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Twitterが見せてくれた風景

Twitterが“X”に名称変更になるそうですね。
もうすぐ青い鳥もいなくなるのかな?
そう思うとちょっと寂しい気持ちがします。

Twitterで人生が変わった人って結構いると思うんですよね。
私もその一人です。

「人生変わった」なんて、そんな大袈裟な。世界がSNS時代に変化していく中で最も一般に広まったサービスの一つでしょ?っていう見方の人もたくさんいるとは思いますが、私の場合は本当に180度と言っていいぐらいにTwitterによって人生が変わりました。
もしTwitterがなかったら、今こうしてnoteで文章を書いていなかったと思いますし、noteやTwitterで繋がれた私の周りの大切な人たちとの関係もなかったと思います。それを考えるとちょっとゾッとする、というか、ものすごく感慨深いものがあります。

私がTwitterを始めたのは2011年の1月です。
東北の震災の直前ですね。
アカウントは今現在のものとは違います。
2011年は私にとっていろんな意味での「始まりの年」でした。

2010年の12月に娘と息子を連れてそれまで13年間住んでいたマンションを出ました。その翌年の2011年の年明けに正式に離婚が成立し、私の新しい人生が始まりました。

ちょうどその頃、世の中はガラケーからスマートフォンに移行している時世で、子供たちは早々に乗り換えていましたが、私はガラケーで十分だ、と思っていました。でもその時娘からとても真剣な顔で忠告を受けました。

「ママ、今すぐスマホに変えな。でないと一生変えられなくなるよ。時代に取り残されるよ。これからはいかに世の中の新しい動きに適応していけるか、なんだから。今のママの年齢がギリだよ。これ以上年を取ると覚えらんなくなる。今だったら使い方もすぐ慣れるし、私も教えてあげられるから」

半分脅しです。

「そして今すぐTwitter始めな。外の世界と繋がるんだよ。ママ、このまま自分の世界に閉じこもったらダメだよ。新しい世界を切り拓かないと」

おぉ、そうきたか。私はパチンと頬を叩かれて目が覚めるような感覚になりました。自分の意思で新しい世界を切り拓く。それまでの鬱屈した結婚生活から手枷足枷が外れた今の自分は、これからは何でも自分で選んでいいんだ、と改めて気付かされました。それが「自分の人生を生きる」ということなのだと。

今思うと、彼女なりに母親である私を心配してくれていたんだと思います。
離婚して一人になり、仕事仕事で楽しみもなく、どんどん自分の殻に閉じこもっていく母親を見るに見かねての言葉だったんだろうなと。

私はこうして娘にせっつかれるようにしてスマホデビューを果たしました。そして、Twitterの扉を自ら開いたのです。

最初の数ヵ月は勝手に流れてくる有名人や芸能人のアカウントを眺めるだけでした。最初にフォローしたのは、確か脳化学者の茂木健一郎さんだったかな。

次々と気に入ったアカウントをフォローしていくうちに、あるイラストレーターの女性にたどり着きました。松尾たいこさんです。
たいこさんの描くイラストはもとより、たいこさん自身がとてもお洒落で可愛くて、自分と同年代だということもあってとても興味が湧きました。
ご主人はジャーナリストの佐々木俊尚さんです。
お二人と二匹のワンコ(その当時はスタンダードプードルの菊千代とケアンテリアのいくらちゃん)たちの素敵な暮らしぶりに憧れ、お二人のブログや著書などを読んですっかりファンになりました。

松尾たいこさんの絵は独特で、ポップでカラフルなのに可愛いだけじゃない"一匙の毒"のようなものを当時の私は感じていました。それは決してナーバスなものでもマイナスはものでもなくて、言い換えれば"大人の色気"というか、人生の酢いも甘いも味わった経験が生み出す「旨みや深み」のようなヴァイブスを受けとりました。その当時の私の内側の何かと共鳴したのだろうと思います。文章もそうですが、写真や絵などアーティストの創り出す作品は、見る側、受けとる側によっていかようにも解釈が広がるものです。その当時の私には、たいこさんの絵は癒しでもあり、それまでの人生ではほとんどしてこなかった内省のきっかけにもなりました。自分の人生にようやく正面から向き合い始めた頃の私の感性に非常に大きな影響を与えてもらいました。

