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不妊治療のはなし①~治療開始に至るまで~

こんにちは、ながつまさゆみです。

今回からは早速本題の話を進めていきたいと思います。まずは私が結婚してからどのようにキャリアとライフイベントについて考えていたのか、そして本格的な治療に至るまでのお話をしていきます。

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夫婦2人の生活と新天地に慣れることを優先した結婚1年目

私が夫と結婚したのは2017年4月末で、当時私は28歳でした。夫と付き合いを始めたのは2016年6月だったので、1年足らずのスピード婚です。
結婚を急いでいたわけではなかったのですが、元々2016年頭くらいから1社目を退職して両親が住む関西に転居することを頭に入れていたため、夫と結婚して一緒に東京を離れると決めました。

彼の実家は千葉で、しかも一応長男。関西には縁もゆかりもありません。
そんな彼が私の意思を尊重して一緒に関西に来てくれたことには心から感謝しています。

結婚とほぼ同時に夫婦2人で1社目を退職し、私は2017年7月から新しい職場で転職支援のキャリアアドバイザーとしての仕事と関西での生活を開始しました。結婚・転居・転職を一度に経験し、2017年はとにかく変化の大きな1年でした。

子供をどうするかについては当時から夫婦でも話し合っていましたが、
・交際期間が短かったためもう少し2人での生活を楽しみたい
・転職したばかりなので、2年ほど仕事にきちんと慣れて(出来れば給与レンジのグレードも上げて)、育休後も戻ってきてほしいと言ってもらえるくらいの実績を残してから離れたい
・自身が母35歳の時に産まれた子供だったので、30過ぎてからの妊娠出産でも抵抗がない
などの理由から、まずは子供は考えずに2人の生活を進めていこうということになりました。

短期での夫の2度目の転職で計画が狂った結婚2年目

私の新しい仕事は概ね順調で、人間関係にも恵まれ、半年~1年である程度の結果も出せるようになりました。本来であれば転職から1年経った2018年度に子供を考え始めたかったのですが、ここでまず1つ計画が狂います。

夫が2社目の会社(関西に来たタイミングで夫も転職をしています)を1年で辞め、転職をしました。というか、私がさせました。
夫が入社した会社は体質の古い消費財メーカー兼商社。1社目がコンサル会社だったので「良い中小企業経営とは」「良い経営者とは」ということを叩きこまれて育ってきた私たち2人からすれば、その真逆をいくような会社でした。
・社長も社員も働かない
・他社商材の真似ばかりで独自性のある商品開発がされていない
・意志決定が遅い
・ルールが不明確
・定期昇給がない
・休日出勤の振り替え休日が取れない
・市場全体が明確に右肩下がりだが、それに対して手を打っていない

入社する前にもっとよく考えておけば良かったのですが、当時夫は離職してからの転職活動で焦っていたこともあり、「転勤なし」「有形商材を扱う営業」という最低条件が叶う会社で2社内定をいただき、商社よりはメーカー機能がある方が…という理由だけで同社への入社を決めてしまっていました。

余談ですが、転職をするのであれば特別な事情がない限り現職に残りながら転職活動することをお勧めします。正しい判断が出来なくなるリスクがあるので…

そんなこんなで、とてもこんな会社では先がないし、だったらダメ元でも20代のうちに(当時29歳)転職活動をした方が良いだろう、ということで私が担当キャリアアドバイザーとして夫の転職支援をしました。2社目がたった1年しか勤務していない中での転職活動だったので、書類選考の結果は厳しい面もありましたが幸い転職は無事成功し、第一志望で狙っていた東証一部上場グループの大手企業から内定をいただきました。年収はなんと!150万以上アップしました。

転職が成功し万々歳ではあったのですが、家族計画については振り出しに戻ってしまいました。夫の新しい職場は夜勤もある働き方だったため、まずは仕事にきちんと慣れてもらうことを優先しようと、これまた子作りは延期になったのでした。

巡ってきた国家資格チャレンジの機会を掴みに行った結婚3年目

さぁ、夫も仕事にやっと慣れて、今度こそ子作り開始か?というところで、また別の話が舞い込んできました。
私の当時の職場では毎年中堅社員5名前後が選抜され、国家資格であるキャリアコンサルタント資格の養成講座と試験を会社負担で受けさせていただけるという福利厚生がありました。自費で受講・受験すればなんと40万円かかります。
この資格、実は1社目で人事をやっていた時から気になっていて、キャリアに関わる仕事をしているからにはいつか挑戦したいと思っており、2社目入社後も折に触れては上司に挑戦してみたいという話をしていました。
2019年4月の上司との面談で、私を推薦して通ったので希望するなら受けてみるか?と言っていただき、もちろん二つ返事で「ぜひ!!」と答えました。
この時点で3年目の子作りも延期になることが決まりました。養成講座の受講期間は2019年8月~12月、試験日は2020年3月となかなか長期に渡る学習が必要になるからです。

