人との関係性を変化させる
いいワインを飲むと心が豊かになる。
今夜はある方からいただいた、自分ではなかなか手が出ない、いいワインを飲んでいる。
自分で買うのはいつも1本600円ぐらいのテーブルワインだ。
毎晩の食事と共に1〜2杯、水と同じ感覚なのだから贅沢しなくていい。
いいワインを飲むと心地よく酔える。
ワインが“アルコール”ではなく“嗜好品“になるのだ。
私は他のお酒はほとんど飲まない。
たまに食事に合わせてビールを飲むくらいで、それも喉を潤す感覚であり“アルコール”ではない。
だから“酒好き“ではないのです。
ワインが無かったら他のお酒は飲みたいとは思わない。
私にとってワインは食事あるいはナッツやドライフルーツやチョコなどと共にある。
ワインだけを味わうということもほとんどない。
何故ならワインは嗜好品、その時間を楽しむために飲むものだから。美味しいものと共に味わいたい。
いいワインは程よく後を引く。
いつもより少しだけ多く飲みたくなる。
あともう少し、その余韻を味わいたくなるのだ。
その時間を少しでも長く楽しみたい。
そしていつもより少しだけ程よく酔う。
50を過ぎてから、人とのつながり方が大きく変わった。
初めの頃はそのことが物足りなく、もっと深く、もっと真剣にという欲を抑えるのに苦労した。
100か0か。どっちか決着をつけたがる自分を持て余していた。
そんな自分を客観視できず、うまく行かない関係に臍を噛んだ。
人との距離感を程よく保つ、ということを学んだのは50を過ぎてからだ。
それはある意味“いい加減”な関係だ。
いい加減に冷めていて、いい加減に好意的で、いい加減に干渉し合って、いい加減に放任する。
だからこそ繋がれる、継続できる、相手に対してずっと良い印象を保っていられるのだ。
若い頃のように100か0を決裁するという選択肢を、もはや今の自分は有していないということを自覚するとそれはとても簡単で心地いいものだと知ることができる。
50を過ぎると色んなことができなくなる。
それは肉体的にも精神的にも。
それは悔しくて辛いことだろうか?
悔しくて辛い人は、人との関係性もずっと同じなのではないかと思う。
それを手放した途端、一気に人とのつながりが増え、人とのいい関係性を保つことができるようになった。
人との関係性を変化させる。
なるほど、こういうことだったのか。
これがもっと早くからできている人は、生きることがきっと楽しくて楽なのだろうなと思う。
私は50を過ぎてからようやくできるようになった。
自由で軽やかで心地いい。
この境地にたどり着けてよかった。
中には一生辿り着けない人もいるに違いない。
いいワインを飲むと、ついつい語りたくなるものだ。
程よく酔いながら、今宵はこの辺で。
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