そんなある日のたいこさんのSNS(Twitterかインスタグラムかブログかは忘れました)に、とても素敵なbarが紹介されていました。当時のお住まいから近かったそのbarでの"ひとり飲み"の様子がめちゃくちゃカッコよかったのです。
早速そのお店を検索し、いつか絶対行ってみようと思ったのでした。

そのbarこそ、私がnoteを始めるきっかけとなった、奥渋谷にあるワインとボサノヴァの店、Bar Bossaでした。

店主の林伸次さんは作家でもあり、その当時はnoteの前身であるCakesでコラムを書かれていました。興味を持った私は早速林さんをフォローし、すでに世に出ていた著書や、林さんのおすすめの曲を集めたコンプリートアルバム「in  the Bar」を購入して楽しみました。私がビル・エヴァンスにハマッたのはこのアルバムがきっかけです。林さんの好きな曲をギュギュっと集結してあり、ライナーノーツに一曲ずつ林さんの紹介文章が書かれています。とてもとても、好きなアルバムです。

そうこうしているうちに林さんはやがてnoteへと移行していきます。私は林さんの文章が読みたくて、noteのアカウントを作りました。
最初の2年くらいは読むばかりでしたが、たくさんの一般の人たちの文章を読むうちに「自分でも書いてみたい」という欲が出てきました。なので、最初のきっかけからすると、まさかこんなにも自分が書くことを続けるなんて、思いもしないことでした。

最初の2年間はTwitterとnoteは分離していました。私のTwitterアカウントを知っている身内に読まれたくなかったからです。
でも、noteの使い方としてTwitterと連動させることがいかに大切か、合理的で拡散に繋がるかというのを感じて、Twitterに新たな別のアカウントを作りました。それが現在のverdeです。そしてnoteの名前も同じに変更しました。そこからがまた新たなnote生活のスタートになりました。今から3年前、2020年5月のことです。

念願のBar Bossaへはその当時付き合っていた彼と初めて行ったのが今から5年前。林さんと初めてお会いして、持参した本「恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。」にサインをいただき、お話をさせてもらえてとても光栄でした。それから何度か伺っていますが、松尾たいこさんがきっかけだったんですよと言ったのはつい最近のことでした。とても驚かれていました。

松尾たいこさんとも実際にお目にかかったことがあります。
2018年1月、六本木ヒルズでの個展に伺った時にいらっしゃって、一緒に写真を撮ってお話しさせていただきました。めっちゃくちゃ緊張して、寒い季節だったのに汗びっしょりになったことを思い出します。あぁ懐かしい。
そういえば、たいこさんの著書「クローゼットがはちきれそうなのに着る服がない!」の中に、たいこさんとTwitterのリプでやり取りした時の私のコメントを載せていただいたのでした。とても光栄なことです。

こうしてTwitterはそれまでの私の狭くて小さな世界を、想像もつかないところまで広げ、たくさんの人たちとの出会いへと繋げてくれました。
何より、こうして書くことへの興味を深め、趣味の枠を遥かに超えて、もうこれは私にとってかけがえのない人生の一部となっているnoteとの出会いに導いてくれました。

Twitterが“X”になったら、もしもこれまでのようなサービスが受けられなくなったら、私はこのnoteだけでいいかな、なんて思っています。
Twitterやnoteで繋がった人たちとはコメント欄でやり取りができるし、今のアカウントになる前、Twitterとnoteを分離していた頃に戻るだけだと思うからです。
あの頃、毎日のようにnoteのコメント欄でたくさんのやり取りをしていました。とても楽しかったのを覚えています。
コメント欄には相互フォローの常連さんもいれば、初めましての方もいて、そこから輪が広がって新しいコミュニティーを作ったり、投稿した小説にコメントをくださった方とやり取りをするうちに二人で往復書簡的な連載小説を書いたりして、新しい試みもたくさんしてきました。

そして実際にお会いしたnote仲間たちはもう何人になるか。本当にたくさんの出会いに恵まれてきました。これもあれもそれも、12年前のあの日、娘にせっつかれるようにして始めたTwitterのおかげなのです。

これまでのTwitterに感謝を。そして新しい“X”にさらなる利便性を期待しつつ、今後も私の言葉を連ねて行けたらいいなと思っています。

それではまた。


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