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探すのではなく、作るもの

ゆるゆるやろうね、と始めたこの交換日記も今日で80回になりましたね。
こんなに続くとは思っていなかったので、これはタカーシーさんにひたすら感謝です。一人ではとてもじゃないけど無理でした。どうしてこんなに続くのかというと、やはりこれは日記という名の“対話”だからだろうと思います。

お互いに書きたいことをつらつらと書いているので、話が続いているわけではないのになんとなく繋がっている感じがしますよね。その“距離感”みたいなものが書く時の支えになっているような気がします。

タカーシーさんが読んでくれる。そう思うだけで心丈夫だし、誰かに話しかけるようにしてキーボード上の指を動かすのは、一人で真っ白い画面に向かいひたすら壁打ちをするように書くよりずっと、手応えのような“感触“がある。それって書く時のテンションに直結している気がします。

話が通じる相手との対話ほど自己愛の認識、つまりはよく言われる自己肯定感というやつがはっきりと分かることはないと思います。
そういう相手に出会う確率が、ここnoteでは比較的高いのです。
何故ならここには日々内省という行為を繰り返しながら自分の心情や思考を言語化し、またそういった純度の高い文章を読むことが日常の中に当たり前にある人がたくさんいるからです。

もちろん、そういった思慮深く賢い人たちに囲まれて日頃から生活している人もいるとは思いますが、当たり前ですが皆が皆そんな環境に恵まれているわけではありません。


私はよくTwitterでもボヤいていますが、職場の人とのコミュニケーションで長年悩まされてきました。職場の人、といってもそれは流動的な関係性ならまだ救いようがありますが、相手はオーナーだから逃げようにも方法がありませんでした。
しかしながら、自分で言うのもなんですが、長年の接客業で培われたスキルによって、私はどんな相手でもこなしてしまう技術があるので、ここまで持ち堪えてしまった感があります。気づけば勤続13年になりました。


主語がない人っていますよね。あれです。まずは。
それだけじゃありませんよ。そんなもんなら全然問題なしです。話の文脈からの推理とここ数日間の相手の脳内を検索すれば自ずと答えは予想可能です。

飛びます。話が秒であっちこっちに飛ぶのです。
今話していた内容の3秒後には全く違った話に飛んでいます。しかも主語がないから一体なんのことだか、というか3秒前の話の続きだと思って返事を返すと、
「何いってるんだ?○○だぞ⁉️」と、まるでこちらが相手の話を理解できないバカ人間のように扱われます。そして「話が通じない、デキないやつ」というレッテルを貼られます。そしてそのレッテルは二度と剥がされることはありません。

“相手を慮る“という言葉はその人の辞書にはありません。全ては自分中心。逆らうもの、いや、自分と意見や価値観の違うものは“敵”とみなします。そうして去勢を張って40年近く、商いをしてきた人です。

ある意味、尊敬しています。だから女手一つでやって来れたんだろうとも思います。しかしそれは彼女の小さな価値観の中でのセオリーによって構築されたものであり、もっともっと他に方法はあったはずなんです。それを誰も彼女に教えてあげられなかったんだと思います。もちろん、これまで何人もの人たちに違う意見を言われて、その時に彼女が気づけば、少しずつ事態は好転してきたと思いますが、気づかないから切るしかない。切ってしまえば耳の痛い事態からは逃れられる。そうやってたくさんの人たちの意見や思考を切り捨てて、今の現状となっていったのです。なんというか、哀れだなと思います。

では私はなぜ13年もの間この仕事を続けてこれたのかというと、まず一つは、その時の私には「辞める」という選択肢はありませんでした。単に生活のためです。
離婚に向けて一年間就活した結果、ようやく見つけた条件に合う職場だったんです。二人の子供はまだ学生でした。離婚の際の慰謝料云々は全くない状態です。お金はいらないから子供の親権は絶対に死守するという離婚でしたので、世帯主としての収入を確保するにはいろんな条件が必要だったのです。

はなから退路を絶っているが故、肝だけは据わっていました。何を言われようが気にしちゃいられませんでした。そんなことは取るに足らないことでした。私にとって、自分のこれまでのスキルを活かしてできる仕事はこれしかないと思っていたし、給料の面でも店長候補という名目でしか応募する気はありませんでした。そうしてやっとのことで勝ち得た仕事を単に人間関係の問題で簡単に捨てるなど考えられなかったんです。

雛鳥たちの寝床である安全を確保し、飢えさせることなく餌を与えるために飛び回る親鳥は命懸けです。
少々の試練は“人生における修行”と自分に言い聞かせ、前しか向かないで必死に生きてきました。この職場に来たのも何か意味があってのことだろう、と割り切り、その都度“これは何を学びととるかな?”とまるでゲーム感覚でやってこれたのも良かったのかもしれません。起きてくることは全て意味があること、学びがあること、と思うと、自然と丹田に力が入り、頭の中にあるネガティブ思考を追い払う術も身につけることができました。

今ももちろん修行の身ですが、ここ数年間をかけて少しずつやってきたことがようやく実を結び始めてきました。人間はいずれ老い、そして力尽きるのです。その時初めて自分の周りにいる、自分のために力になってくれる人間に“頼る”ということを覚えるのでしょうね。少なくとも私は相手を敵だとは思っていないので。

人は変えられない。変えようなどと思わず、ひたすら自分の中の軸をぶらすことなく、自分が信じる道を突き進む。正しいと思うことは絶対に曲げず、利益という数字で相手の価値観に値する結果を出せば自然と納得させることができると信じてやってきました。そしてこれからも頑張っていこうと思います。

「まぁ、自分の居場所を早く見つけることだな」
入職してすぐの頃、吐き捨てるように言われた言葉も私の負けん気魂に火をつけてくれました。「今に見ておれ」そう強く思ったことを覚えています。
根拠のない自信をもち、それを裏付ける努力をコツコツとしてきた結果、自分の居場所は自分で作ることができたのだと思います。

何故今日はこんな話になったんでしょうね。
きっと、タカーシーさんは読んでくれるとわかっているからですね。
安心の居場所があることに、感謝です。


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#交換日記 #仕事 #対話 #つながる #続ける #居場所 #エッセイ


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