私は覚悟を決めて夫に事情を話し、絶対に一発合格を目指すのでそれまで待ってほしいということをお願いしました。
また、私の両親も「孫の誕生はそろそろかな?」と期待していそうだったので、「国家資格取得を目指すので今年は子供は考えていません」とハッキリ宣言をしたのでした。

自身のライフプラン上、再受験は絶対に避けたかったので大学受験当時以来の猛勉強を行い、過去問は10年分を3往復くらいしました(笑)
自分でも良くやったなと思います。
努力は報われ、無事2020年4月に私はキャリアコンサルタントを名乗れるようになりました。

やっと始めた妊活で高度不妊治療が必要なことが発覚した結婚4年目

1年ずつキャリアに関する転機があり、結婚4年目にしてやっとのことで妊活を開始した私たち。とはいえ年齢的にもまだ35歳を過ぎているわけでもないし、夫婦共に至って健康。私は生理周期がほぼ一定しており、子宮筋腫はあるものの妊娠に影響する位置や大きさではなかったので、すぐに妊娠するだろう、とたかをくくっていました。

ところが1サイクル、2サイクル、3サイクルと経っても、妊娠する様子はありませんでした。

その時たまたまお世話になっていた職場の先輩と妊活の話になり、とある不妊専門のクリニックを紹介されました。
ずっと別のクリニックに通っていたが、先生や看護師、スタッフの対応があまり良くなく、色々調べて別のクリニックに変えてみたところ、患者の気持ちや置かれている状況、仕事の都合などに親身に寄り添ってくれてすごく良いとのこと。
一般的に夫婦生活があるにもかかわらず1年以上妊娠しない状態を「不妊」と言い、その定義からすれば私たち夫婦はまだ妊活開始して半年も満たないところだったので、焦って受診する必要はありませんでした。
しかし私は何となく嫌な予感がしたのと、結果が早く出ないと気が済まないタイプなので(笑)一度行ってみても良いか…と初診を受けてみることにしました。

渋る夫も連れて一緒に初診を受け、初回で実施可能な経腟超音波検査、ヒューナー検査、精液検査、血液検査を行った結果、先生から伝えられたのは「自然妊娠は難しいかもしれない」との判断でした。

※ヒューナー検査というのは、性交後10時間以内にクリニックに来院し、頸管粘液(子宮の入り口の粘液)を採取して、頸管粘液中に精子がどのくらい元気に動いているか確かめる検査です。

その後1サイクルかけて、女性のホルモンバランスの変化に合わせてその他の検査も一通り行い、結局初診で下された診断結果が変わることはありませんでした。

私はたまたま親しい友人に不妊治療経験者が複数いたり、最近ではテレビドラマや映画でも不妊治療を扱ったものも増えてきていたりしたので、ある程度不妊治療への理解はありました。
しかし、知っているということと当事者になることは全く違います。
今までも挫折や悔しい思いをしてきたことはありましたが、大半は自分の努力不足や実力不足でした。
自分の力ではどうにもならないことで挫折を味わったのはこれが初めてだったかもしれません。

そうとなってはうかうかしてはいられません。1歳でも、1か月でも早く本格的な治療を開始して、何とか結果に繋げなければ。
こうして私たち夫婦は結婚後4年目にして不妊の事実を突きつけられ、本格的な治療を開始したのでした。

もっと早く妊活を始めていれば良かった?

キャリアを優先した結果、31歳で本格的な不妊治療が必要なことに気付いた私たちでしたが、じゃあもっと早い段階で妊活を始めていればよかったのか?

答えはNOです。
ただ、これは結果的に妊娠できたから言えることかもしれません。
何年も治療しても妊娠できなかったら、もしかしたら気持ちも違ったかも?
でも31歳での治療開始が遅すぎたとは思っていませんし、
仮にもっと早く治療を開始していたとしても出来る時は出来るし、出来ない時は出来ない。結果は変わらなかったのではないかと思います。

不妊治療が必要になるということがもっと早い段階から分かっていたとしたら、その時その時のキャリアの選択は違っていたかもしれませんが、今振り返る限りは結婚後1年ずつの選択はあぁするしかなかったかな、と思っています。

これは妊娠や女性のキャリアに限ったことではありませんが、人生の選択には残念ながら正解がないんですよね。
価値観も何を良しとするかも人それぞれ。
ただ、後悔しないために出来る限りの情報収集や採り得る選択肢のメリットデメリットを吟味した上で、その時採れる最良の選択をして、後はその選択に自分で責任を持って飛び込んでいくしかないと思います。
なるようになるし、なるようにしかならない。

私の話はあくまでも一例ですので、こんな人もいるんだなぁという感じで、今後も是非読んでいただけたらと思います。
次回は私の2度目の転職と不妊治療の開始について書きたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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