクバクした。なんという言葉を吐くのか。主催者に対する冒涜とも言えるふざけたような軽々しい言葉。そしてそれを笑いながら分かったように受け入れる周りの人。怒りで涙が滲んでくる。なんなのだこれは。この人はこんな言葉を吐いて、一体何を目的としているのだ?全く理解不能で心が冷たく固まってしまった。
これ以上書くと収まらなくなるのでやめるが、私はいまだに怒っている。何故誰も怒らないんだ?スルーすることが大人の対応なのか?
幸い、その後主催者を擁護するために、SNS上でのマナーや危険な発言など気をつけるべき事を説いてくださる方が間に入り、ホッとして私もクールダウンすることができた。その方が入ってくださらなかったら、もっと危険な方向へ行っていたかと思うと恐ろしささえ感じる。
昼間はオーナーに「スルーすることの大切さ」なんて偉そうに言いながら、舌の根も乾かぬうちにその夜にはこんなにも怒りに震えているなんて、自分でもなんだか滑稽だ。
人間って愚かだ。そして滑稽だ。感情を上下左右に揺さぶられながら、疲弊しては項垂れ、そして諦めている。でも、その感情をしっかりと見つめ、何故私は怒っているのか、何故私は悲しいのかを掘り下げてみると、自分の芯の部分を形成する大事なものに気づく。
大切にしているもの、信頼している人を蔑ろにされた時、しっかりと怒りを表すことは私にとっては必要で、守るべきことなのだ。スルーできないことがある。それを表明することは私にとって大事なことなのだ。当事者でもないのにおかしいかもしれないし、言われたご本人には返ってご迷惑かもしれないけれど。
感情を解き放ったので、今夜は眠れそうです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?