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【エッセイチャレンジ⑧】俳句コンクール

エッセイを書き始めてから、ネタ探しのために記憶の湖で船を漕ぐようになった。
浮かんでくる懐かしい物物を優しく手で掬いあげ愛でてみたり、時には「見なかったことにしよう」と櫂を持つ手を早めてみたり、いろいろだ。

特に深い記憶の渦巻くあたりでは、そっと身体を沈めてみる。タイムスリップでもしたように、記憶だけでなく当時の感情を追体験できるから。
窓から差す日差しの柔らかさ、握りしめたハンカチの柄、下を向き足早に廊下を歩く、くすんだ上履きのつま先。

ああ、俳句コンクールの思い出だ。

青少年俳句コンクール

あれは小学校四年生のことだ。夏休みの課題で「俳句作り」なるものがあった。
青少年のための俳句を謳うコンクールのテーマは、非行やいじめ防止、交通安全など。教育委員会やPTAが好きそうなテーマ。
可愛いヘアピンやラメ入りのカラーペンが好きで、おまじないとか恋占いの本を愛読書にしていた10歳の少女には、あまりピンとこないものだった。



『ありきたりな俳句は嫌だなあ。
どうせなら先生やみんなに注目されるような、大人っぽい句にしよう!』



珍しく作文の出来が良くて、授業参観のときにクラス代表で発表するという大役をおおせつかった矢先のこのチャンス。私にはきっと文才がある、なんて調子に乗っていたのだろう。よせば良いのに、私は欲をかいた。

夏休みも残すところ5日。私は焦げ茶色のダイニングテーブルにプリントとえんぴつを広げ、汗をかいた麦茶グラスの水滴に指を濡らしながら、俳句を考えた。
でも、全然だめ。興味のないテーマを、カッコいい言い回しで、しかもたった17文字に納める語彙力なんてあるわけない。どんなに頑張っても『かわいそう いじめはひどい ダメぜったい』みたいな、健やかで素直な小学生らしい句しかできなかった。
こんな普通の俳句じゃ、褒められるわけない。

家族の共有スペースで、何時間も粘られてうざったかったのであろう。見かねた母がアドバイスをくれるようになった。ところが、アドバイスはだんだん熱が入り、具体的になり、私の作った言葉は少なくなっていく。
結局、ほとんど母が作った俳句が完成した。

私が作った俳句も、申し分程度に1つ2つは書き添えたように記憶している。しかし、母が作った句が一番出来が良かったのは言うまでもない。

まさかの展開

宿題の提出日、みんなそれぞれにその出来を見せ合った。みんなの俳句は素直で捻りもないけど、イキイキとした「THE 小学生の俳句」だった。大人びた私の句は、クラスでもちょっとした話題になったように記憶している。私は謙遜しつつも気分が良かった。

しばらくしてその俳句の存在も忘れていた頃、担任の先生に職員室へ呼ばれた。

***

先生の話は、私の提出した俳句がコンクールで銀賞を受賞したというものだった。
そういえば、市だか県だかが主催していたコンクールだったっけ。

先生は私の頑張りを労い、今度の朝礼で校長先生から賞状を受け取ってね!と笑顔で告げた。先生は私が蒼白していることには気付いていたのだろうか。

貼り出された地獄

俳句は朝礼で校長先生に発表され、賞状と共に賛辞を受けた。例の俳句は拡大コピーされ、校長室前の廊下に貼り出された。ご丁寧に「銀賞:4年1組○○」と名前まで入っている。
無造作な配られる算数プリントなんかとは違う、ほんのり光沢があるなめらかな上等紙。すべすべでひんやりと冷たいそれは、あんなことがなければずっと頬ずりでもしていたくなるような代物だった。
だが、この最上級の労いに対し、私はお門違いな怒りを感じていた。



『貼ったりしたら、みんなに忘れてもらえない!こんな余計なことしないで!』 

***

それからというもの、校長室のある校舎へ続く渡り廊下に近づくと心臓がだくだくした。
ああ、嫌だ。行きたくない。見たくない。恥ずかしくて、申し訳なくて、胸が苦しい。
だが、保健室や職員室へ行くには必ず例の廊下を通らなければならない。ひとりのときは視界に入らないように小走りしたが、友達と一緒のときはそうもいかない。

「すごい!○○ちゃんの俳句飾ってあるよ!」
そんなこと言われようものなら、その尊敬の眼差しが私を殺してしまう。

俳句は1年間飾られていた。

ずるい自分にこんにちは

今となっては大したことない話だと思う。子どもの宿題を手伝っているうちに親が白熱し、ほとんど親が終わらせてしまうなんて、笑い飛ばすべき微笑ましい失敗だ。

だけど、潔癖な少女であった私にとっては、知りたくなかった自分のずるさを直視させられた大事件だった。
しかも、ラッピングされてめちゃくちゃ派手なリボンをかけられて、ハロウィンの渋谷で予告もなしに、フラッシュモブばりの盛大な演出によって、通行人からの拍手喝采を受けながら渡された感じ。強烈だ。

忘れたいはずなのだが、やっぱり小学校の思い出はあの渡り廊下なくしては語れない。
昼下がりのクリーム色っぽいぬるい日差しや、その向こうに見えるくすんだ25mプール。ぺたりぺたりと浮かない音を立てる上履き。
記憶の中の私は壁から目を逸らすために、汚れたつま先に視線を落としている。そして、今日もウッドタイルの市松模様に沿わせるように憂鬱な一歩を踏み出す。

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夏の思い出

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