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『小さな家の思想-方丈記を建築で読み解く』文春新書を出して⑭長尾重武

 上記の本を出版したことによって、思いがけないところから声がかかり、記事を書くことになりました。

『建築ジャーナル』 2022年11月号 NO.1336
特集■「自邸とセルフビルド」趣旨は以下の通りです。   

家を建てようと思ったらハウスメーカーや工務店、設計者に依頼をするのが一般的だ。それでもごく一部、自分の家を自分で建てるという選択をする人がいる。彼らの家に対する思いは並大抵のものではない。その熱量、こだわり、感性、住宅への理想がダイレクトに反映された建築には、ほかの建築にはない魅力がある。手づくり感や、おおらかで自由な発想が楽しい。試行錯誤を重ねながら手を動かし自らの住まいをつくる、セルフビルドは発見の連続だという。彼らが手にした住まいへの気づきとは何だったのだろう。

目次
特集■自邸とセルフビルド 2
■テキストの中のセルフビルド セルフビルドの愉しみ|長尾重武………4
住みかへの執心 『小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く』を読んで
|種田元晴………6
■事例
大菩薩峠《徳島》 地球を彫刻する|内野輝明………8
キテハ《滋賀》 生きる力を身につける家づくり|清水陽介………10
足軽屋敷《彦根》 百姓として改修する|川井 操………12
プロジェクトスペース「脱衣所」《東京》プライベートとパブリックの間で|中島りか………21
「溶荘」《東京》 日々の営み|柳瀬正義………15
■コラム
ジャン・プルーヴェの設計と施工が
一体となったものづくり|横尾 真………16
■伝説のセルフビルド建築
◆カラス城を探して|西川直子………19
◆コルゲートパイプの家 セルフビルド建築の継承|山崎太資………22
■プーライエを訪ねて
◆引き受け、踏みとどまること|大村高広………25
◆プーライエが問いかけるもの|和久田幸佑………28
◆植田実がプーライエに見たものは正しかったのか|山本 至………30
以下は、【連載】【情報ポスト】【建築】【掲載設計事務所紹介】

この特集で、思いがけなく、巻頭に掲げたように、「テキストの中のセルフビルド セルフビルドの愉しみ」という文章を寄せることになりました。
また、つづいて、種田元晴さんが、「住みかへの執心 『小さな家の思想 方丈記を建築で読み解く』を読んで」という書評を書いてくださっのです。
それぞれ見開きのページを与えられました。

私は「テキストの中のセルフビルド セルフビルドの愉しみ」という文章のなかで、『小さな家の思想ー方丈記を建築で読み解く』を書いた意図や想いを最小限の文章で書きました。その部分を以下に掲げておきます。

 拙著『小さな家の思想―方丈記を建築で読み解く』(文春新書、2022年6月刊)を書いた動機はかなり単純なものでした。平安の貴族政治の時代から鎌倉の武士政治の時代へと大きく転換した大変動の時期に構想された方丈記と方丈庵は、形や大きさだけが問題ではない。時代の心性、哲学・思想、が自然に表れているはずだ、それを解明する必要がある。そういうことでした。
 私の方丈庵の復原図もこれまで皆さんが出しているものと大きく変わりません。広さは方丈ですから3m四方、重要なのはそれが持つ意味を確認することでした。
 日本における仏教は、1052年に末法の世が到来し、仏陀の正しい教えが伝わらず、悟りを開ける者もいなくなる、つまり終末感漂う時代に入りました。
 こうした状況の中で、にわかに脚光を浴びたのが阿弥陀如来信仰でした。阿弥陀如来は、四十八願を達成すべく厳しい修行を行った結果、悟りを開き、西の彼方にある極楽浄土へ向かうことができました。この厭うべき穢れた世を生きた後は、阿弥陀如来にあやかって、死して極楽浄土に生まれたい、という考え方が広く流布しました。
 方丈庵も終の棲家として、阿弥陀信仰の修行をし、そこで死ぬ形を想定し、そうすることによって、再生をうながした小さな家でした。さらに、長明がこれまで培ってきた和歌管絃の道、文化的な活動の場も内包しつつ、そこで音楽に慰めを見出し、彼の数寄、すなわち執筆に専念することが目論まれたのでした。方丈記にはそうしたすべてが記されていません。多くが隠されたままですが、丁寧に読めば自然に浮かび上がります。 

 そして、ユーチューブで見た「超コンパクトなモバイルハウス」を冒頭に掲げた後、鴨長明『方丈記』建暦二年(1212年)(梁瀬一雄訳、角川文庫、1967年)、
 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『森の生活』1854年、上、下(飯田実訳、岩波文庫、1995年)、
 バーナード・ルドフスキー渡辺武信訳『建築家なしの建築』(1976年、鹿島出版会)、
 石山修武、写真・中里和人『セルフビルド―自分で家を建てるということ』(交通新聞社、2008年)、
 趙海光+高山建築学校編集室『高山建築学校伝説―セルフビルドの哲学と建築のユートピア』(鹿島出版会、2004年)を取り上げてみました。
 
 そして最後に、同年の友人の医師・作家の田野武裕さんの興味深い別荘を建てる試みについて彼の文章とともに短い文章で締めくくったのです。田野さんは大丸太がそこらあたりに転がっているイメージで、彼の別荘を建てたといって案内してくれたのです。彼はまた「自然は直線より円形や曲線に満ちている」という確信を記しています。
 図面をスケッチし、模型を作り、工務店にもっていき、色々打ち合わせの末、在来工法で、断面を円形にした二層構成の別荘を海辺の崖地に建てました。平面構成も断面設計もとてもよくできているのに驚いたくらい快適な別荘でした。
 彼のアクションは建築家の行為とあまり変わらないと思いますが、建築教育は受けていません。最後の建設は工務店が関与しているので、果たしてセルフビルドといえるのかどうか問題ですが、大いに興味があります。

 似たような経験を想い出します。若いころ、ご近所のお医者さんから彼の自宅の設計を依頼された時のことです。彼は、軽井沢に自分で設計した別荘を所有していました。別荘は設計できたけど自宅となると規模や要求が多くなって急に難しくなってお手上げになり、それで、専門家にお願いしようということになった、というのです。軽井沢の彼の別荘にもご一緒して、色々お話を伺い、時間をかけて設計し、気に入っていただきました。

 セルフビルドという興味深い行為についてまだ十分掘り下げていませんが、鴨長明の方丈庵はまさしくセルフビルドの庵であることは確かです。

 ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』では、小鳥も動物たちも、自分の巣を自分で作るのに、なぜ人間は、人に作ってもらわなければならないのだろう。建築家や建設会社に頼まなけらばならないのだろう。そのように問い、その結果、1.5M×3.0Mの家を設計し、自分で建て、そこで二年過ごした記録を、本に著しました。家そのものについての記述もいいのですが、それが建っている森と湖の環境が次第に彼の生活に豊かな彩を与えていくのです。

 湖畔の森の土地を借りて、樹木を伐採し、古い家を買って、材料を利用し、本人は書いていませんが、当時、アメリカ東海岸地域で流行っていた、シングルスタイル(杮板張り、杮板葺き、こけらいたで覆われた家)の家を作ります。内装は漆喰塗り壁の家をセルフビルドしたのです。

 鴨長明も、方丈庵(その名の通り、約3M×3Mの家)を構想し、自分で建てたわけです。しかも、建てた場所が気に入らなければ、他に移すことを考えていたのです。モバイルハウス、というべき仕組みを考えたのです。
その点がとても面白いと思います。






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